「彫刻とは何か」という問いを生涯を通じて探求し続けた20世紀を代表するアーティスト、イサム・ノグチ(1904〜1988)。その制作のエッセンスに迫る展覧会「イサム・ノグチ 発見の道」が東京都美術館でスタートした(緊急事態宣言の発令により4月25日〜5月11日は臨時休館)。
本展は、「彫刻の宇宙」「かろみの世界」「石の庭」の3章構成。30年以上にわたって取り組み続けられた光の彫刻「あかり」から晩年の独自の石彫に至る、ノグチの「発見の道」を約90点の作品でたどる。
第1章「彫刻の宇宙」では、1940年代から最晩年の80年代の作品を紹介。展示室の中心では、150灯もの「あかり」によるインスタレーションが大きな存在感を放ち、約15分のピッチでゆっくりと点滅を繰り返す。
ノグチが1951年に岐阜提灯と出会ってから制作を始めた「あかり」シリーズは、和紙を通した柔らかな光そのものを彫刻とするもの。30年以上にわたって200種類以上が手掛けられたこのシリーズは、ノグチのライフワークとも言える。
「あかり」のインスタレーションの前に、ノグチが香川県牟礼町の石匠である和泉正敏のサポートによって制作した石彫《黒い太陽》(1967-69)が置かれている。アメリカ・シアトルのアジア美術館正面に設置された同名の野外彫刻の習作として制作されたこの作品は丹念に磨き上げられ、掘り込まれた凹凸によって光が変わり、作品自体が回転しているように見える。
同章でもう1点注目すべきなのは、本展タイトルのもとになっている石彫《発見の道》(1983-84)だ。ノグチは晩年に至り、石へ最小限の手を加えるという独自の表現領域を展開していった。「発見の道」という作品のタイトルには、自らの道程への深い感慨が込められているのだろう。
日本人の父とアメリカ人の母の元に生まれたノグチは、肉親との関係に葛藤があり、とくに父親の米次郎とは複雑な間柄だった。それもあってか、ノグチは晩年に至るまで、父の祖国である日本の文化の諸相が見せる「軽さ」という側面を、自らの作品に情熱的に取り込み続けた。
第2章「かろみの世界」では、ノグチが切り紙や折り紙からインスピレーションを得て制作した金属板の彫刻や、円筒形の「あかり」のヴァリエーションなどを紹介。展示室の中央にある遊具彫刻《プレイスカルプチュア》(1965-80頃/2021)は、鮮やかな赤色と動きのあるようなかたちを持ち、遊ぼうと呼びかけているように見える。
1964年、ノグチは良質な花崗岩である庵治石の産地として知られる香川県牟礼町を訪れ、そこで上述の石匠・和泉正敏と出会った。その後、野外アトリエを構え、江戸時代の豪商の邸宅を移築した家を住まい(通称イサム家)としていた。
第3章「石の庭」は、そのイサム家の庭に設置された最晩年の石彫の一部を初めて美術館で展示する試みだ。大小ふたつの石の組み合わせに見えるが、じつはひとつの石からできた最晩年の作品《無題》(1987)は、見る位置によってその姿が大きく変わる。
間隔を空けてふたつの石が置かれた《フロアーロック(床石)》(1984)は、石の輪郭を描く直線と曲線を絶妙に組み合わせた作品。丁寧に磨き上げられた石肌には深みのある墨茶色があり、削ったままに残された石の表面には緊張感が満たされている。
本展の開幕にあたり、展覧会の担当学芸員・中原淳行はこう語る。「西洋では石の彫刻は、石のなかに自分の持っているビジョンを取りだすことがある。(ノグチの場合は)その和泉さんとの出会いによって自分の持っているものを石から導きだすのではなく、石が元々持っている美しさのなかに自分が何か関与することで別のものに生まれ変わる。でもまったく違うものに生まれ変わるのではなくて、自然が本来持っているエッセンスは残る。そういうまだ誰も手がけたことのないスタイルを見つけだしたことが、ノグチ最大の発見だった」。
20世紀の美術に大きな足跡を残し、晩年にその創造の到達点に達したイサム・ノグチ。その作品の世界をぜひ会場で体感してほしい。