「文化経済戦略」とは、2017年に内閣官房と文化庁で策定された国家戦略。国や自治体、企業、起業家が文化に対し戦略的に投資することで、文化芸術の発展や、観光・街づくりといった産業に寄与し、さらなる投資をもたらす、という総体的なエコシステムの形成を目指した取り組みだ。調査やシンポジウムによる議論の喚起が行われた2019年度に続き、20年度は実際に企業とアーティストの接点づくりや協働プロジェクト、評価指標の可視化を目指した調査などが行われた。
企業とアーティストの多様な接点 「渋谷芸術祭2020」アートセッション
昨年11月12~14日には、渋谷のカルチャーが集まる「第12回渋谷芸術祭2020~SHIBUYA ART SCRAMBLE~」の一環としてアートセッションが開催。アーティストを中心にクリエイターやプロデューサー、起業家など多彩な顔ぶれが集まって都市と芸術の未来像を語り、考えをぶつけ合った。
初日のテーマは、「サスティナブルな都市のランドスケープ」。ゲストとして登壇したのは、建築家の永山祐子、バイオベンチャーのユーグレナでCOOを務める永田暁彦、Tokyo Photographic Researchから写真家の小山泰介と三野新。それぞれ異なるフィールドで活躍する彼らの視点で都市と芸術について語ることでそのズレを表出させ、とらえ方の多様性を見せようと試みられた。
2日目のテーマは、「シェルターとしてのカルチャー」。より実践的な都市と芸術のあり方として、若者の持つユースカルチャーがそれぞれ集団やテリトリーをつくり、外界から彼らを守るシェルターとして機能することについて議論された。登壇者は、劇作家の市原佐都子、NPO法人soarの代表・工藤瑞穂、NPO法人芸術公社代表理事の相馬千秋。
最終日は「空地とストリートを巡って」をテーマに、都市の余白として、経済社会からこぼれ落ちた空地やストリートで展開されるアートの意義について、アーティストの小金沢健人、アートコレクティブSIDE COREの松下徹、まちづクリエイティブ代表取締役の寺井元一が語った。
一般社団法人「Whole Universe」代表の塚田有那とともにこの企画を手がけた東京アートアクセラレーションの共同代表・山峰潤也は「異なる視点が交わることで、既存の社会がアイスブレイクしていく。それぞれの言葉の違いを知り、差異に気付いていくことがアートセッションの狙いだ」とし、短期的な経済効果をアートに対して求める姿勢に警鐘を鳴らすとともに、長期的なロードマップを引いたうえでの深い洞察と実行力のあるアクションや、新しい評価設計の必要性を提案した。
新たな価値創出を目指した、コニカミノルタと久門剛史の協働
都市にうごめく多様なアートの可能性を提示した山峰に対し、E&K associatesの代表・長谷川一英が提示したのは、企業といちアーティストが向き合うプロジェクトだ。
コニカミノルタのenvisioning studioは、アフター・コロナにおける事業ビジョンを模索するなか、アーティストとの協働によって新規事業の方針がブレイクスルーすることを期待して、長谷川との取り組みをスタートした。
まず長谷川は協働相手として10名のアーティストを候補としてコニカミノルタに提案。そのなかでも、発想が柔軟で、事業との親和性がより期待できた久門剛史が最終的に選ばれた。コニカミノルタでは「Imaging to the People」を経営ビジョンに掲げて技術開発、事業展開を行っており、企業人とはまったく異なる視点で社会をとらえるアーティストと議論を深めることで、新たな「みる」を見出すことを目指す。そうした点において、デッサンにおける絶対的な指標であるパースを描きながらも自由に越境する久門のドローイングに、「大きな変革が生まれると予感した」と長谷川は語った。
コニカミノルタと久門はオンランミーティングと並行して、デジタルに頼らない往復書簡を実施。アーティストである久門が毎回異なるテーマでデッサンや工作の課題を社員に提示し、参加者が課題に応えるなかで、テーマについての思考を深めていった。その往復書簡をもとに、久門がドローイング作品12点を制作。最終的にこのドローイングをもとに、各事業から集まった社員が今後のコニカミノルタの進むべきビジョンを久門とともに議論した。アートを起点とした議論は思考の飛躍につながり、それぞれの事業を異なる視点からとらえたビジョンが創出されたという。
