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新館長・片岡真実が語る森美術館と美術館界のこれから。「課題解決に近道はない」

2020年1月1日に森美術館館長に就任した片岡真実。同館初の女性館長であり、国際美術館会議(CIMAM)会長でもある片岡は、森美術館をどこに導く(ディレクションする)のか。美術館界の現状と課題を含め、話を聞いた。

聞き手・構成=橋爪勇介(ウェブ版「美術手帖」編集長)

片岡真実 撮影=稲葉真

掲げる5つのビジョン

──片岡さんが館長として掲げる「ビジョン」からお聞きしたいと思います。すでに記者会見で5つのビジョンを紹介されていますが、改めてお聞かせください。

 まずは「国際的な現代美術館としての立ち位置を維持しつつ、アジア太平洋の現代アートについて積極的に調査研究、展示活動を行う」ということです。

 森美術館は開館から17年経つ美術館なので、これまでの「国際的な現代美術館」というコンセプトは変わらないと思っています。これまでは「アジアの活動のハブ」という言い方をしてきましたが、それを広げて「アジア太平洋の」としたい。

 というのも、「アジア」だと陸地を中心としたアジア地域に限定されてしまいますが、太平洋諸島部には例えば日本が植民地化していた地域があり、アメリカ西海岸にもアジア系の移民がいたりする。私がディレクターとして関わったシドニー・ビエンナーレの舞台でもあるシドニーにもアジア系の移民はたくさんいます。政治的な枠組みとしての地図というよりは、人の移動で見ると、「アジア」から「アジア太平洋」と広げたほうがいい。これについては積極的に調査研究を継続していきたいなと思っています。

 そして「グローバルな言語としての現代アートをローカルなコミュニティへ接続する」ということ。とくに森美術館は53階にあるので、「日常から離れたところに現代アートがある」という心理的距離感をつくってしまいます。ただ、美術館を「アクティビティそのもの」と考えれば、壁を越えて広がってもいい。そこから、コミュニティにいかに浸透していけるかを考えたいですね。

片岡真実 撮影=稲葉真

──物理的にも「降りていく」という感じですね。

 そうですね。森美術館としてのアクティビティやプログラムを、六本木ヒルズや森ビルが開発を進める虎ノ門ヒルズ周辺などのコミュニティにいかに浸透させられるのか。それを考えるには良いタイミングかなと思います。

 3つ目の「体験とストーリーの重視」は、ここ5年ほど強く実感していることです。その間、SNSの広がりが展覧会鑑賞方法を大きく変えました。情報発信という意味でも、森美術館開館当時はチラシだけだったのが、チラシをつくっている間にラーニングプログラムの予約が埋まるようになり、現在はデジタル・メディアに移行しています。では、「多くの人に伝わる」とはどういうことなのか。情報が伝わっただけで満足するのではなくて、それを入口にして、より多くの人に実際に体験してもらうことが重要です。

 その点、「塩田千春展」は大変象徴的でした。来場者数は約66万人でしたが、森美術館のSNSフォロワーはInstagram、Facebook、Twitterそれぞれ16万から18万人くらいなんですよ。塩田展会期中にも爆発的に増えました。もちろん重複もありますが、合計50万人以上という数字は美術館のSNSとしてはすごい。でもそれ以上の来場者があったことで、実体験が情報を超えたと思いました。

 いっぽう、身体的な体験と同時に、塩田というアーティストの個人史やベルリンという街の歴史など、作品に付随するストーリー、歴史的・政治的・社会的コンテクストを、作品とともに学ぶことで、体験とストーリーの相乗効果が生まれると考えています。

不確かな旅 2016/19 鉄枠、赤毛糸 サイズ可変 Courtesyof Blain|Southern, London/Berlin/New York 「塩田千春展:魂がふるえる」(森美術館、東京、2019)での展示風景 撮影=Sunhi Mang 画像提供=森美術館

 4つ目はダイバーシティの重視」です。女性館長というところで色々注目いただいていますが、ジェンダーだけでなく、文化や民族など様々なダイバーシティ、多様な価値観をいかに理解するかが問われる難しい時代になっている。私自身は世界には本当に多様な考え方、ガバナンスの方法、価値観、人生観があるということを、アーティストとの仕事を通して実感してきました。正解がひとつではない時代、複数の価値観に出会うことで、その多様性が地球あるいは世界の文化的豊かさだと感じています。それを伝えたい。

