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地域社会との接点を広げ、他者と生き抜く。ルアンルパインタビュー

2022年に開催されるドクメンタ15の芸術監督を務めることになったインドネシアのアート・コレクティブ、ルアンルパ。2000年に1軒の家を拠点に6名の作家が集り始まったその実践は、都市問題に応答しながら拡大してきた。彼らがどのように社会とともに活動してきたのか、拠点とするジャカルタで話を聞いた。

文=池田佳穂(インディペンデント・キュレーター)

グットスクールの前にて Photo by Gudskul/Jin Panji

ともに生き抜くために集まり都市問題とその文化的課題に応答する

 ルアンルパのこの年の活動内容は驚くほど多岐にわたっている。展覧会、フェスティバル、ワークショップの企画運営のほか、雑誌、オンラインジャーナル、ラジオといったオルタナティブメディアの制作、またアートラボを創設して国内外の都市の問題や現象についてプロジェクトを通して調査・研究を行う。加えてレンタルスペース運営、作品マネジメント、制作受託などのビジネス事業や教育プログラムも手がけている。興味深いのは、社会と関係を持ったプロジェクトが多いことだ。そこにはルアンルパ初期の大半のメンバーが経験した、1998年まで約30年間にわたった第2代大統領スハルトによる独裁政権の影響がある。

 現在20名程度の中心メンバーのなかから、今回は初期から関わるイスワント・ハルトノ、インドラ・アメン、アジェング・ヌルル・アイニ、レオナルド・バルトロメス、また2018年に設立したグットスクー ル(GUDSKUL)のマネージャーのマルセリナ・ドゥイ・クンチャナ・プトゥリに話を聞いた。

 「スハルト政権下は、抑圧的な状況でした。政権批判をしないよう教育システムがつくられ、子供は同じプロパガンダの映画を毎年見なくてはいけない。社会運動への制圧もあり、5人以上が集まって活動(上映会やディスカッションなど)をする際は、申請などのいくつかの段階を踏まねばならず、美術作家がグループで公に活動することは困難でした」。

 1998年、東南アジア一帯は経済危機に陥り、ジャカルタでも暴動やデモが多発、スハルト元大統領は失脚した。社会が民主化の方向に動き始めた2000年に発足したルアンルパは、現代美術作家が主体となるグループ(後のコレクティブ)の先駆けだった。集まることさえ難しかった1990年代後半とは打って変わって、彼らは自由に集まり、「ノンクロン(Nongkrong)」をした。ノンクロンとは、インドネシア語で「仲間とぐだぐだとお喋りしたりお酒を飲んだりすること」を意味し、インドネシアでは昔から根付いている慣習である。

 「私たちの活動はいつもノンクロンから始まります。何事もそこからつくり出しているのです」。

 ルアンルパは拠点スペースを24時間開放し、誰もがいつでもノンクロンができる場所にした。それにより、社会との接点が増えただけでなく、地域コミュニティやオーディエンスとの距離も縮まった。当初はディスカッション、展覧会、レジデンスプログラム、パーティなどを開催し、周囲を巻き込みながら活動を続け、拡大していった。こうした草の根的な活動から、ローカルな文化活動、オルタナティブメディアやカウンターカルチャーを活性化させていったのだ。

 「私たちはポリティカル・アクティビストではなく、ソーシャル・アクティビストに近い。ルアンルパの活動は直接政権を批判するものではありませんが、現代美術やポップカルチャーなどを用いて、ジャカルタの都市問題や文化的課題、政治的状況と向き合い、社会と関係を持った活動を行っています」。

家から倉庫、そして学校へ

 設立から15年間、ルアンルパからは多様な事業グループが次々と派生していった。例えば、映像フェスティバルや学生の作品だけを展示する芸術祭の開催、子供向けのプログラムの実施、コミュニ ティラジオ局の設立など、当時のジャカルタが抱える文化的課題やニーズに対して積極的に応答した。

 こうした営みの広がりに併せて、関わる人も増えていった。ただし、関与する人々の母数が大きくなったとしても、そこにヒエラルキーはない。さらにはメンバーシップ制をとっていないので、よくノンクロンしに来ていた人が、その場でプロジェクトを任されることもあるという。中心メンバーで肩書きがある人もいるが、アーティスト、キュレーター、マネージャー、教育者、アクティヴィストといくつもの側面を持ち合わせていることが多く、領域を限定せずに活動に携わっている。こうした有機的な関係を築き、社会状況に応じて活動を多岐に展開させるなか、彼らは2015年にダイナミックな再編を試みる。ジャカルタを拠点にする、いくつかのアート・コレクティブに声をかけ、6000平米を超える巨大な倉庫に移転し、「グダンサリナ(Gudang Sarinah)」という新たなスペースを設立。そこで文化プラットフォームを構築し発展させていった。

