【DIALOGUE for ART Vol.9】ダイナミズムの街、ニューヨークで紡ぐ内省的表現

「OIL by 美術手帖」がお送りする、アーティスト対談企画。ニューヨークで活動する岡安秀士とShino Takeda。アーティストになった経緯や手がけるメディアは異なるふたりだが、ともにニューヨークのダイナミズムを介した心象風景を表現する。街がかれらの制作に与える影響とは?

文=國上直子 撮影=GION

ニューヨーク、ブルックリン区の岡安のアトリエ付近にて。岡安秀士(左)とShino Takeda(右)

下積みと好機-それぞれを味方にした作家ふたりが出会うとき

岡安秀士(以下、岡安) 中学校の体育教師でサッカー部の監督をしていた父の影響で、小さい頃はサッカーに打ち込んでいました。その傍ら、祖父が上野の美術館に連れて行ってくれたり、同じく教師だった母が先取りで中学の美術の教科書をくれたりして、美術に親しむようになりました。その教科書にピカソの《ゲルニカ》(1937)が載っているのを見たときに「創造というのはこういうことなのか」と衝撃を受けたのを覚えています。その後、ユニクロやSupremeなどのファッションブランドがアートをグラフィックとして起用するのを見てアートへの関心が深まり、やがて自分もアートの分野で何か挑戦してみたいと、2010年に東京造形大学のグラフィックデザイン科に進みました。

岡安秀士

 大学3年生のときに村上隆さんのスタジオで制作に携わった際、村上さんのニューヨーク滞在時の話を聞いて、次第にニューヨークに興味を持つようになりました。そして、以前からチェックしていた松山智一さんのホームページをたまたま巡回していたときに、ニューヨークでのインターン募集を発見して、すぐさまメールを送りました。それをきっかけに松山スタジオで働くことになり、7年間勤めたあと、2021年に独立しました。

Shino Takeda(以下、Takeda) 私は映画『フラッシュダンス』(エイドリアン・ライン監督、1983)に感化されて、ニューヨークでダンスを学ぼうと1996年、20歳のときに渡米しました。当初は1年で帰る予定だったのですが、来てみたら自分の性格に合っていて居心地の良い街だったので、そのまま残っていまに至ります。ダンス学校卒業後は、レストランで勤務していました。もともと人と話すのが好きなので、この仕事が天職かと思うぐらいで、最終的にはマネージャーを務めるにまでなりました。ところが2010年に親しくしていた人たちが3人ほど立て続けに亡くなったのをきっかけに、人生いつ終わるかわからないから前からやりたかったことをやろうと思い立ち、陶芸を始めるにいたりました。母が陶器をたくさん集めていて、小さい頃から姉と一緒に献立に合うお皿を選ばせてもらったり、陶芸家さんの窯開きに連れていってもらったりと、陶芸を身近に感じていた影響が大きかったです。

Shino Takeda

 いま振り返ると、そのタイミングで始めたからこそ、ここまで続けられたように思います。当時はちょうど、陶器でも大量生産品ではなく1点ものの価値が見直されている時期でした。また住んでいたブルックリンが、新しい文化の発信地として脚光を浴び、女性クリエーターや工芸も注目を集めていました。さらに「日本人が手がける陶器」というイメージも手伝って、陶芸を始めて2年後にはレストランの仕事を辞め、専業で制作できるようになりました。

岡安 Shinoさんのスタジオと松山スタジオが同じ建物にあって、そこで挨拶を交わしたのが知り合ったきっかけでしたよね。それからスタジオに遊びに行かせてもらうようになり、さらにお家でご飯を御馳走になったりするようになりました。松山スタジオは、美術館やギャラリーに向けて制作をしていますが、いっぽうShinoさんのスタジオやお宅では、Shinoさんの作品が日用品として使われており、アートが生活に溶け込んでいたのが新鮮でした。また、制作のルールがきちっと定まっている松山スタジオと、直感的に制作を進めていくShinoさんの対比も刺激になりました。クリエイティブな作業は、しっかり進めるべきところもあれば、初期衝動に戻って楽しむといった緩急も大事だと思っているので、僕にとって1人目の師匠が松さん(松山智一)だとすれば、Shinoさんは後者のあり方を示してくれるもうひとりの師匠です。

Takeda  私たちは作風もメディアも全然違いますが、根が真面目で作品へまっすぐ向き合うところや、ヒップホップが好きでそれが作品の色使いに表れてくるところなど、秀士くんを見ていると、自分と似ていると思うところが多いと感じます。

