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2019.11.28

発展の裏にある声なき人々の「生活」を見つめて。王兵インタビュー

目覚ましい経済発展の裏にある、中国の人々の「生活」に焦点を当てた映像作品を発表する王兵(ワン・ビン)。ドキュメンタリーという枠にとどまらず、ヴィデオ・アートによるアプローチもしている王に、作品の制作意図や映像作品に対する考えを聞いた。

文=小山ひとみ(フェスティバル/トーキョー キュレーター)

王兵、Take Ninagawa付近にて 撮影=岩澤高雄
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映像が語る、発展のなかで埋もれゆく声なき人々の叙事詩

 戦後40年をかけて地道に発展を進めてきた日本に比べ、中国はといえば、改革開放からわずか10数年で世界に追いつけ追い越せと、様々な分野で実力や存在感を見せてきた。その中国の発展を支えているのは、じつは、農村部出身の労働者だということを、彼の作品を見るたびに思い知る。

 東京、東麻布に位置するTake Ninagawaでは、9月7日〜10月19日、中国の映像作家・映画監督、王兵(ワン・ビン)の日本初公開作品を含む2作品が上映された。

 1967年中国陝西(シャンシー)省西安に生まれた王兵は、瀋陽(シェンヤン)の魯迅美術学院で写真を学んだ後、映像に関心が移り北京電影学院撮影学科に入学。98年に映像作家、映画監督としてデビューを果たす。

 王兵の名前が日本をはじめ世界に知られるきっかけとなったのは、1999年から撮影を始め、2003年に完成したドキュメンタリー『鉄西区』だろう。王が生活をしていた瀋陽にある、中国最大級の重工業地帯「鉄西区」で働き、生活をする労働者にカメラを向け、「鉄西区」が衰退するまでの瞬間を切り取った。1950年代には100万人の労働者が暮らした鉄西区は、90年代以降、国有企業の改革が進められ衰退し、地区内9割の工場が操業停止。大量の失業者が街にあふれた。

 「自分が生活していた瀋陽の工場ですから、よく知っていた場所だったんです。はじめは写真を撮りに行ったんですが、次第に映像にできないかと、本当に何気ない思いからデジタルカメラを手に、ひとりで撮影を始めました」。トータル9時間を超す3部作の作品として完成した『鉄西区』は、山形国際ドキュメンタリー映画祭、ナント三大陸映画祭など世界各地の映画祭で大賞を受賞する。

鉄西区 2003 デジタル、カラー、サウンド 9時間14分 © Wang Bing Courtesy of Take Ninagawa, Tokyo

経済発展の裏にある「生活」を見つめる

 第3部の『鉄路』では、鉄西区で20年暮らす男が登場する。男は、石炭や鉄くずを拾い生計を立てながら17歳の息子と2人、狭い部屋で暮らしている。男やその息子が口癖のようにつぶやく「生活はそう簡単じゃないよ」というセリフ。それは、この『鉄西区』に登場する労働者全員の内面を代弁するかのような一言で、電気の通っていない狭い部屋と重なることでより深みを感じる。「ごく普通の労働者が、経済の転換期に過酷な重圧を受けたのです」。王は撮影当時を振り返りそう語る。

 その後発表される『苦い銭』(2016)や『15Hours』(2017)でもこの『鉄西区』同様、中国の労働者が主人公であることは、まったくの偶然ではない。それは、王のごく身近に存在していた人たちだからというシンプルな理由によるものだった。「私の作品は、私自身が撮影をしているので、自分の目の届く範囲にいる人にフォーカスを当てたいんです。それは、日々目にする、私の身近に存在しているごく普通の人たちです。それ以外の人たちは、私の手には届かない人たちなので、撮影対象にはなりません」。王の語る「普通の人」というのは、歴史に刻まれることのない、なんの面影も残されない「声を上げることができない」人たちのことだ。「どんな社会でも、人々は声を上げる権利というものを持っているはずです。しかし、黙っている人が多数存在している」。そんな彼らに、王はカメラを向け、声と存在を映像として残す。

