「表現の不自由展・その後」の展示中止に対しても抗議声明を出したアーティストのコレクティブ「アーティスツ・ギルド」が、文化庁による「あいちトリエンナーレ2019」への補助金不交付決定問題について、抗議声明を発表した(全文は記事末尾に掲載)。
「アーティスツ・ギルド」は、2016年には「規制」をテーマにした展覧会「キセイノセイキ」を東京都現代美術館と協働企画で実施。同展で出品不可となった小泉明郎の《空気#1》(2016)は、不自由展で展示された。
声明のなかで、補助金の取り消しは「実質的には『表現の不自由展・その後』をとくに問題視し、同トリエンナーレ全体に及ぶ措置を行った、事実上の検閲」と批判。
不交付決定の審査が、専門家の意見を聞くことなく、文化庁内部のみで決定したことにも触れ、「不交付の理由だけでなく、手続きにおいても不当なこの決定に正当性はありません」としている。
また文化庁の独立性については、「官邸の意向に抗らえない機関ならば、文化庁にも文科省にも正当性はありません。あるのは官邸の意向を通すための建前だけです」と強く批判した。
文化庁に対しては、美術評論家連盟や日本現代美術商協会などのほか、「文化庁アートプラットフォーム事業」メンバーからも撤回を求める声が挙がっており、また東京藝術大学や東京大学などの教育機関からも教員有志による声明が出ている。
「あいちトリエンナーレ2019」への補助金交付取り消しの撤回を求めます 内閣総理大臣 安倍晋三 様 内閣官房長官 菅義偉 様 文部科学大臣 萩生田光一 様 文化庁長官 宮田亮平 様 今回の文化庁による「あいちトリエンナーレ2019」への補助金交付の取り消しは、違法な脅迫によって展示の一部が閉鎖に追い込まれてしまった事態を政府が容認し、さらにその被害者である同トリエンナーレに対し、追い討ちをかけるような卑劣な行為です。私たちアーティスツ・ギルドは、アートのプラットホームを探求するコレクティブとして、そして個々のアーティストとして、この暴挙に対し強く抗議し、補助金交付取り消しの撤回を求めます。 閉鎖に追い込まれた「表現の不自由展・その後」を大村愛知県知事が「再開を目指す」と語ったその翌朝、荻生田文部科学大臣は、補助金の取り消しを発表しました。これは補助金審査の結果というのは建前にすぎず、実質的には「表現の不自由展・その後」を特に問題視し、同トリエンナーレ全体に及ぶ措置を行った、事実上の検閲にほかなりません。近年、安部政権は海外各地での「慰安婦」碑や像の設置や展示に対して執拗に政治的圧力をかけている中で、「表現の不自由展・その後」の「少女像」を特に問題視していることは明白です。 この取り消しの発表後、直ちに文化芸術に関わる組織や文化庁の審査等に関わる人々から、この取り消しの理由が不当であるという抗議が明瞭な説明をもって数多く表明されています。また、採択後の全額不交付決定という重大な決定にあたり、任期中の外部審査員が無視されたこと、そしてこの決定を下した審査過程の議事録が存在しないことも明らかになっています。不交付の理由だけでなく、手続きにおいても不当なこの決定に正当性はありません。 文化庁もその長官も官邸の意向に組み敷かれている姿は想像に難くないことです。独立性がなく官邸の意向に抗らえない機関ならば、文化庁にも文科省にも正当性はありません。あるのは官邸の意向を通すための建前だけです。建前の裏の実情は官邸の意向にそぐわぬものを制裁し、広く萎縮させるための見せしめです。そしてその意向は威嚇や脅迫行為に加担し、差別を煽り、歴史を否定する看過することのできないものです。このような傍若無人な振舞いは、独裁的な政府へと至りかねない大変懸念すべき事態です。その先には表現の自由も、生活の自由もありません。あるのは、政府によって統制された言論と文化、管理された生活だけです。 貴方達の意向でアーティストの活動をやめさせることはできません。たとえ、金銭をばらまいても、金銭を奪い取っても、芸術の環境を破壊しても、やめさせることはできない。活動の継続や転換の判断は、金銭やら箱物を提供する側ではなく、活動する者にあります。そして、冒険の真っ只中では活動する者にも選択の余地はないのです。活動をやめるべきは暴挙を繰返す卑劣な貴方達の政治体制(シンジケート)と貴方達自身です。 しかしながら、そういった卑劣な行いをする張本人たちに、抗議することは馬の耳に念仏かもしれません。流し読み、きっと読みもしないかもしれません。ですが、問われている張本人が読まないものを他の者が読む、その先には新たな声や行動、連帯が想像されます。 2019年10月6日 アーティスツ・ギルド http://artists-guild.net/