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2021.5.23

市民が自らの財産だと思えるコレクションを。千葉市美術館新館長・山梨絵美子インタビュー

2021年4月1日に千葉市美術館の新館長に就任した山梨絵美子。東京文化財研究所で30年以上にわたり近現代美術の研究に従事し副所長も務めた山梨は、千葉市美術館にどのようなビジョンを見出すのだろうか。

聞き手・構成=安原真広(ウェブ版「美術手帖」編集部)

山梨絵美子
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──山梨館長は千葉市美術館の館長就任以前は、長く国立文化財機構の東京文化財研究所で勤務をされてきました。具体的にこれまでどのような仕事に従事されてきたのでしょうか?

 東京文化財研究所は、もともと洋画家の黒田清輝の遺言でできた帝国美術院附属美術研究所が母体となっています。私が所属していた研究室は黒田記念館の作品や、近代洋画の調査研究、『日本美術年鑑』の刊行などをおもな仕事とするところでした。

 また、2011年の東日本大震災の折には、被災文化財のレスキュー活動などにも携わり、16年に副所長になってからは、日本近代美術のみならず、有形・無形の文化財の保存に関する調査研究などにも関わってきました。

千葉市美術館のエントランス

──専門は高橋由一や黒田清輝といった日本の近代絵画です。どのように興味を持ち、研究者としての道を歩まれたのでしょうか?

 学生時代は美学を修めるか美術史を修めるかで迷った末、より実作品に触れる機会が多く、実証性が豊富な美術史を選びました。私は秋田市の出身なのですが、秋田には藤田嗣治の稀代のコレクターである平野政吉のコレクションを中心とした平野政吉記念美術館があり、同館に長く親しんできたので、卒業論文では藤田を扱いました。藤田は日本美術の手法と洋画の手法の融合を目指した画家ですが、その原点的な存在として、修士論文では高橋由一をテーマにしています。

 その後、技法や材料による表現可能性をより追求するために、修復やテクニカルヒストリーをテキサス州立大学で学びました。アメリカの美術史は、ヨーロッパへの留学で受容した美術を、自国の美術にしていくという歴史背景があり、日本の美術史と似ている部分もあります。日本の近代美術を考えるうえでも、比較研究の対象としてとても興味深かったですね。

──「没後100 年記念東京国立博物館所蔵高野コレクション 浅井忠展」(2005、日本橋高島屋ほか)や、「生誕150年 黒田清輝展」(2016、東京国立博物館)など、展覧会のキュレーションもされています。

 東京文化財研究所では黒田記念館の運営や貸出もおこなっていました。当時は国立の美術館がまだ地方巡回展を開催していたころだったので、黒田記念館が持っているものを貸し出し展示をする事業を担当していました。また、東京国立博物館の高野コレクションとのつながりから、浅井忠の展覧会をキュレーションさせていただいたり、また黒田清輝の生誕150周年となる2016年には、東京大学の三浦篤教授とともに、「生誕150年 黒田清輝展」を手がけました。

──研究者としてキャリアを積まれてきたわけですが、このたびは美術館という、作品の研究のみならず作品を一般に公開する現場のトップに就任されました。

 美術館にはかつてより興味があり、より作品のそばにいたいという思いはずっと持っていました。純粋な研究機関と美術館とでは違うところも多いですが、社会の様々なものが作品をとりまくものとして具体的に浮かび上がってくる場所という点が、美術館の魅力だと思います。

千葉市美術館1階の「さや堂ホール」入口

──行政からの出向ではない、専門職の館長だからこそ可能であることもあると思います。

 やはり学芸員の方たちと基本的な思いを共有できており、作品やその作品に関することを伝える大切さについて、同じ志も持てる存在だと思っています。これまでも関連機関として外部から美術館を見てきましたが、各美術館の素晴らしいところ、あるいは惜しいところなど、思うところは多々ありました。そうした経験を踏まえたうえで、学芸員の方たちとこれから何ができるのか考えていきたいです。

──千葉市美術館の収蔵品については、どのような考えをお持ちですか?