鉄西区 2003 デジタル、カラー、サウンド 9時間14分 © Wang Bing Courtesy of Take Ninagawa, Tokyo

 2012年の作品『三姉妹〜雲南の子』に登場するのは、同じく「声を上げることができない」中国でもっとも貧しいと言われる雲南省の農村で暮らす10歳、6歳、4歳の三姉妹が主人公だ。2000年以降、中国では「農村留守児童」という用語をよく目にするようになった。「農村留守児童」とは、農村で暮らす親たちが都市へ出稼ぎに行き、様々な理由で子供を出稼ぎ先まで連れて行けないため、農村に残された子供たちのことを指す。2012年時点で、それらの子供たちは6100万人以上との報告もある。中国は経済の急成長を遂げたいっぽう、都市部と農村部との経済格差という歪みが生まれた。自分たちの生活のため、農村の親たちは都市に流れたのだ。

 王がカメラでとらえたのは、その「農村留守児童」の当事者である三姉妹だ。父親は都市に出稼ぎに、母親は数年前に子供たちを捨て、家を出たきり。近くに祖父母は暮らしているものの、三姉妹の世話をすることはない。10歳の長女が母親代わりとなり、ふたりの妹の面倒をみている。電気が通っていない村で火を起こして暖をとり、料理をつくる。料理とは言っても、ジャガイモくらいしか食材がない村。そのジャガイモを小さな両手で抱えて頬張る姿に胸が痛くなった。

 この作品の撮影を始めたのは2010年10月というから、ちょうど上海で万博が行われていた時期と重なる。万博開催前、上海ではインフラ建設や都市整備に追われ、農村から大量の労働者が駆り出された。中国の発展のために、都市部に出てきた農村出身の親たち。そして、その彼らと一緒に暮らすことができない子供たちは、中国の発展の犠牲者になった。

三姉妹~雲南の子 2012 フィルム、カラー 2時間33分 © Wang Bing Courtesy of Asian Shadows, Hong Kong, and Take Ninagawa, Tokyo

 王の作品には、このように中国発展の裏の物語、中国の歴史の裏の物語が描かれている「裏の物語」を通して政治に物申すというアクティヴィスト的なアーティストもいるなか、王の作品は明らかにそれとは違う。「政治」という面影は一切見えず、中国の普通の人たちがひたむきに生きるリアルが提示されている。「政治に願いはありますが、興味はありません。私たちは、小さい頃から政治が力を持った環境で生活をしてきました。だから、今後は、作品も含めてコントロールされることがないようにと願っています。私の作品はインディペンデントであってほしいんです」。

社会の外側で生きる男

 今回の個展で上映された『名前のない男』(2009)は、上述の作品とは違う、王の作品には珍しい作風のものだ。登場人物はたったひとり。北京から250キロメートル離れた廃村の洞窟で暮らす男だ。「2006年に別の作品の撮影場所を探しているとき、偶然立ち寄った場所でその男を見かけました。男は、草むらで何かを拾いながら歩いているんです。これまでに見たことのない存在だったので、まずは彼に興味を持ったんです」。その日から2009年まで、廃村に立ち寄ってはその男を追ってきた。

 男はひとり、自ら食材を育て、動物の糞を拾っては肥料にする。カメラは、この男の完 全なる自給自足の生活の一部始終をとらえる。どこで生まれたのか、なぜここで生活をしているのか、名前、年齢など、その男に関する情報は作品からは読み取ることはできない。「私たちはみんな、社会や集団のなかで生活を送っています。しかし、彼は完全にそれらから距離を置き、ひとりで生きている。“私たちは、あらゆるモノを失ったら生存可能なのだろうか”。彼を通して、生きるということについて考えさせられました」。

 2008年、北京でオリンピックが開催された。その数年前から北京では開発が進み、新たな仕事のチャンスとお金を得ようと農村や地方から多くの人が北京に移り住んだ。その活気とは対照的に、男は北京でのチャンスやお金に目もくれず、外との一切の交流を断ち、ひとりで生活を送っていたことになる。『名前のない男』は、ある意味シュールな世界に映った。その男は本当に存在していたのだろうか?という錯覚とショックを感じるとともに、改めて「生きるとは?」という問いをじっくり考えたくなった。