 「広い空間があれば、若い世代を含めて多くの人が場所を活用することができます。以前の家は、キャパシティに限界がありました。グダンサリナに移動してからは、巨大なスペースをどのように運営していくのか、またほかのコレクティブとどのように協働していくかなど、考えることは大きく変わりました」。

 このプラットフォームにより、コレクティブや作家個人が持つ知識やスキルの共有と、コレクティブ間のコラボレーションが積極的に行われ、フェスティバルやコンサートなど多くのイベントが実施された。しかし、グダンサリナはフェスティバル運営などにはもってこいの場所であったが、巨大な空間のためお互いの顔も見られなくなり、ノンクロンしづらいという状況が生まれたのである。

 そこで2018年に彼らは、グダンサリナより規模を抑えた場所にスペースを移転。別のコレクティブ、セルム(Serrum)とグラフィス・フルハラ(Grafis HuruHara)とともに、グットスクールを開いた。そこではグットスクール(Good School)という名称のとおり、教育に着目したプログラムを、学生、社会人、作家などを対象に広く提供している。

 「くつろいだ空間はとても大事です。気軽にノンクロンができるし、交流によりコラボレーションや議論が活発になり、若い世代が 挑戦したいことを支援できるからです。また、グットスクールでは我々が大事にしていた居心地の良さを保ちつつ、グダンサリナで学んだスペース運営のノウハウや、 ほかのコレクティブとともに持続可能な『エコシステム』を実践しました」。

 彼らのエコシステムは、教育部門、ビジネス部門、美術部門(展示や制作など)の3つに活動を分け、各部門の知識やノウハウの共有のほか、そこで出た収益を集約し、それぞれの部門に必要に応じて再分配することで、持続可能な営みを目指している。

 グットスクールで開催される授業では、理論を教えるというより、経験に基づいて学習する方法をとっている。実際にコレクティブとして行動に移すときにどういうことが起こるのか、授業を通して体験し、知識を蓄えることができる。 

 「長期と短期のコースがあり、1年間かけて取り組む長期コースでは、受講生がコレクティブを実際に結成、もしくは社会と共同プロジェクトを実践する機会があります」。

2016年、グダンサリナで行われたマーケットの様子。地域住民を巻き込み、誰でも物を売ったり買ったりできるプラットフォームをつくった
2018年、グットスクールに併設する貸しスタジオ、グッドサイド(GUDSIDE)のオープニングの様子

場所が違えど、大切にしているもの

 ルアンルパは、国内の活動にとどまらず、多くの国際展に作家として出展、さらにはキュレーターとして展覧会企画も行っている。 だが、どんな場所でも、ルアンルパの大事にしている戦略は変わらないという。

 例えばキュレーターとして携わった、2016年にオランダ・アーネムで開催された国際展「ソンスビーク2016」では、開催より1年早い15年から「ルルハウス(ruru house)」を中心街の空き店舗で始めた。このスペースでは、地域の人や作家がワークショップ や上映会、料理会、トークイベントなどを自由に催し、様々な用途で使用することができた。スペースの運営も地域コミュニティと協力して行った。

 「その結果、ルルハウスは地域社会との関係性の構築に成功しました。国際展で作家が作品をつくる、それだけでは社会とつながることはできません。ルルハウスをソンスビークのプラットフォームとしてつねに開かれた場所にすることで、地域を巻き込むことができる。ジャカルタの拠点から学んだこの戦略をソンスビークでも実践したのです」。

 「ソンスビーク2016」では、ルルハウスを続けつつ、公園、美術館、街中と3つの会場で展示企画を手がけた。会場のひとつである広大な公園では、12名の作家を国内外から呼んだ。

 「公園の主な展示作品はインスタレーションです。会期中は様々な活動イベントがその作品空間で行われ、訪れた人々の感性を刺激し、関係を築きました。また公園が誰でも利用できることから、時には人々がくつろぐ場所としても使用されました。会場で結婚式を挙げた夫婦がいたりと、予想以上の反応もあり驚きました」。

 社会と接点を持つためにルルハウスというコミュニティをつくり、展示企画では新たな発見や交流が生まれる場所づくりに焦点をあてる。地域の文脈を踏まえつつ、社会実践を取り入れたルアンルパのこのような姿勢は、ジャカルタでも国際的な舞台でも同じようだ。

