──パナソニック汐留美術館で開催中の、デンマークのデザイナー、ポール・ケアホルムの仕事を振り返る「織田コレクション 北欧モダンデザインの名匠 ポール・ケアホルム展 時代を超えたミニマリズム」。本展の会場設計は建築家・田根剛さんの担当です。まずは企画を担当した学芸員の川北裕子さんに、田根さんに依頼した理由を聞かせてもらえればと思います。
川北裕子 田根剛さんに依頼するきっかけは、本展学術協力の椅子研究家・織田憲嗣(おだ・のりつぐ)氏の打診からでした。その打診を踏まえたうえで、改めて田根さんに会場構成を依頼する意義を考えました。田根さんといっしょにお仕事をするのは今回が初めてでしたが、これまでの田根さんのお仕事についてはよく存じていましたし、とくに弘前れんが倉庫美術館をはじめとした、場所の記憶を掘り起こして未来へとつないでいくその手つきは、私にとって共感を覚えるものでした。
今回の展覧会は、ポール・ケアホルムというひとりのデザイナーの仕事をわかりやすく紹介するだけではなく、その思想の背景を感覚でとらえることができる展覧会にしたいという思いがありました。その体験性を創出できる会場のためには、田根さんが適任だと考えたのです。
田根剛 展覧会は歴史的/学術的な研究を下敷きに展開されるものだと考えています。今回も、川北さんとともにケアホルムの研究を進める、検証ができる環境をつくるという観点で会場を設計しようと思いました。
──本展は展示室の最奥まで行ったあと、また同じ動線を入口まで戻るという斬新な構成がなされています。田根さんはパナソニック汐留美術館という会場をどのようにとらえ、この構成にたどり着いたのでしょうか。
田根 私の最初の印象は「難しいミュージアム」というものでした。その難しさというのは、公共性の観点から来場者の体験をどのように設計するのか、という難しさです。展覧会に行こうと思い立ち、汐留のビルにたどり着き、エスカレーターを上って美術館にたどり着ける、都心で生活をする忙しい人たちが立ち寄る場所です。ここでケアホルムというひとりのデザイナーの人生を見せるための環境をいかに整えることができるのか。それが重要だと考えました。
私にとって会場の設計というのは音楽の作曲に近いんです。イントロがあり、リズムやテンポやメロディがあり、ドラマチックな展開もあれば静寂もあって、それらをどうつなげていくのか、ということをいつも考えています。今回の展覧会では、入口と出口を同じ場所にする、一度最奥まで行ってからまた入口へと戻って来るというこれまでにない動線の設計にしました。展覧会を前と後ろから2回見るという体験を通して、ケアホルムの人生を来場した人の記憶や心に残るものにしようというチャレンジです。
──いっぽうの川北さんは、パナソニック汐留美術館の学芸員として、本施設でどのように展覧会を行うのか、つねに考えてこられたと思います。川北さんは本館をどのようにとらえて会場をつくっていらっしゃいますか。
川北 私は当館に来てもうすぐ3年になりますが、いままで試行錯誤の連続でした。どんな展覧会でも、会場に入ったらそこに日常の延長線上にあるものとしての非日常があってほしいと思っていますし、そこからまた日常へと戻っていくということが展覧会の体験としてとても大切だと考えています。ただ、当館は自社ビルの中にあるということもあり、そういった空間演出をするためには工夫が必要です。
いっぽうで当館の魅力のひとつに、コンパクトであるがゆえに作品との距離が近く、観客と作品が親密な関係を築けることが挙げられると思っています。それを日常と非日常との接点として最大限に活かして、来る前と後でその人の目の前の景色が少しでも変わるきっかけになれば、という観点で会場設計を考えています。
田根 私は会場設計について「こうしたい」という意見を川北さんに伝えるのですが、川北さんは学芸の立場から学術的な根拠を示しつつ、実現に向けて働きかけてくださいました。