名前のない男 2009 16:9HDフィルム、カラー、サウンド 1時間37分 © Wang Bing Courtesy of Galerie Chantal Crousel, Paris, and Take Ninagawa, Tokyo

ドキュメンタリーとヴィデオ・アートの接続

 王の作品には、15時間、9時間など長時間のものも少なくない。今回、上映されたもうひとつの作品『15Hours』の上映時間は、作品タイトルの通り15時間と50分。浙江省湖州市の縫製工場で働く30万人の移民労働者の午前8時から午後11時までの15時間の生活を追った作品だ。ミシンの前で黙々と作業を続ける労働者たちの姿と、「ブーン」というミシン音が聞こえるだけという、非常に地味で単調なシーンが続く。それこそが、30万人の労働者のリアルなのだ。

 「この作品は、美術館やギャラリーなどのアート空間で上映するヴィデオ作品として制作しました。当時の労働者がどんな感じで仕事をしていたのか。編集を入れず、彼らの作業中の姿を始めから終わりまで見せたらどんな感じになるのか。そんな単純な発想から始めたんです」。気がつくと、工場の電気がついたことで夜になったのだと、時間の経過をしっかりと感じる。鑑賞者も30万人の労働者と一緒に15時間というリアルを体験するという、王の作品のなかでも新しい作風だ。

15Hours 2017 16:9フィルム、カラー、サウンド 15時間50分(各7時間55分の2部構成) © Wang Bing Courtesy of Galerie Chantal Crousel,
Paris, and Take Ninagawa, Tokyo

 これまで王は、主にドキュメンタリーという形式で映像を撮ってきた。その魅力について、彼はこう語る。「ドキュメンタリーは、自分でコントロールしやすいんですよね。小型のヴィデオカメラひとつで自由に撮影ができ、過去の映画にはなかった言語が描けます」。ここで忘れてならないのは、王は監督であるとともに、カメラマンでもあるということだ。彼の作品は、彼自身が撮影をしているため、完全に王の目線が反映されている。また、彼自身の人柄と、自身も北京、上海などの都会出身ではなく地方出身ということが被写体を安心させるのだろう。どの作品の被写体も彼に警戒心を向けることなく、カメラの前でありのままの姿を晒している。

 近年、王は美術館やギャラリーで発表する「ヴィデオ・アート」の領域でも作品を制作し、発表している。「映画というのは、完成された美学で構成されていますが、私が思うヴィデオ・アートというのは、より自由で、より個人の感覚に寄り添っている感じがします」。

自由な制作環境を求めて

 現在、2014年から16年まで撮影を続けた作品の編集中だという。中国の長江沿岸部で働く16歳から30歳の若い労働者たちのストーリー。「2年かけて、多くの労働者を追ったので、大量の素材が集まりました。おそらく、最終的には、6、7時間の作品になると思います」。

 フランスを拠点に制作を続ける理由について尋ねると、王はこう語った。「2000年以降、私自身、ある決断をしたんです。自分を支えてくれる、理解してくれる人がフランスにいるのであれば、フランスをベースに活動を続けようと。それまでは、自分の意志や希望だけでは物事が動かない環境にいましたから、ある意味“自由に制作できる”環境の重要性を感じ、その環境に身を置くことにしたんです」。中国は近年、映画を初め、様々な文化にお金を投じ、海外にも積極的に発信をしている。中国の映画人や文化人にとって、良いとも取れるこの環境からは一線を画し、「自由」を求めてフランスを拠点に中国の題材を追うことを選択した王。「いまでも、この選択は間違っていなかったと思っています」。この力強い一言を聞いたとき、『名前のない男』に登場するあの男に惹かれた王の気持ちがとてもよくわかる気がした。富や名声ではなく、自身の表現の実現を追求する王の姿勢を何よりも賞賛したい。

『美術手帖』2019年12月号「ARTIST PICK UP」より)