 すごく質が高い作品を持っていますよね。「市の美術館としてこれほどのものをよく持てたな」と思う作品がたくさんあります。千葉市美は1995年に開館しましたが、それ以前の開館準備室の段階から、自治体の理解があったことを感じられますし、何より当時の学芸員たちがすばらしい目を持っていたのだと思います。例えば現代美術であれば、草間彌生の50年代の作品などは、世界有数の素晴らしいものと言っていいでしょう。市場的には当時の何十倍もの価値になっていて、容易にコレクションできるものではないですが、これも学芸の目で市の財産をつくった好例と言えるのではないでしょうか。

 こうした財産を見せていくうえでも、2020年のリニューアルオープンの際に常設展示室が開設され、場ができたことは大変喜ばしいことです。ただ、当館がどういったものを所蔵しているのかということは、ウェブを含めてなかなか発信できていないことが課題です。歴史的にも重要な展覧会を開催してきているのに、若干もったいないところですので、広報にはより力をいれていければと思います。

「千葉市美術館コレクション名品選2020」より、「描かれた千葉市と房総の海辺」の展示風景(2020)

──山梨さんご自身が、収蔵作品でとくに思い入れがあるものはありますか

 やはり草間彌生のネットペインティングの代表作《No.B White》(1959)や、李禹煥(リ・ウファン)の作品は良いものがあり、改めてよくあの時代に収蔵したなと思います。

 私の専門である近代美術ですと、千葉・佐倉ゆかりの洋画家である浅井忠のほか、千葉の近代画家の作品を多く所蔵しています。地域の特色や歴史の掘り起こしも重要で、土地の祝祭や伝統文化と美術が結びついていることを当館から発信できると、もっと生活に身近なものとして受け取ってもらえるのではと思っています。

「千葉市美術館コレクション名品選2020」より、「1945年以降の現代美術 特集 草間彌生」の展示風景(2020)

──新型コロナウイルスの影響により、例えば海外から作品を借りてくる企画展が難しいなか、所蔵作品をどのように見せていくのかが重要な課題となっています。

 ひとくちに収蔵作品といっても、それぞれの作品にはストーリーがありますよね。収蔵した経緯や、当館にある歴史的な背景、そういったものも含めてお伝えしていければと思います。また、ニュースや図録もそのときの広報資料としてだけではなく、研究の蓄積ととらえて、アーカイヴとして公開できれば、それは全国的にも世界的にも注目に値するものになると思います。

──今後、館長自ら展覧会をキュレーションすることはあるのでしょうか?

 それはまだわからないですね、就任直後ですので。もちろん、やってみたいと思っているものはありますが、美術館の路線や状況と相談しながら考えていきたいと思います。

──千葉市美術館の展覧会の今後の方向性について教えていただけますか?

 まずは美術館のコレクションの柱を大切に、企画展とコレクションをうまく絡めていくことが大切だと思っています。当館のコレクションを発想源として新作を制作してもらうなど、コレクションから新しいものが生まれる良い循環をつくっていきたいです。

「宮島達男|クロニクル1995-2020」展示風景より、宮島達男《Changing Time / Changing Art》(2020)

──行政や地域との連携はいかがでしょうか?

 千葉市は美術館について理解があり、支援体制も整っていると考えています。例えば、駅から美術館まで歩くにしても、多くの案内表示がありますし、美術館通りと名づけられた通りもあります。美術で街を盛り上げて人々の導線をつくろうという考えを市が持っています。昨年のリニューアルに際しても、市の建物の一部だった美術館施設を建物全体に広げ、また職員も増員していただきました。昨今、人員を増やしてもらえるというのは本当に珍しく、ありがたいことです。

 私自身、まだこの地域については勉強不足な面もありますが、様々なところに地域の魅力があると思うので、それらを取り入れながら美術館と街の良い循環が生まれたらと考えています。