 政治の世界ではイデオロギーの戦いになり、経済の世界でも数値化された競争社会になる。美術館や現代美術の世界には差異による優劣はない(質の優劣はある)。多様な価値観に出会い、相互にリスペクトできる場でありたいと考えています。

 最後は「各地の美術館、ビエンナーレ、様々な分野の教育機関との建設的なパートナーシップ」です。90年代以降、現代美術がグローバルに拡大し、単体の美術館活動ではその現状を投影しきれないという感覚はずっと持っていました。アジアでも香港やシンガポールを中心に全体が発展し、森美術館開館当初には存在しなかった複数の拠点がアジアからオセアニアまでつながっています。アジアに限らず世界各地の美術館やビエンナーレは、それぞれ異なる文脈での必然性から生まれたものですが、彼らとのパートナーシップを通し、相互に学びながら、現代美術館の意味を問い続けることは、これからの時代に考えるべき方向性でなないでしょうか。

──この5つのビジョンを実際のロードマップに落とし込んでいく、ということになるのでしょうか?

 美術館の根幹である展覧会をつくっていく指針にもなります。これらビジョンの複数をある程度具現化した展覧会を開催していくことになるでしょうね。

グローバルとローカルのダイアログ

──森美術館は日本、あるいはアジアのなかでどういう役割を担っていくミュージアムだとお考えですか。

 当館ではコレクションは収蔵していますが、それを中心にしたプログラムではありません。日本現代美術の歴史をコレクションを通して描くという役割はパブリックな美術館にお願いしたい。

 では民間だからできることとは何か。政治的・社会的なテーマを扱った作品が明らかに増えているなか、「あいちトリエンナーレ2019」で見えた公金の議論からは距離を置くことができますが、企業は「何でもできる」ということでは全くありません。しかし、公立美術館とは違う役割があるとは思っています。

 国際的なネットワークという意味でも、美術館に属しながら、個人として館外のプロジェクトにも携わってきました。「パートナーシップ」というのは、個人と個人が信頼関係を築き、それが美術館として具体的なプログラムにつながっていくことの方が多い。私自身、これまでアジアを中心に欧米も含め、実にさまざまなアーティストやキュレーターのcolleague(仕事仲間)ができてきました。これまで20年ほどの間に一緒に成長してきた友人たちがリーダーシップの役職に就くようになり、一言で「やろう」と言えるような環境が徐々に整ってきています。そういう環境は役立てたいと考えています。

森美術館内観(センターアトリウム) 画像提供=森美術館

──館長とほぼ同時に、国際美術館会議(CIMAM)の会長にも就任されました。

 CIMAMは2014年から6年間理事を務めてきたので、理事のなかでは良い関係性が築かれていました。また、森美術館では2015年に年次総会をホストしたので、会員の方々にもある程度認知されていたかと。さらに言えば、ダイバーシティの問題は美術館業界でもとても重要なことになっていて、CIMAMの理事会でも「新会長はもはや欧米圏の白人じゃないだろう」という空気は強かったように思います。日本は近現代美術館の歴史という点ではアジアのなかでも長く、日本人が選ばれたということもあるかもしれません。

──例えば2つ目に挙げられた「コミュニティ」は、2019年のICOM(国際博物館会議)京都大会でも頻繁に取り上げられていたワードです。ミュージアムの課題意識は、グローバルとローカルで重なっている印象を受けます。

 そうなんです。CIMAMのようなカンファレンスに参加して面白いのは、例えばアフリカの人と東ヨーロッパの人で同じ課題を抱えていたりする。地域を越えた課題の共有がとても重要です。つまり、グローバルというものは結局はローカルにある様々なアクティビティが共通項を持つことで生成されるという感覚。グローバルとローカルは上位と下位の関係にあるのではなく、コミュニティと接続しようとする各館のローカルな努力がグローバルな共通課題になっているのです。

ICOM京都大会の様子

──そういった感覚は、片岡さんのように国際的に活動していないとなかなか掴めないのではないでしょうか。

 そうなんですかね。自分自身は様々な場の議論を通して、肌感覚で実感していることは多いです。そうした世界の大きな動向を森美術館にいかに反映するのかと同時に、森美術館の活動をグローバルなコミュニティに還元していくことによって、グローバルとローカルのダイアログが生まれる。そうした構造をつくりたいです。

