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原発事故後の世界を描いた問題作『STOP』公開。鬼才キム・ギドク監督インタビュー

1996年に『鰐~ワニ~』でデビュー以来、『悪い男』『春夏秋冬そして春』『うつせみ』など数々の作品を世に送り出し、ベルリン国際映画祭やヴェネチア国際映画祭での受賞をはじめ、国際的に高い評価を受けている映画監督、キム・ギドク。その最新作であり、日本での上映が困難とされてきた問題作『STOP』が、5月13日から日本で公開される。2011年の東日本大震災にともなう福島第一原子力発電所のメルトダウンをテーマにした本作は、キム・ギドクが監督・撮影・照明・録音をすべて一人で行った執念の作品だという。公開を前に来日した監督に、本作について聞いた。

文=飯田高誉

映画『STOP』より

 韓国社会の闇や矛盾、歪みを様々な虚構の物語や登場人物に投影して、暴力や欲望、贖罪などを通して描き出し、人間存在そのものに内在している不条理、善と悪を行き来する両義的な人間の闇の深さを浮かび上がらせていく映画監督キム・ギドク。2015年制作の映画『STOP』の日本公開前に彼に会ってインタビューする機会を得ることができた。昨年から今年にかけて日本で連続的に公開され話題となったギドク監督による2本の映画作品『殺されたミンジュ』(2014)と『THE NET 網に囚われた男』(2016)を筆者は見ており、その映画の印象が鮮烈に残っていた。

 『殺されたミンジュ』は、韓国における民主主義の閉塞状況を訴え、このような過酷な社会状況下にたたずむ人間たちが、いつしか善悪の彼岸を越え、深層心理に巣くう不条理をキム・ギドク独特の手法で剔出したものであった。いっぽう『THE NET』は、朝鮮戦争以降南北に分断された朝鮮半島の根深い問題の内実を北朝鮮の一人の漁師を通して描き、国家権力に押し潰されていく市民の姿を浮き彫りにしたものである。これら2本の作品は、韓国内の問題にとどまらず、日本の民主主義の存立の危うさや国家権力を暴力装置化しようとする安保法制や憲法改正への動きと重ねていくと我々の身近な問題としてとらえられる。しかし、キム・ギドクは、たんなる社会派という枠で収まるような映画監督ではなく、一人の人間の視点(弱者)を立脚点にして描き続けている。

 『STOP』は、東日本大震災時に起きた福島第一原子力発電所のメルトダウンによる放射能汚染をテーマとした作品で、日本では「第26回ゆうばり国際ファンタスティック映画祭」(2016)のプログラムとして上映されて以来、幻の作品となっていた。この映画は、日本で起きた原発事故というタブーに切り込むということもあって、いつもの製作クルーとではなく、監督本人が「丸腰で」(行定勲監督)一人来日し、日本でのオールロケで撮り続け完成させたという。この作品は、原発問題というタブーに真正面から切り込んだものなので、様々な困難が立ちはだかったが、今回ようやく公開に漕ぎ着けることとなった。

 来日したキム・ギドク監督本人に会い、映画『STOP』を撮ることとなった動機、そして、今までとは異なる独自の撮影方法、さらに公開までの険しい道程について語ってもらった。

映画『STOP』を撮影するキム・ギドク監督

原発事故というタブーを映画化するということ

 都内のマンションの一室に、キム・ギドク監督が控えているということで、編集者と一緒に赴く。髪を無造作に束ねたキム・ギドク本人が快活に笑顔で現れ、握手で歓待してくれた。モノをつくる人の手の厚みと包み込む力強さを感じた。まず、この映画をつくることになったモチベーションやミッション、そして製作方法についての質問から始める。

 「福島の原発事故が起こったエリア近くまで一人でロケハンに行きましたが、現地での撮影はいろいろな困難が予想されたので、撮影は東海原発エリア(1999年に東海村JCO臨界事故が発生)と千葉で決行しました。私は一人三役で照明、撮影、美術を担当したのです。このような限定された条件のなかで、俳優自ら演出スタッフの役割を担ってくれました。福島の原発問題は、たいへん微妙な問題が含まれており、プリプロダクションから一人で製作することにしました。“3.11”が起きたとき、多くの人が津波にのまれて亡くなられたこと、さらに、原発事故によって立ち入り禁止区域が設定され、避難民となった人々のことに胸を痛めました。人類の未来を予言するような災厄であり、地球の今後を占う予告編だと考えたのです。それなのに原発の建設は続行されております。そして、3.11以降稼働停止状態だった原発が再稼働し始めているのです。この状況に対する警告は急務だと考え、映画を撮ろうと現地入りしました」。

