「神戸六甲ミーツ・アート」が築いてきたものとは? 総合ディレクター・高見澤清隆インタビュー

2010年から「六甲ミーツ・アート芸術散歩」として毎年開催されてきた関西を代表する芸術祭は、15回目を迎える今年「神戸六甲ミーツ・アート 2024 beyond」と名称を変更。「新しい視界 Find new perspectives.」をテーマにバージョンアップするかたちで開催されている(~11月24日)。今後この芸術祭が目指すものとは何か。総合ディレクター・高見澤清隆に話を聞いた。

聞き手=橋爪勇介(ウェブ版「美術手帖」編集長) 文=三澤麦(ウェブ版「美術手帖」編集部)

「神戸六甲ミーツ・アート 2024 beyond」展示風景より、周逸喬《赤と緑の行き違い》 撮影=編集部

六甲山の風物詩に

──2010年より毎年開催されている「神戸六甲ミーツ・アート」。あらためてこの芸術祭が始まった経緯について教えてください。

 「六甲ミーツ・アート芸術散歩」として始まったこの芸術祭は、もともと阪神電気鉄道株式会社(阪神電鉄)とその子会社が昭和期から始めていた六甲山事業に由来するものです。六甲山は別荘地ですが、バブル崩壊後は空き山荘も増加し、また1995年の阪神淡路大震災がそれに拍車をかけました。復興は市街地から始まったので、六甲山の観光復興は後回しとなったのです。そうした状況への対策としてミュージアムや新しい展望エリアができたのですが、この芸術祭もその一環です。当初は箱根彫刻の森美術館を参考に屋外彫刻の設置を検討してみたりもしたのですが、それだけでは人の流れを戻すことはできないと考えました。いっぽう、同時期に新潟の越後妻有地域では「大地の芸術祭」が始まっていたので、これを参考にしつつ、モノではなくコトをつくってみようと。

 芸術祭は行政主導によるものが多いですが、神戸六甲ミーツ・アートはもともと民間の観光事業であり、当初より収益事業です。しかし、続けていくうちに文化事業としての意味あいも帯びてきたというかたちですね。

六甲山からの展望

──観光事業だと集客をしなくてはなりませんよね。それはアーティストの選定にも影響するのではないでしょうか。

 どちらかというと、先ほど述べたことの課題解決として芸術祭をデザインしていく必要がありました。作品の選定からその配置など、観光客を含む鑑賞者がどう楽しんでくれるか、どうすれば人の流れが起こるのか──そのための芸術祭デザインをずっと心がけています。

──当初より手応えはありましたか?

 残念ながらあまりありませんでしたね。しかしながら、それまでの六甲山には来なかった方々に多く集まっていただき、そこが評価されて2年目も継続となりました。その後、2011年の東日本大震災時には規模を縮小して実施するということもありました。当時、開催の可否について議論があり、もしそこで止めてしまっていたらいまの状況はなかったかもしれません。コロナが猛威を振るった時期も、行政のレギュレーションを守ったうえで続ける決断をしていました。

──毎年同じ時期にやることが大事なんですかね?

 おっしゃるように年に1回開催するということが「風物詩」になるので、重要だと思います。しかし、いまだに地元でも神戸六甲ミーツ・アートが周知できていない現状もあるので、そこは課題ですね。

──今年は15回目の開催でしたが、いまだにそういった課題もあるんですね。でも毎年開催で地域住民の理解も進んでいるのではないですか?

 じつは六甲山自体に定住している方は多くありません。そうした理由からこれまでは住民の方々との交流があまりなかったのですが、昨年からは地域と連携するプログラムをスタートさせています。ここは今後も重要な要素となっていきます。

編集部

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