──日本の他の美術館とも足並みを揃えたり、協働していくことが大事になってきますね。

 例えば「サンシャワー:東南アジアの現代美術展」(2017)は国立新美術館と一緒に企画制作しました。同じ都市にある美術館を競合と考えるのではなく、協働で何かをやることに可能性を感じています。現代美術館同士だけでなく、異なる性質の美術館の対話から生まれてくるものもあるのでは。

 現在、文化庁が現代アートの海外発信をめざす「アートプラットフォーム事業」の座長を務めさせていただいています。ここでは日本国内のキュレーターが世界各地のキュレーターと繋がることを目指し、3日間の招待制ワークショップをすでに2回開催している。複雑な課題をじっくり議論することで信頼関係も生まれます。そうした関係構築を蓄積していきたいですね。美術館の日々の業務では難しい問題にもぶち当たります。それを館外に開いてみると、それは国や地域を越えて多くの同業者が共有するものだったりする。それに気づくだけでも視野が拡がるのです。

「サンシャワー展」(森美術館)展示風景より、アディティア・ノヴァリ《NGACOプロジェクトーー国家への提案》(2014)

「近道はない」日本美術館界の課題

──そのお話に接続しますが、日本の美術館界は低い予算や制度的な問題などを含め、決して順風満帆だとは言えません。片岡さんは何がもっとも大きな問題だと思いますか?

 問題は複雑に絡み合っていて、簡単な解決法はない(笑)。私は公立美術館で働いた経験はありませんが、私立美術館は、意思決定の仕組み、ガバナンスは比較的明快です。国際的な美術館や美術の動向に照らしながら、自館の方向性を決められることも重要ですよね。課題そのものも日々変化していますが、重要なのは具体的な解決策を提案し、それに向けて実際にアクションを起こすこと。硬直した制度も時間をかけて軟化させたいですね。

──それは国の文化政策とも直結する問題ですね。

 そうですね。いま文化庁の事業に関わっていますが、国の政策を検討する場にいて、具体的な提案ができるのは重要です。上流と下流、文化政策と現場の両方から現状を変えていくことが最も効果的だと考えています。ニッセイ基礎研究所時代、文化庁も含めて多様なコンサルをやり、提案をしましたが、実際にはそれを採用し、具現化していく立場にはなかったことが歯がゆかった。方向性を示す政策が時代のニーズずれていると、現場でそれを改善するのは極めて困難。でも政策が刷新されても現場でそれが実現できない環境にあると、それも残念。

 その後、設立に向けたコンサルをしていた東京オペラシティ アートギャラリーに移ったのも、そうした意識からでした。自ら新しい具体例を提示したかった。コンサルをするにしても、現場の実感がいま一歩わからなかったので、それを知りたかったこともあります。いまの日本の現代アートの課題は複数あって、一か所を直せば水が流れるようになるという世界ではない。沢山を少しずつ修繕していくしかないんです。それに近道はない。その作業は長期的なものになるし、インフラを整備する時期は目に見えない。料理の仕込みみたいなものです。でもそこを丁寧にきちんとやることで出来映えには違いがでる。

──ということは、ニッセイ時代から日本の文化政策について「もっとこうればいい」という理想像は描いてたと。

 すごくありましたね。学生時代からアメリカで現代アートを見ていたので、なぜ日本はこんなに遅いのかなって思っていました。例えば当時、表参道に東高現代美術館(*)があって、ソル・ルウィットやクリストファー・ウールなどの展覧会をやりましたが、アメリカとは2年くらい時差がある印象でした。

 だからオペラシティを「いま起こっている現代アートをそのまま伝える場」にしようと思ったんです。2000年に宮島達男の個展をやりましたが、彼はすでに88年にヴェネチア・ビエンナーレの「アペルト」(若手作家を取り上げる企画展)で世界デビューしていて、90年代にはヘイワードギャラリー(ロンドン)やフォートワース現代美術館(テキサス)で個展をやっていた。なのに当時はまだ東京の美術館で個展が行われていなかった。そういう人をちゃんと見せたいと思ったんです。それで宮島さんの個展をやると決めたら、偶然、99年のヴェネチア・ビエンナーレで彼が日本館代表になったんです。

──同時代性という意味では、日本の美術館はまだ少し遅い気もします。その点についてはどう思われますか?

