世界で初めて宇宙空間でのCM撮影を実現したアーティストの高松聡。その初個展「FAILURE」が、東京・南青山のSPACE FILMS GALLERYで開催される。会期は9月4日~27日。
高松は1963年栃木県生まれ。筑波大学基礎工学類卒業。株式会社電通の営業局・クリエイティブ局での勤務を経て、クリエイティブ・エージェンシーGROUNDを設立した。同社の代表取締役兼クリエイティブ・ディレクターとして多くのブランド広告を担当し、カンヌ広告祭などの国際広告賞で数多くのグランプリや金賞を受賞した。近年は写真家・アーティストとして活動している。
高松が計3回の宇宙CMを制作した際、すべての舞台となったのが国際宇宙ステーションの「ロシアモジュール」。宇宙CM撮影を可能とするために、高松自身10回以上モスクワを訪れ、ロシア宇宙庁(現ロシア連邦 宇宙局)と交渉を重ねたという。JAXAからの推薦も得て、2001年にロシア宇宙庁と契約を締結。撮影は「星の街」でロシア宇宙飛行士の訓練を実施後、国際宇宙ステーション内のロシア宇宙飛行士と管制センターにいる高松の交信によって行われた。
それ以来、宇宙を通じてロシアとの関係を深めた高松。14年には、民間人。14年に高松は、民間人では日本初となる国際宇宙ステーション滞在を前提とした宇宙飛行士訓練を、ロシア「星の街」で受けることを決意。歌手サラ・ブライトマンのバックアップクルーとして8ヶ月間、800時間の訓練に入ることになった。その訓練が無事終了すれば、高松はロシア宇宙庁公認の宇宙飛行士として認定される予定だったが、5月にサラが突然の訓練中止と飛行辞退を申し出る。
バックアップする相手を失い、正式クルーから外れた高松だったが、最後まで訓練を続け、すべての試験を好成績で合格し、卒業式を迎えた。しかしバックアップクルーという立場を失った高松が、宇宙飛行士として認定されることはなかった。
正式クルーでなくなった高松は、いつ「星の街」を退去させられるかわからないという焦燥感で1万枚を超える写真を撮影。ロケットや宇宙服、バイコヌール宇宙基地をとらえた写真からは、高松の宇宙への憧憬を、星の街の風景や道端の花といった日常の写真からは高松のロシアへの愛情を感じることができる。
本展は、宇宙を目指した高松が失った夢と発見した夢を同時に表現したもの。アーティストとしての活動としては、東京都現代美術館での「ミッション[宇宙×芸術]─コスモロジーを超えて」(2014)への出展以来、初の個展となる。宇宙での撮影に向けたプロジェクトの第一歩としても注目したい。