 日本人俳優の選考にあたって、映画では原発事故というタブーと対峙することとなるので、キャスティングが難航し、候補となった何人かの俳優は、映画出演することに慎重であったようだ。そのような事情もあって、自ら出演希望した俳優たちの出身は、テレビや映画界ではなく演劇界となったようだ。

日本における映画公開の困難と撮影方法

 収束の目処が立たず、むしろ深刻化している原発事故という大問題を題材にしているので、当然、日本での公開が望まれたが、公開に漕ぎ着けるまでには紆余曲折があったようだ。映画の完成後、「カルロヴィ・ヴァリ国際映画祭」(チェコ)をはじめ、「釜山国際映画祭」や「北京映画祭」など多数の映画祭に招待され評価が高まっていた。日本では唯一「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭」(北海道)に招待されたが、その後の日本での公開が阻まれ、危うく幻の映画になるところだった。この映画がクランクアップしたという情報を得たとき、筆者も日本公開を強く望んでいたが、日本全体にマスメディアをはじめとして自由な表現に対しての萎縮ムードが蔓延しており、公開は不可能ではないかという憶測が飛び交っていた。

  「『東京国際映画祭』『東京フィルメックス』などでの紹介が難しかったのです。プロデューサーの合アレンさんが日本での公開へのプロモーションを粘り強く推し進めてくれました。日本の言論界の状況を鑑みると、日本の方々や俳優に対する配慮などがあり、なかなか公開までの道程が険しかったのです。また、韓国人の私が、他国であるフクシマの原発事故を題材にした映画を製作して申し訳ない、という思いがありました。しかし、『ゆうばり国際ファンタスティック映画祭』では、むしろ、観客や関係者たちから『よくつくってくれた! 監督の勇気を讃える』と声援を送られたことで、むしろ勇気づけられました。皆さんにたいへん感謝しています。ただ、映画の技術的製作方法が未熟だったことは自覚しております」。

映画『STOP』を撮影するキム・ギドク監督

 映画の技術的製作方法について監督が言及したが、むしろ、監督の手持ちカメラによって撮り手の視点と観客の視点と間の距離感がなかったことで、むしろ双方の視点が密接に結びつき、あたかも監督の息づかいさえも聞こえるかのような臨場感あふれる新たな映画製作の方法論を提示し、開発したのではないかと筆者から監督に問い直した。

 「あなたがそのように理解していただいたことに感謝します。あたかも釣り竿のようなポールに撮影機材一式(カメラ/録音/照明)を取り付けて被写体に迫って撮影できたことは、フットワークが良く動きやすいという利点があったのです。また、映画が撮りたくても、資本、機材の問題で、映画を撮れない若い映画人が、この方法論に鼓舞されてくれれば嬉しいのですが」。

 続けて、「この撮影方法を『キム・ギドク カメラ』と称して、日本のメーカーにカメラを開発していただきだい(笑)」と付け加えることも忘れなかった。

映画『STOP』より

おぞましいものを映し出す鏡としての映画

 キム・ギドクの作品は、人間の魂や心理的に潜在しているおぞましいもの、つまり、自らの中にあるタブーを浮かび上がらせる手法によって、観客一人ひとりにある種の戦慄を抱かせることがある。すなわち、観客自身も気がつかないもう一つの潜在的セルフ・ポートレートが浮かび上がってくる。スクリーンと観客の境界線が崩壊する、つまり、自らを映し出す鏡としての映画なのだ。今ほど、日本人が自身と対峙しなければならない時期に来ているのではないかということを、ギドクの作品は鋭く示唆している。この『STOP』の公開が大幅に遅れた原因は、先ほども述べたとおり、日本における表現の自由の危機的状況と関係している。現政権によって提出された特定秘密保護法や共謀罪法案などと深く関わっている。今我々が直面している表現の危機に対して、萎縮している場合ではなく、自ら自由を獲得しなければならず、さらに人間存在のおぞましさと権力構造の関係性を芸術によって照らし出すことを時代精神が要請しているのではなのだろうか。このようなことを質問すると、監督は以下のように語った。

 「私の映画に対する大切な部分を見いだしていただき嬉しいことです。先ほど、息づかいが聞こえると仰ったが、お陰でこの映画への私の思いをストレートに伝えられていることを確信できました」。

 『STOP』で描かれているフクシマの立ち入り禁止区域は、タブーであると同時に聖域であるかのように思えてくる。逆説的な言い方をすると、どんな悪辣な政治家でも権力者でも原発のメルトダウン事故をいますぐに収束させることなどできず、制御不能に陥った状況に立ち尽くすだけなのである。だからこそ重大な問題なのである。