 いまは、何にどう追いつくのかが難しいと思うんですよ。80年代までは欧米が中心だったので、アメリカとの時差が気になっていました。しかしいまはどの地域も独自の発信をしていかなくてはならない。自分の地域から生産されるアートが、いかに世界の多様な場所とつながっているのか。同時多発的に起こっている現象とどう接続できるのかを価値観として求める時代になっているので、まずは自己発信力がないといけない。追い付かないといけない「先」はないわけですから。

 ただエネルギーの量でいうと、例えばアジア地域には成長するエネルギーがあるし、若い世代が現代アートのマーケットも活性化しようとしている。美術館にも大きなビジョンがある。そういう活力みたいなものを、ある意味、成長を終えた日本ではあまり感じません。

──日本の若手アーティストについてはどうでしょうか? いま起きている社会問題などへのリアクションのスピードは、アジアのほうが速いように見えます。

 シンガポールもタイもインドネシアも、どこもみんな社会に対して関心が高いし、自国についてどう発言していくのかを問い続けています。

 例えば森美術館では2011年に「メタボリズムの未来都市展」をやりました。若い建築家たちがメタボリズムという運動を起こし、1960年の「世界デザイン会議」で新しい提言をしたのは、当時のネーション・ビルディングという考え方と隣接していた。

「メタボリズムの未来都市展:戦後日本・今甦る復興の夢とビジョン」(2011-2012)展示風景 撮影=渡邉修 画像提供=森美術館

 そうした時代の空気を、いまの東南アジアから受けるんですよ。民主化以降に生まれた人たちは、自分たちの国への問題意識がすごく高い。過去の歴史についても学び、それを踏まえた未来をどうつくるのかを、若者がよくよく考えているなと。そういう意味で、日本はアジア太平洋地域への加害者としての認識も含めて、歴史的なリテラシーを強化していかないといけない。それを含めた相互理解からしか未来を共に描くことは難しい。そこもすごく危機感を持っています。

 日本は国家としては縮小傾向です。成長型モデルとは異なるモデルを考える時期に来ているように思います。人口、経済、領土などの数値的拡大ではなく、より平等で豊かな社会。「成長」ではなく「成熟」した社会を描きたいです。

──成長という意味では、アートマーケットも切り離せないファクターです。例えば香港では、アート・バーゼル香港(2020年は中止)と同時に美術館で展覧会が開幕したりと、マーケットとミュージアムの連帯が見えます。しかしながら日本では美術館とマーケットの間の壁が大きい。この関係性も変わっていかなくてはいけないのではないでしょうか?

 大都市の場合、美術館、ビエンナーレ、アートフェアは“三種の神器”のような三つ巴のもの。各都市のインフラとして存在していいと思っています。シンガポールが一番面白いモデルなんですよ。ナショナル・ギャラリー・シンガポールをつくり、シンガポール・ビエンナーレがあり、フェアも(少し苦労していますが)やってきている。その三つの関係性を上手くバランスしていくことで、成熟したアート都市になっていくのかなと。シンガポールはそれらを政府主導の政策として実施してきた。すでに美術館が多い大都市ではビエンナーレが必要ではないところもあるけれど、既存のエネルギーをどうバランスしながら新しい均衡を模索していくのか、ということだと思いますね。

ナショナル・ギャラリー・シンガポール

──マーケットについては、2018年に政府案として報道された「リーディング・ミュージアム(先進美術館)」構想がありました。ミュージアムはマーケットにコミットすべきだというお考えはありますか?

 マーケットの活性化は本来、国の仕事ではないと思っているんです。もちろん制度の問題──税制の優遇措置を広げていくなど──はありますが、「リーディングミュージアム」構想は美術館が所蔵品の売却によって価値づけをするように見えたことが問題視されました。それよりも購入予算を増やして作品を収蔵することで市場を活性化する。さらには人材育成や所蔵品データーベースのような情報発信など直接的な利益に結びつかないところを政府は支援すべきです。

 ただし、税制の問題は諸外国と較べて大きな壁になっているし、文化庁だけでなく、外務省、経産省、観光庁などと連動してより大きな経済的循環のなかに現代アートを位置づけるような政策は必要で、そのなかの一部には市場も視野に入れてもらっていい。いっぽう、財界とのつながりという意味では、民間の美術館が果たせる役割はあるのかなと思います。