──千葉市美術館は恵まれた状況にあるとのことですが、いっぽうで地方の公立美術館のなかには厳しい予算での運営を強いられている館も多くあります。

 いまの行政の有り様の一例として、国立の美術館も博物館も独立行政法人となっていて、国の直営からは外れてしまっていますが、独立行政法人化から20年あまりが経過し、予算的にも人員的にも立ち行かないところに来ていると思っています。行政もそこには気がついているので、新しい施設等を提案して予算をつける、あるいは新しい企画を立てて外部資金を得るということが行われています。このように、追加の予算を確保するためには、新たな業務が必要になります。

 しかし、美術館にはいままで恒常的にやってきた業務があり、その負担が増えていることに対しては、なかなか予算が確保できない。作品情報やアーカイヴのデジタル化、ウェブ等を使った広報、海外への発信、作品の収集や修復保全など、やらなければいけないことが増えているにも関わらず、そこに予算の手当がないわけです。結局、そこを補填するためには、別の事業で予算を増やすしかなくなる。結果的にまた業務が増えてしまいますし、増えた予算というのも一時的なものです。それは本当に美術の現場を大事にしているのかと疑問に思うことがあります。

 もっと収集予算や、いま持っているコレクションを広報するための予算、そしてそれを運営する人的な予算など、一時的な事業予算ではなく、継続的な予算を用意する必要があると思います。こうした予算を確保するためには、行政側が現場を理解し、支援する動きが必要です。現場からの声が自治体に届きづらく、さらに自治体の声が国に届きづらいことは大きな問題だと思います。

 所蔵品という自治体の財産を、市民のみなさんに自分たちの財産だと思ってもらい、より美術館やそのコレクションを大切にしてもらわないと、良い循環は生まれないでしょう。それを実現するために、予算や人員がネックになってしまうのはもったいないことです。

「大・タイガー立石展 POP-ARTの魔術師」(2021)展示風景より

──川崎市市民ミュージアムの台風による収蔵庫水没も記憶に新しく、改めて文化財を保護する施設としての美術館の役割が問われています。山梨さんはこの点についてはどのような考えをお持ちでしょうか?

 千葉市美術館はビルになっており、収蔵庫も階上にある点がとても良いと思っていますが、ウォーターフロントや地下に収蔵庫を擁する館は多いですよね。 

 日本の美術館は文化財保護行政の範疇ではなく、文化財を保護するのは博物館の仕事という時代が長くありました。例えば、1951年に神奈川県立近代美術館が日本で最初の公立近代美術館として開館しますが、同館は恒常的にコレクションを持つ美術館として構想されていませんでした。ある種、文化振興のための場所で、保護するための場所として位置づけられてこなかった時代が長かったわけです。1968年の明治100年を機に、美術品も文化財として指定され、保護の対象となりましたが、かつての慣習もあって予算と人員が追いついていない状況です。

 また、ウォーターフロントに美術館をつくる例が多かったことも、収蔵品保護の観点からするとやはり疑問です。保存や保護よりも、立地としての景観の良さや集客性が重視されていて、収蔵品保存への意識が薄かったようにも思います。日本の美術館の歴史としては80年以上が積み重ねられてきていますので、今後確実に文化財となるものも多く、責任を持って守っていかなければならない。こういった思いも、何かしら発信していかなければと思っています。

──最後に、新館長として千葉市美術館に来館される方にメッセージをいただければと思います。

 コレクションを常設できるようになったので、市民のみなさんに「自分たちのもの」として親しんでいただき、例えば故郷を離れたときにも「あの作品がある場所」として、自分がいつでも帰ってこられる場所だと思ってもらえれば嬉しいです。

 私も故郷の秋田市にある、平野政吉美術館の藤田の大壁画《秋田の行事》(1937)を見ると安心します。再会することで、故郷に帰ってきたと思えるわけですね。千葉市美術館も、市民のみなさんにとってそのような場所でありたいと思います。

「宮島達男|クロニクル1995-2020」展示風景より、宮島達男《Changing Time / Changing Art》(2020)