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2022.7.30

15周年を迎えた国立新美術館はどこに向かうのか? 逢坂恵理子館長に聞く

2022年で開館15周年となる国立新美術館。2019年に着任した館長・逢坂恵理子に今後の抱負を聞いた。

文・聞き手=浦島茂世

逢坂恵理子・国立新美術館長 撮影=編集部
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転機となったパンデミック

──逢坂さんが館長に就任してからまもなく丸3年になろうとしています。

 光陰矢の如しの3年でした。2019年10月の着任当初は横浜美術館の館長と兼任していたため、みなとみらいと六本木を往復する忙しい日々でした。2020年の3月に横浜美術館の館長を離れ、国立新美術館専任となったのですが、ご存知の通り新型コロナウイルスの影響でどちらの美術館も休館。退職の挨拶も、着任の挨拶もきちんとできていないまま、現在に至ります。

──国立新美術館と、逢坂さんがそれまで勤務されていた館とでは異なる点はありますか?

 それぞれ一長一短あり、館によって大きく異なります。国立新美術館は、新聞社やテレビ局が共催者となり、大規模な予算で大規模な動員を狙う、いわゆるブロックバスター展を数多く手がけてきています。展覧会のつくり方で言えば、現代美術に特化した市立の水戸芸術館現代美術センターと私立の森美術館では、自前で展覧会を企画制作し、マスコミの方々と展覧会をつくることはほとんどありませんでした。横浜美術館はマスコミとの共催で展覧会を手がけるのは年に1〜2本のペースでした。

 予算の組み方も異なります。横浜美術館の場合、公益財団法人横浜市芸術文化振興財団が指定管理者として10年の契約を結び、その期間内で見通しを立てて運営してきたので、年度を越えた長期的な計画ができますが、国立新美術館は、単年度会計。数年前から計画していても、はっきりしたことを皆さんにお伝えできるのは直前になることが多くもどかしいところです。

 採算を考慮すると容易ではないとはいえ、小さな自主企画展などをつくる機会も設けていきたいですね。

逢坂恵理子・国立新美術館長、館長室にて

──ブロックバスターを多く手がける国立新美術館にとって、新型コロナウイルスの流行は大きな影響を与えました。

 海外からの人の移動や作品輸送がままならず、開催予定だった企画展や、全国各地から出品者が集まる公募展が中止になるなど、来館者数も収支でも大きく影響を受けました。けれども、今年に入ってこのところようやく美術館に人が戻ってきてくれたと実感しています。

 先日まで開催されていた「メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年」は、私が国立新美術館の専任館長になってから初めて実現できた海外展でした。来館者の方々もしびれを切らしたかのように来館してくださいましたね。「ダミアン・ハースト 桜」も、東京の桜の開花時期に合わせてタイミングよく開催できたので、若い世代を中心に幅広い層の方々がたくさん来てくださいました。

 ただ、今後も新型コロナウイルス対策は引き続き行わねばなりませんし、主催者の経済的な体力、そして海外輸送費の高騰などがあり、ブロックバスター展はいままでのようなかたちで行うことは困難になりつつあります。ですから、私達も変わらざるを得ない転換期であることは確かです。

「メトロポリタン美術館展」より、左からカラヴァッジョ《音楽家たち》(1597)、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの《女占い師》(おそらく1630年代)
「ダミアン・ハースト 桜」展より
国立新美術館

必要なのは美術館に対する考え方と制度改善

──国立新美術館だからこそできることはなんでしょうか?

 国立新美術館の企画展示室は、壁がまったくない2000平米の空間です。展覧会ごとに仮設の壁を設置しますが、壁を立てずに使うこともできる。じつはこの大空間は、アーティストから非常に魅力的であるという言葉をいただいています。国立西洋美術館や、東京国立近代美術館、京都国立近代美術館は、展示室の空間だけを見ると大がかりなインスタレーションを配置して展示するのは少々難しい傾向があります。とくに巨大な現代美術作品は、天井高も必要です。その点、新美術館の天井高は8メートルあり、空間に余裕があります。この空間を生かした新美術館だからこそできる展示を積極的に造っていきたいです。

 また、多様性を示すことも国立新美術館の使命のひとつと考えています。いわゆる美術作品だけでなく、ファッションやアニメ、デザイン、建築などの展覧会をこれからも開催していきます。

──たしかに2020〜21年の展覧会はファッションや広告・デザイン、特撮・アニメと多種多様でした。

 東京オリンピック開催に伴い、様々な日本文化を見せようという国の方針、日本博に対応して、ラインナップが決まりました。日本がテーマの展覧会でしたので、海外から作品を借りずにすみ、コロナ禍で会期をずらす必要はありましたが、その結果、予定していた展覧会を実現できて胸をなでおろしました。

「佐藤可士和展」(2020)より 
「ファッション イン ジャパン 1945-2020 —流行と社会」(2021)より、「A BATHING APE®」や「UNDER COVER」のコレクション
「庵野秀明」展(2021)より、『新世紀エヴァンゲリオン』(1995)の資料展示