例えば、今回の展覧会では、展示什器の下や解説パネルの下などに空間を設けて、できるだけ会場に開放感を出すように工夫しています。ケアホルムの椅子を展示する台座も、作品を見下ろすのではなく横や下からもじっくり見てもらうために高めの台座の上に載せ、壁面と片足だけで支えて下部に空間をつくっていますが、その上に椅子というそれなりに重量があるものを数点載せるのは、安全面でも充分な考慮が必要ですし、決して簡単なことではない。それに対して川北さんは作品保護のことを考慮したうえで「やってみましょう」と決断してくださった。こうした学芸員の立場からの協力があったからこそ、今回のような思い切った会場構成が実現できたわけです。
川北 学芸の立場からしても、建築家ならではのご提案をいただき、視野を広げてもらえました。空間や構造についての知識はもちろん、人とものとの距離感についていつも考えていらっしゃるので豊富な知見をお持ちですよね。学芸員は作品の保全を第一に考えますが、いっぽうで鑑賞体験を高めるという観点で奇譚のない意見をくださる。結果的に作品の魅力を伝えるために、私たち学芸が望んでいることをより掘り下げてくれる提案を田根さんはしてくださいました。
──本展の白眉ともいえるのが、ケアホルムの初期から晩年までの家具デザインを年代順に約30点紹介している第2章「DESIGNS 家具の建築家」ですが、黒のモノトーンで展示室をまとめるアイデアは新鮮でした。先ほど川北さんがおっしゃっていた「非日常」が体現されているような空間に仕上がっていますよね。
田根 普通に考えたら面積的に展示できない量の椅子を、会場でどのように見せるのか腐心した結果、展示台を縫うようにジグザクに進む部屋の構成となり、歩く量を増やしました。そのうえで展示室を黒で統一し、スポットで椅子を照らして明暗をはっきりさせることで、物理的な説得力を持たせようとしました。
川北 家具が並ぶだけでは無機質になりすぎるということで、椅子研究家の織田憲嗣さんの言葉を断章にして流しています。まるで椅子やテーブルが話しかけてくるような音声は、作品のディテールにクローズアップした写真や映像や、ケアホルム自身の言葉とともに空間に豊かさを与えているのではないでしょうか。
──ジョルジュ・ルオー(1871〜1958)の作品を常設展示している、パナソニック汐留美術館のアイデンティティとでも言うべき「ルオー・ギャラリー」にケアホルムの椅子を展示し、来場者が実際に座りながら絵を鑑賞できるという試みも驚きました。
川北 当館での私の担当は工芸・デザイン分野ですので、絵画のコレクションに直接関わることは少ないのですが、ルオーは館の根幹ともいえるコレクションなので、それをどのように見せていくのかということは私もつねに考えています。
ルオーを楽しみに当館に来場いただく方も多いのですが、同時に若い世代のなかにはルオーを知らない方が増えている印象があります。新しい世代にいかにコレクションの醍醐味を伝えていくのか、ということは館の課題のひとつでもありました。そこに田根さんの「ケアホルムの名作椅子に座ってルオーの名画を見られるようにしたらどうでしょう」というご提案があり、今回の貴重な機会が実現しました。
実際にケアホルムの椅子に座って、そのデザインの価値を体験してもらうこともできますし、ルオーの魅力を再発見することもできる。本展に関わってくださった様々な方の意見と協力が合わさった結果生まれた、当館初の企画展と常設展が一体となる素晴らしい試みになっていると思います。
──最後に、本展覧会を訪れる人に、おふたりからその魅力を伝えていただけますか。
田根 ケアホルムは本当にミニマルの極みまで到達したデザイナーだと思いますが、その精神を育んだのはデンマークの社会が持つ受容力だったのだとも感じます。ケアホルムはそれを内面化していた存在だということに気づかされました。その時代や社会から生まれた「本物」のデザインの力を体感してもらいたいですね。
川北 今回の展示は、身体的にケアホルムのデザイン哲学を体感できるように設計しています。会場を往復することで、ケアホルムの考え方が体にすっと入ってくる、そんな体験をしてもらえると嬉しいです。