 『STOP』のフクシマの禁止区域の描写は、タルコフスキーの『ストーカー』(1979)のなかで出現した「ゾーン」と重ね合わせてみると興味深い。この地上に忽然と現出した不可解な「ゾーン」に禁を犯して踏みこむ3人の男たちを通して、現代の苦悩と未来の希望を探り、現代人の生き方を問いかける。チェルノブイリ原発事故(1986)の前に製作された映画であったが、あたかもこの大惨事を予見したかのようで、現代の解決できない様々な難題(アポリア)を浮かび上がらせた。優れた芸術は、時代精神を先取りし映し出す。

映画『STOP』より

虚構と現実の交錯によって生み出される映画の真実

 筆者がタルコフスキーに言及した私見をキム・ギドク監督に述べると、以下のような応えが返ってきた。

 「この映画では、実話でもなく、虚構でもない。ましてやドキュメンタリーでもない。何かアイデアを構想しなければならないと考えました。フクシマという過酷な現実を抱えた地域には、悲しみのエネルギーが充満しています。この映画を製作するにあたってどんなストーリーにしたらいいのか悩みました。そして想像力を働かせたのです。放射能が漏れ出て地域全体が汚染されていく。そのことに着想して、いくつかのエピソードを想像してみました。例えば、原発事故で汚染された地域の鶏肉を地元の青年が捌いて都心の焼き鳥屋に密売すること。また、立ち入り禁止区域に住み続けて狂っていく妊婦、そして死産となった奇形児。電力という怪物に支配されている世界を解放するために電線を切断するとういう直接的行動。政府関係者と思しき人物が、妊娠している子供を堕胎させて、その遺伝子を絶えさせようとする、などといった逸話を設定したのです。ショッキングなことですが、自ら予見したこれらのエピソードをちりばめてストーリーを構築し展開していったのです」。

映画『STOP』より

 「そして、本作で私の考えたもっとも恐ろしいことは、福島原発5キロ圏内に居住し、震災後に東京に移住した主人公である妊娠中の妻と写真家の夫のあいだに誕生する子供が、放射能の影響で1000倍の聴力を備えた超能力者であるという設定です。この夫婦は身体的奇形児が生まれてくるのではないかと悩んでいましたが、子供は身体的外形に問題はなく、しかし常人の何千倍もの聴力をもった超能力者であったことです。これは、いちばん怖いシーンだと思うのです。この子供は、地震の地響きを聞き取りいち早く察知することができるのです。また、国が住民の声を聞いていないのではないか、というメタファーでもある。国が人々の声を聞かないというのは、社会がとても不健全であることだと思います。ただし、映画のシーンは事実と異なり、原発事故により発生しうる様々な状況を私自身の想像力によって、映画的な葛藤を設定するために描いたものです」。

 緊張感のあるインタビューが続き、ふとした瞬間に監督の手に目がいき、筆者はこの監督の少年時代に想いを馳せていた。握手を交わしてから、インタビューのあいだ、無意識に彼の手の存在感に魅せられていたようだ。それを察知してか、監督は自身の過去について聞かせてくれた。

 「私は工場労働者だった。そこでたくさんの人生と交わり、多くを学びました。私の手はいつも何かをつくっているから手が荒れているのです。爪にも油が入っていますよ。最近は、暖炉をつくっています。(つくった暖炉の写真を見せながら)暖炉は電気を使わずに使えますからね。シナリオを書いていると、頭ばかり使っているので、体を動かすことも大事にしています。十代の頃、工場労働者だった時代の習慣をいまも続けているのです。この経験が映画をつくる土台になっています」。

 そして最後に、今後取り組みたいプロジェクトについて聞いた。

 「最近はいままでつくってきた映画の方向性とは違ったものを構想しています。今後は、人間と時間、そして空間を題材にして、人類の過去、現在、未来をテーマにした映画をつくろうとしています。残酷な映画になるかもしれません。例えば、人肉を食べる、人が焼け死ぬなどは、人間的視点に立つとたいへんショッキングな描写です。しかし大自然から人間の営みを俯瞰すると、人間は自然のダイナミズムの循環の一部であるのでしょう。そんな映画を構想しているのです。楽しみにしていてください」。

 このように和やかに語った後、筆者が最後の最後に、「あなたにとって映画とは?」という問いかけに対して応えてくれたのが、次のメッセージであった。

 「映画を撮るということはずっと夢を見続けること、そして人間の秘密を解き明かすものである」。 

キム・ギドク監督。都内にて

編集部

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