──たしかに公立美術館とは異なる役割が期待されます。

 あらゆるところでマーケットもしくは財政的なバックボーンは切り離せません。森美術館自体も芸術的なことやっていればいいだけではない。世界の現代アートの動向を反映しつつ、それをいかに集客につなげるのか、というバランスが求められます。いかに極限まで攻められるか、それは現代美術館が存続するために重要なことなんですよ。

 例えばセゾン美術館(*2)はものすごく素晴らしい同時代のプログラムをやり、20世紀における日本の美術館の活動でかけがえのないものだったと思います。セゾンが残したレガシーは大きい。しかし存続ができなかった。いっっぽう、アーティゾン美術館は興味深い事例です。世襲をしながら、しかも「ブリヂストン美術館」として70年近く定着した名前を変えるという冒険ができることがすごくいい。すでに培ったものに依存せず、また新たに始めるという意図が強く感じられますよね。私は石橋正二郎さんの大ファンです。彼は日本のプライベートミュージアムの歴史のなかでは英雄です。ヴェネチア・ビエンナーレ日本館や東京国立近代美術館の建物の寄付もしている。

 森美術館としても、世代を超えて存続するモデルを考えて行きたいと思っています。

美術館界を通して国際貢献を

──最後に館長としての実務、館内のマネージメントについてうかがいます。片岡さんは館長の前に副館長を務められました。実務的な意味では何がどう具体的に変わったんでしょうか?

 副館長は1年ぐらいで、館長への意識的修行みたいなものでした(笑)。森美術館は伝統的に館長もキュレーションをしてきました。なので、恐らくある程度キュレーションをやりつつも、「ディレクター」はやはり方向性を示すポジションだろうと想像しています。5つのビジョンも、スタッフには就任初日に伝えました。展覧会のプログラムだけではなく、例えば広報の方向性とか観客対応とか、美術館活動の隅々にまでどうすればこのビジョンが浸透するかということを試してみたいんです。

──先ほど館長が名誉職になっているというお話もありましたが、日本ではとくに館長=ディレクターという意識が低いのかもしれません。

 テート・モダンのラーニング部門にいる人が、テートのラーニングポリシーと館全体のビジョンを語ってくれたことがあります。館長だけがビジョンを語るのではなく、スタッフ全員が語れるのは素敵だなと思いました。美術館がどこを目指していて、それぞれの部署で自分がどのように貢献しているかを実感すること、それによって館全体の活動にエネルギーが生まれるのではないかと考えています。

 私は大きな方向性が見えないと気持ち悪い質なんです。映画にしても本にしても、最後まで順番に読めなくて結末をまず見ちゃう。それから途中のプロセスを味わう(笑)。変わってますけど。つまり大枠がわからないと、ディテールの進め方がわからない。だから現代アートの世界に関わるなら、世界全体がどうなっているのかがわからないと、ひとつの館の方向性や意味がわからない。若い頃は暗中模索で、手当たり次第出会ったものを理解することしかできませんでした。いまも暗中模索ですが、現代アートの動きが大掴みには見えてきた。そんなとき、館長というポジションに出会うことになって、すごく面白いなと思っています。物語の結末は見えませんけどね。

──片岡さん自身、「館長になりたい」というビジョンはあったのですか?

 いまだから言えることかもしれませんけど、ポジションとかキャリアとかにはそれほど興味がなかった。自分がどうなるかということよりも、「世界がどう変わるか」「不条理なことがどうしたら良くなるのか」ということに関心が向く。ですから、意志決定のできるポジションにいるほうが状況は変えやすい、という意味ではありがたいです。

 キャリアや自分の成功が目的になることはほとんど意味がなくて、それよりも日本の美術館界や世界の美術館界を通して、何か大きな国際貢献ができたらすごく嬉しいなとは思います。キャリアは、自分の尻尾みたいな感じで、やったことの後についてくるものだから。

片岡真実 撮影=稲葉真

 

*1──東京・青山にあった現代美術の企画展専門美術館。1988年に開館し、91年まで存続。設立は東高不動産。副館長には後にSCAI THE BATHHOUSEを設立する白石正美がいた。
*2──1975年、西武流通グループ(のちのセゾングループ)の堤清二が西武池袋本店12階に開館させた私立美術館。当初の名称は「西武美術館」で、89年に「セゾン美術館」に改称。99年に閉館した。セゾングループの収集品は高輪美術館を前身として91年に改称したセゾン現代美術館に引き継がれている。

編集部

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