共通の主題、異なるアプローチ

岡安 僕は現在、風景画をメインに描いていますが、絵を描いているときはつねに丹念に観察したものを平面上に「記録」するという行為と、制作していくなかで自分が感じ取った部分を再構成する「編集」するという行為を意識しています。

 ニューヨークの日常のなかで美しいと思う光景をよく目にするのですが、そこで何を美しいと感じたのかを紐解いていくと、例えば夕暮れ時に様々な人々が行き交うなか、親子で手をつなぎながら歩く暖かい要素もあれば、そのすぐそばで佇むドラック中毒者やホームレスの姿など、そうではない要素も含まれています。このように様々な要素が共存するひとつの美しいシーンに生まれる調和とカオスを、自分の視点でどのようにとらえるかが自分の絵の主題です。というのは、風景画を通じてその均衡状態を表すのに、見た風景をひとつの方向で写生するだけでは自分がとらえたい空気感は表現できないからです。

 制作過程では様々な要素の検証を繰り返し、ポジティブなものとネガティブなもののあいだの微妙なバランスを調整しながら、もうひとつの世界を再構築していきます。

数々のドローイングが並ぶ。蓄積した日常の膨大な記録のなかから、画面のなかに再構築する岡安、次は何を描くのだろう
雑多なようで規則的に並ぶ作品道具やオブジェは、岡安の几帳面な正確を表しているようだ

Takeda 私の場合、作品は日記のような媒体で、気がつくといま周囲で起きていることや考えていることが、そのまま反映されています。例えば、夏場に友人たちが海に行っているあいだに制作していると、青系の作品が出揃ったりして、本当は自分も海に行きたかったのだと後からわかったりするんです(笑)。多くの場合、作品に着手する際、事前の案はありません。カップにしようかと思ったけど、ちょっと大きくなったから花瓶にするという具合です。絵付けは40色ぐらいのチョイスのなかから、何も意識せずに色をのせていき、残り20パーセントぐらいになったら、そこから見えてくる絵を引き出すような感覚で仕上げていきます。制作の大部分は、流れに任せて気の向くまま進めますが、終着点が見えたら潔く完成させます。年間に1000個ぐらい制作するものの、自分が何百年も前のアンティークをコレクションしていることもあって、後世まで大事にされる作品を意識して制作しています。

Takedaは丸いかたちを好む。その意を問うと、やさしさやあたたかみを感じるからだと言う

 普段の身の回りで起こる事象を主題にするという点は、秀士くんと共通していますが、時間をかけて作品を構成する秀士くんと、気がつくと作品に表れているという私では、アプローチの仕方がずいぶん異なりますね。

混沌の時代に向き合うための新しい試み

岡安 この作品《Whisper of the Midnight みみをすます》は、友人がくれた谷川俊太郎の『みみをすます』(福音館書店、1982)という詩集にある同名の詩がメインテーマになっています。これまでモチーフを描く際にほかの作品を参照することはありましたが、メインテーマをどこかから借りてくることはなかったので、本作は新しい試みになります。この詩は、夜寝る前に耳を澄ましているといろんな種類の足音が聞こえてくるところから始まり、やがて様々な場所や時代から音が聞こえてくるようになります。本作では、自分の意識が身近なものから時空を超えて変移していく様子を表現しようとしています。

岡安秀士《Whisper of the Midnight みみをすます》(2022)。取材時には、10月29日から銀座 蔦屋書店で開催される個展「みみをすます/ Whisper of the Midnight」へ向けて鋭意制作中であった

 この絵は西洋画のフォーマットなので、本来であれば時間が左から右へ進むよう設定されるべきなのですが、あえて日本の絵巻物のように右から左へと時間軸が流れるつくりになっています。右側では、近所のデリの周りに集まる人々の姿を描いており、このあたりは洛中洛外図のような構成にしています。左のほうに進むと、僕の家とアトリエが混ざった風景があって、画面の中央で眠る人物は妻がモデルになっています。画面の左側にあるのは、好きでよく通っているロッカウェイ・ビーチの風景です。古い武器庫や廃墟が多くありグラフィティ・ライターたちが訪れる場所で、廃屋の屋根にある砲弾の穴にはウクライナ戦争のイメージを重ねています。

 作品にいろいろなイメージを取り込む際、ヒップホップのサンプリングや、コンテンポラリー・アートのシミュレーショニズムやアプロプリエーションの手法を意識していて、その点は松山さんの影響を強く受けていると思います。オリジナル素材への憧憬を表現するのではなく、あくまでも表現したい世界観の一構成要素として冷静に取り入れて、それらをいくつも重ねていきます。自分がいま生きている世界の空気を表現するのには、この手法が一番しっくりくると感じています。

