油彩画、写真、デジタルプリント、ガラス、鏡など多岐にわたる素材を用い、具象表現と抽象表現を行き来しながら、人がものを見て認識するという原理に、一貫して取り組み続けてきたアーティスト、ゲルハルト・リヒター。90歳を迎えた今年、日本では16年ぶり、東京では初となる大規模個展「ゲルハルト・リヒター展」が開催される。
ゲルハルト・リヒターは1932年ドレスデン生まれ。ベルリンの壁がつくられる直前の61年に西ドイツへ移住し、デュッセルドルフ芸術アカデミーで学んだ。コンラート・フィッシャーやジグマー・ポルケと友情を築き、「資本主義リアリズム」と呼ばれる運動のなかで独自の表現を発表し、その名が知られるようになった。
これまでポンピドゥー・センター(パリ、1977)、テート・ギャラリー(ロンドン、1991)、ニューヨーク近代美術館(2002)、テート・モダン(ロンドン、2011)、メトロポリタン美術館(2020)など世界の名だたる美術館で個展を開催。イメージの成立条件を問い直す多様な実践を通じて、ドイツのみならず、世界で評価されているまさに現代アートの巨匠だ。
2005〜2006年にかけて金沢21世紀美術館・DIC川村記念美術館で開催されて以来、日本では16年ぶりの大規模個展となる本展は、初期作から最新のドローイングまで約110点によって、一貫しつつも多岐にわたる60年におよぶ画業を紐解くもの。リヒター本人が手放さず大切に手元に置いてきた財団コレクションおよび本人所蔵作品が、初めて一堂に会する機会だ。
会場はテーマごとの構成。特定の鑑賞順に縛られず、来場者が自由にそれぞれのシリーズを往還しながら、リヒターの作品と対峙することができる空間を創出するという。今回紹介される主なテーマをおさらいしておこう。
フォト・ペインティング
写真を忠実に描くことで、絵画を制作する上での約束事や主観性を回避し、代わりに写真の客観性やありふれたモチーフを獲得するもの。刷毛で表面を擦ることで生じた「ぼけ」は、絵画と写真とのあいだで、イメージのもっともらしさや客観性とは何かを考えさせる。
カラーチャート
1966年に初めて制作された「カラーチャート」シリーズに連なる作品。当初は、絵具の見本帖をもとに描かれていた。25色で構成された約50センチ四方の正方形のカラーチップ全196枚からなり、空間に合わせて異なる組み合わせで展示される。
グレイペインティング
1960年代後半に始まった、グレイの色彩で画面を覆うシリーズについて、リヒターはグレイの色彩を“なんの感情も、連想も生み出さない” “「無」を明示するに最適な” 色と表現。グレイは作品によって色の調子や筆致が微妙に異なり、豊かなバリエーションを生み出す。
アブストラクト・ペインティング
1976年以降、40年以上描き続けられているシリーズ。80年代中頃にリヒターは大ぶりなスキージ(へら)で絵具を塗り、そして削るという技法を確立した。近年では小さなキッチンナイフも用いることで、これまで以上に細やかな調子の変化を画面に見てとることができる。なお本展では、近年の大作《ビルケナウ》が日本初公開。幅2メートル、高さ2.6メートルの作品4点で構成される巨大な抽象画《ビルケナウ》はホロコーストを主題としたもので、リヒターにとって重要な位置を占める作品だ。出品作内で最大級の絵画作品となる。
オイル・オン・フォト
1980年代後半から制作され始めた、写真に油絵具などを塗りつけたシリーズ。ほとんどの場合、日付が作品名になっている。絵具は写真のイメージを覆い隠し、物質的な存在感を強調する。いっぽう、写真の再現性に比してその上に塗布される絵具はいつも抽象的なものとなっている。写真と絵具が混じり合うことなく、同一の平面上に並置されるこのシリーズは、小さいながらもリヒターの創作の核心を端的に提示している。
ドローイング
一般的にドローイングとは絵画を描くための下絵、あるいは構想といった役割を果たすことが多いが、今回出品されるリヒターのドローイングは、断片的な線や面を画面全体に配した、抽象的なもの。抽象的なドローイングは《アブストラクト・ペインティング》を開始した1976年以降、断続的に描かれるようになった。製図のような直線、円、細やかな陰影は、何かを表しているわけではないが、そこには風景のようなものも見いだせる。