「クィアネス」とはなにか、そして「クィア的空間」という問い
──ここで改めて伺いたいのですが、マンボウにとって「クィア」とは、何か定義づけできるものなのでしょうか。
じつは、台湾で大規模な個展を終えた直後、もう疲れてしまって、「クィア」という二文字をもう口にしたくないと思ったことがありました。
台湾で「クィア=酷児(クーアー)」という言葉は、当時あまり一般的ではなく、しかも「酷(クール)」という漢字と同じ音を持っていたために、誤解を生むこともありました。つまり、つねに「クィアとは何か」を説明しなければならず、すればするほど定義が固定化され、枠組みに縛られていく。そのことに違和感を持つようになったんです。
それ以来、ある時期は「クィア」という言葉をあえて使わず、パーティーや音楽、彫刻などそのラベルのつかない活動をしていた。見た人が「これはクィア的だ」と感じるなら、それでいいと思っていました。
ただし、今回のPARCO MUSEUM TOKYOでの展覧会において私は、「自分は何を伝えたいのか」という本質に向き合うなかで、この言葉を避けることはできないと気づきました。
いま、僕が共有したいのは、「クィア」という言葉は、他者との違いを分類・分断するための名詞ではなく、お互いのマインドを開いていくための鍵であるということ。それが僕にとっての「クィアネス」の根本です。

──いま、「クィア・アート」という言葉が名詞化されつつあるけれど、マンボウがおっしゃったように、「クィアネス」とは心を開くことだというとらえ方にはとても共感します。それはまさにアートの使命とも重なっている。
今回の展覧会は、自己表現としてのファッションを提案してきた「パルコ」での開催ということもあり、マンボウの表現に、ファッションという領域はどういう影響を与えているのかについても伺いたいです。
ファッションは、僕にとってある種の「コミュニティのあり方」だと思っています。例えば、お互いの好みや系統、何に惹かれるのか──それを自然と観察し合うなかで、センスについて語り合える。その人が身につけているものを“鑑賞”できるというのは、まさにクィア的な関係性のひとつだと思うんです。
──最後に、これから先、どんなことをしてみたいかについても教えてください。
現在の自分の関心としては「キュレーション」に力を注いでいます。これまでの個人から、他者と創造するプロジェクトへと移行してきています。「HOMO PLEASURE」というコレクティブでも活動をしているのですが、次は台湾最北端の港町・基隆(キールン)の魚市場で展覧会をする予定です。そこでは、集団的な創造、とくにクィア的な共同性を、空間のなかにどう実現できるかに取り組んでいます。
この「クィア的空間とは何か?」という問いは、僕のいまの関心のひとつです。いわゆるオルタナティブ・スペースも、広い意味ではクィア的と言えるかもしれません。空間の在り方、そこに流れる時間や関係性そのものが、じつはまだまだ語られていない豊かなポテンシャルを秘めていると感じています。
このコレクティブを通じて、これまでの「アーティスト」の枠を超えて、例えばスタイリストやネイリストなど、ほかの領域で活動している方々とも協働しています。
そのなかで、それまでは僕には馴染みのなかったメディアも、表現の素材として浮かび上がってくるようになって。そこから新たな化学反応が起きることを期待して、今後はこのキュレーションという実践にも、より深く取り組んでいきたいと思っています。




