岡安秀士《Whisper of the Midnight みみをすます》(2022)(部分)

Shino この作品《あの土地に星と緑を》は、もともとまったく違う目的でつくり始めたものでした。以前勤めていたレストランが「ブルーリボン」と言うのですが、生前お世話になったオーナーの名を冠した新店舗の開店祝いの作品のつもりでした。お店の名前にブルーと入っているので、青を使うことは決めていましたが、そのときにちょうどウクライナで戦争が始まったことで気持ちが完全に逸れてしまい、気が付いたらこの色を付けていました。作業中に坂本九の「上を向いて歩こう」を聞いていた影響もあり「ウクライナで星や緑がまた見える日が来るといいな」といった気持ちが浮かび、この作品に投影されています。

左から、Shino Takeda 《空高く》(2022)、《あの土地に星と緑を》(2022)

 写真右側の作品《あの土地に星と緑を》は、電気窯でほぼ予期した通りに色が出ますし、ガスや薪に比べるとかなり発色が良いので、色をたくさん重ねたい私にはすごく合っています。写真左側の作品《空高く》は、陶器の種類としては、Raku-firingと呼ばれるガスで焼くもので、日本の楽焼とはまったく異なります。Rakuならではのひびが絵の一部となるところや、2時間ほどで焼けるという大雑把さ、スピーディーさが、ニューヨークらしくて気に入っています。表面のひびは焼いているうちに出てくるもので、こうした自分ではどうにもできない要素があるなかで、どれだけ自分の表現ができるのかが新しい挑戦でもあります。

多文化都市ニューヨークのエネルギーとコントラストがもたらす創造的内省

Takeda ニューヨークには移民や観光客など多くの人が集まってきますので、その街の吸引力にずいぶん恩恵を受けていると思います。私の場合、たくさんのコレクターさんがニューヨーク観光のついでにスタジオ訪問をしてくださり、私の人となりを見て「作品はあなたそのもの」と言ってくださったりします。そのたびに、作品を深く理解してもらえたという実感が湧くので、自分にとって大切な機会となっています。また、私がニューヨークで陶芸をしていることを知った額賀章夫さんがディナーパーティーにたまたま居合わせて、その後スタジオに来てくださるなど交流が生まれたりもしました。ニューヨークにいたからこそ得られたつながりが数多くあり、それらがいまの制作活動を支えてくれています。

Shino Takeda

 そしてニューヨークの街が持つエネルギーというのが、私の作品の根源的な主題になっています。ニューヨークでは、ヘッドフォンで音楽を聴いていても、誰かが怒鳴り散らす声や車のクラクションなどが容赦なく耳に入ってくるのですが、その雑多な音の集合体が街のエネルギーを体現しているといつも思っています。普段はいろんな人種がそれぞれのコミュニティで棲み分けをしているものの、9.11やコロナ禍のように街が危機的状況に陥ったときには、人種の垣根がいっきに取り払われ、街が一丸となって乗り越えていくのを見てきました。こうした一致団結したときに見せるすさまじいパワーがニューヨークの特徴であり魅力です。私は、作品の絵付けではあえて親和性の低い色を重ねたりするのですが、それは一見ばらばらの色同士が合わさって生まれるダイナミズムを通して、ニューヨークのエネルギーを伝えたいと思っているためなんです。

岡安 僕は日本にいたときからヒップホップなどを通じて、黒人文化に興味を持っていました。実際こちらに来て、黒人のルームメイトから語られるアメリカの歴史などを知ることで、それまでの自分の理解がいかに表面的だったかがわかりました。社会問題や人種による差別や衝突など、ニューヨークには暗い側面があります。それに対して人種を超えた団結が起こるのを実際に目にしたり、プロテストに参加してみたことで、この街が持つ多様性の幅広さ、そしてそこから生まれる陰と陽のコントラストは、ほかの都市に比べてもとりわけ強いのだと感じています。

 この街が抱える矛盾というのは、ひいては自分の内面の写し鏡のようでもあり、自分が描いているのは風景画ではなく自画像ではないかと感じることもあります。また多文化都市にいることで、「自分にとっての当たり前」が当たり前ではないと痛感します。例えば、ひとつのモチーフを作品に取り入れようとするとき、他の文化ではどのような意味合いを持つのかなど、念入りに調べるようになりました。ニューヨークは、内省や多角的視点をなかば強制的にもたらしてくれる場です。自分の作品はここに来る以前とは大きく変わりましたし、いまも変化し続けています。

シノさんは僕にとって「ニューヨークのお姉さん的存在」と話す岡安。家族のような存在が近くにいることは、日々変化の激しい街で、変わらぬ心強さとなるのかもしれない

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