 そして彼らの次の舞台は、2022年ドイツ・カッセルで開催する大規模な国際美術展ドクメンタ。芸術監督がアジアから起用されるのは初めてである。彼らがドクメンタで提示するコンセプトは「 ルンブン(Lumbung)」、インドネシア語で「コメ倉」という意味だ。コミュニティにある知識やアイディア、資源などを集約し、共有資産として貯めておく手法で、これを用いて、欧州が抱える移民や人種差別などの社会問題にも、文化的な協働で対峙しようというものだ。

 「カッセル、ジャカルタ、ドクメンタのそれぞれのコメ倉について考えています。まずカッセルのコメ倉のために、どのようなコミュニティが存在しているか、共有可能な知識やノウハウ、場所などを持っているのか、調査を重ねているとこ ろです。ゆくゆくはカッセル、ジャカルタの各地のコメ倉を、2022年の国際的な場であるドクメンタのコメ倉につなぐ予定です」。

 そしてドクメンタの進行において、彼らは3つの大きな試みを考えている。ひとつ目は都市を広げることだ。いままでの開催場所は、カッセルの中心地が多かった。「ポップアップな企画を通して会場エリアを広げようと考えています。地元住民の自宅やリビング、庭、壁などを提供してもらい、ワークショップや上映会、壁画プロジェクトなどを企画する。カッセル周縁地域にも関わる機会を設けたいです」。

 2つ目は持続可能な仕組みの実践である。「作家が活動を維持できるような経済システムを模索したいです。ビットコインなどの技術も視野に入れています。さらに無駄のないドクメンタを目指し環境に配慮した試みも考えていく。展覧会だけではなくドクメンタ全体で、無駄な消費、余剰建築、ゴミなどをなくす姿勢です。経済的にも、環境的にも、持続可能性を求めるのは難しいと思いますが、これらが私たちの宿題だととらえています」。

 3つ目は透明性のあるプロセスだ。「過去のドクメンタでは、一般の人は進行過程などの情報にアクセスできなかった。しかし、今回は2022年に向けて、ソンスビーク同様にルルハウスを設立し、プロセスを公開しながら進めていく予定です」。

 すでに2020年3月、ルルハウスをカッセルにつくることが決定した。まずメンバー2人が6月地へ移住し、約2年半を費やして、カッセルの学生・住人・作家と関係を築こうと目論んでいる。さらに地域コミュニティと共同でスペース運営も行う予定だ。その場所を皮切りに、カッセルのコメ倉に蓄え始めるのだ。

 「まずはキッチンやワークショップスペースなどをつくる予定です。料理会、ワークショップ、トー クイベント、上映会、展覧会などを開催し、グットスクールのように授業も始められたらと考えています」。

助け合うということ

 有機的に活動を広げつつ、他者と生き抜くために再構成を続けるルアンルパ。「コレクティブ」──日本でもよく使われるようになったこの言葉を、どのようにとらえているのか聞いた。

 「そもそもコレクティブは欧米から入ってきた言葉で、インドネシア語の文脈では完全には翻訳できません。ただ一緒に場所を借りただけの関係性では使わないでしょう。インドネシアのコレクティブは、ゴトンロヨン(Gotong Royon)の精神を持っていると思います」。

 ゴトンロヨンとはインドネシア語で、相互玞助、共同作業、助け合う、といった意味だ。

 「例えば、村で誰かが家を建てたいとき、周囲が建てるのを手伝うといった支え合いですね」。

 日本を含め、経済成長を遂げたアジア地域では、忘却されつつある精神かもしれない。ルアンルパは、ジャカルタという都市で、作家同士の、コレクティブ同士の、隣人同士の、様々なゴトンロヨンを大切にし、社会を巻き込んだ大きな営みを形成した。1軒の家から始まったゴトンロヨンが、ドクメンタを通して国際社会にどのような変革をもたらすのか注目したい。

2015年、「ソンスビーク2016」に向けて設立された「ルルハウス」の外観。アーネムの中心街にあり、誰でも出入りすることができた
Photo by Mattie van der Worm,‘KWW’ (textual intervention)
2015年「ルルハウス」にて、ウィレム・デ・クーニング・アカデミーの学生によるイベ ント「ニュー・アメリカン・ドリーム」後の様子。このように、ノンクロンする場所としても機能した Photo by Reinaart Vanhoe

『美術手帖』2020年2月号「ARTIST PICK UP」より)

編集部

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