 地道な作業に裏付けされているアーカイヴ事業も、国立新美術館の特徴ある活動のひとつです。アートライブラリーとは別に、評論家やギャラリストなど個人が収集した資料や写真、文書などを散逸しないように受け継ぎ、整理、分類して活用に資するようにしています。資料の利用者は研究者の方々が中心ですけれど、図録や書籍にはないこうした記録は、時代の証言としてとても貴重なんです。 

 教育普及にも力を入れていきたいですね。障がいを持っている方たちの鑑賞の機会を増やしていきたい。国立新美術館は、乃木坂駅から直接車椅子でお越しいただけるんですよ。車椅子に限らず、視覚障がい者の方などにも鑑賞していただきたい。先日、OriHimeというロボットを使って、外出が困難な人たちのための鑑賞会を行いました。家族の方に美術館に来てもらって、家にいる鑑賞者と連携し、話しあいながら鑑賞してもらう。少人数でもこういう機会を意識的に設けてゆきたいと思います。 

──国立新美術館だからこそできることは沢山あるんですね。

 先日から13歳~18歳を対象にした「新美塾!」という”表現”を学ぶ塾が始まりました。アーティストの下道基行さんを塾長に、美術館の裏側見学や、オンラインとオフラインのミーティングなどを重ね、クリエイティブな視点や発送につながる何かを見つける半年間の講座です。

 単発のワークショップではなく、時間をかけて対話し、アーティストからのミッションにより活動することで、表現するということはいったいどういうことなのかに気づいてもらう。どちらかというとハードよりはソフトを刺激する体験を重ねてもらう企画です。

 「横浜トリエンナーレ2014」でも、森村泰昌さん発案による中高生のワークショップを実施しました。中高生たちが身の回りにはいない自由な発想の人と触れ合うことで新たな学びの世界につながる。また、美術の好きな子たちがいろいろな学校から集まるのもよかったですね、その頃の年齢で美術好きはクラスのなかでは少数派なんですけれど、同じような子たちがいることを知るだけで自己肯定にもつながる。様々な相乗効果もあって、毎年実施するようになったんです。新美の教育普及グループもアイデアを練り、今年から10代に焦点をあてた新企画に挑戦することになりました。

──それまでの逢坂さんの経験が新美術館の新しい方向性に活かされているんですね。

 美術館も効率や成果、数値的価値を求められていて、無視はできない状況にありますが、そのいっぽうで非常にアナログ的で曖昧な要素も私たちの生き方や多様な価値観の受容もいままで以上に必要になると思います。美術館を中長期的に継続するには、次の若い世代を育てることも本当に大切。だから、教育普及は根本的な活動だと実感しています。欧米では美術館が社会のなかに根付き、市民が支えていると感じますが、美術館の学芸員はもとより、多様な専門家の配置や職員数の多さは日本とは比較になりません。こんなに大きい当館の正職員数は17名。美術館が様々な分野と協働できる、かけがえのない組織となるには、あまりにも弱小です。

 未来が描けない混沌とした世界状況のなかで、対立を回避して多様性を受け入れるうえでも美術館の存在意義はより重要になっていくと考えているので、美術館が社会のなかで生き生きと活動できるようにするには、日本の美術館に対する考え方と制度改善が必要で、そこをなんとか変えていきたい。25年間言い続けているけれどいまだに犬の遠吠えなんですが。

──そのような状況で、国立新美術館は創立15周年を迎えました。

 2022年1月21日に国立新美術館は15周年を迎えました。1月はまだコロナ感染拡大傾向にあり、式典など人が集まる行事ができませんでした。2022年度全体を通して大々的な行事を行いたくても、計画段階ではコロナの収束状況が読めません。そこで、8月に開催する李禹煥の個展に注力することにしました。

──なぜ、李禹煥なのでしょうか?

 李禹煥は1960年代から「もの派」のアーティストとして頭角を現しました。そして年を追うごとに自分自身の表現を追求し、さらに彫刻や絵画、版画と、創作と発表の幅を拡張して国際的評価を高めてきました。近年、海外ではヴェルサイユ宮殿やニューヨークのグッゲンハイム美術館などで個展が開催されていますが、東京の美術館ではじつは彼の個展は開催されていません。首都圏に広げると2005年の横浜美術館「李禹煥 余白の芸術展」が最後です。国内外で活躍を続けている李禹煥の業績を振り返る展覧会が必要だと考えました。

──東京の美術館での初個展となるわけですね。

 最初期作品の連作《風景》から最新作までを網羅的に58点の作品を展示予定です。彼の個展を、このタイミングで国立新美術館で実現できることは大変意義深いことだと思います。12月には兵庫県立美術館にも巡回します。朝日新聞社にも協力していただいていますが、従来のブロックバスター展のようなかたちではなく、美術館側が主体となって両館の学芸員が協働し準備してきた展覧会です。初めての回顧展で、多くの方に見ていただきたいと思っています。

──多くの方に来ていただきたいですね。

 あわよくば、インバウンドも。8月以降、コロナ禍や世界の政治経済がどのような状況になるかわかりませんが、入国が緩和されれば、この展覧会に海外からもたくさん来てくれるはずです。海外の方にも満足していただけるような、国際的に評価されるような展覧会にすべく、調整を重ねています。講演会やシンポジウムも準備しています。どうぞご期待ください。