ESGへの効果を検証する蔦屋書店でのワークショップ
主に企業とのアートプロジェクトを企画する「美術手帖」ビジネス・ソリューションでは、アートプロジェクトに関わることが企業の経営にどのような好影響を与えるのか、検証することを取り組みの目的とした。そこで近年国際的に投資家や銀行に着目されている「ESG(環境[Environment]・社会[Social]・企業統治[Governance])」を踏まえ、自然環境と地域社会をテーマにした2つのワークショップを蔦屋書店とともに企画した。
江別 蔦屋書店は北海道・石狩川の近くに位置しており、自然環境をテーマにした店舗だ。そこで、同じく江別在住のアーティスト・進藤冬華とともに真冬の石狩川を体感するワークショップ「石狩川から水を運ぶ」を企画。参加者とともに川まで歩き、水を汲んで蔦屋書店まで運んだ。店内では石狩川に関連する書籍と汲んできた水を展示。寒さの厳しい北海道の自然を直接的に五感で体験することで、環境に対する主体的な再考を促すものとなった。
また、地域社会でのつながりをテーマにしている函館 蔦屋書店では、アーティスト・碓井ゆいとともにワークショップ「函館のかたち」を企画。参加者が函館に対するイメージを語りながら、布をモチーフのかたちに切り抜き縫製し、完成したものに碓井が手を加えたものが、最終的に作品として店内に展示されることとなる。
蔦屋書店を運営するCCCは「カルチュア・インフラをつくっていく」をミッションに文化や生活スタイルを提案しており、アートプロジェクトは同書店のブランディングとも親和性が高い。気付きや問いを促すプロジェクトを通じて、参加者からは高い満足度が示された。
が本来、アートプロジェクトの取り組みが企業のESG経営に与える影響は中長期的に検証されるべきであり、1度のワークショップで効果を判断することは難しい。そこで本取り組みでは、仮に同種のワークショップを継続した場合に期待される中長期的な社会的インパクトを効果検証指標として整理し、企業が文化芸術領域の取り組みを行うことに対する効果の見える化を試行した。
中間支援組織の必要性を提示した、有識者によるワーキンググループ
また、これらのプロジェクトと並行して、有識者によるディスカッションも行われた。主な参加メンバーは、今泉東生(デロイト トーマツ フィナンシャルアドバイザリー合同会社)、梅原あすな(日本公共政策研究機構・客員研究員)、木下明(MONOLITH・CEO)、田崎佑樹(KANDO・代表/REAL TECH FUNDエンビジョンマネジャー)、中崎透(アーティスト)、山峰潤也(東京アートアクセラレーション共同代表)、和佐野有紀(アートコミュニケーター)の7名。3回にわたってアートと企業の協働の可能性や、その具体的なあり方が議論されたが、なかでも特筆すべきトピックは中間支援組織の必要性についてだ。アートと企業の協働が推進され、業界全体がエコシステムとしてより多様に活性化するためには、支援の対象はこれまで主とされてきたアーティストのみでなく、協働しようとする企業やノウハウを持つNPO、文化芸術団体など、様々だろう。また、支援の内容も資金的な支援だけでなく、多様なかたちがあり得る。今年度行われた調査では各国の民間支援についてもリサーチされ、イギリスのNestaなどがスキル取得やネットワーク構築、シンクタンク機能など、多面的にサポートしていることが発表された。
多様化する業界をコモンズとしてより広範的に支援する組織がいることで、文化芸術への投資と経済成長の循環はより円滑となり、またノウハウも蓄積されていくことだろう。
企業と伴走するアーティスト
先述したプロジェクトに共通しているのは、アートが、対象──具体的な作品──として取り組みの中心に据えられているのではなく、アーティスト自身が媒介として企業とそのステークホルダーをとりもち、そこに新たな関係や関係性を生んでいることだ。展覧会や芸術祭といった一般的なアートとの接続とは異なり、作品が展示されること/鑑賞されることが、目的となっていない。「渋谷芸術祭2020」では多様な視座が示され、コニカミノルタでは事業を異なる視点から見るためのガイド役となり、蔦屋書店では伴走者として日常生活の見え方を変えさせた。
こうしたプロジェクトのあり方は、必然的に参加者とアーティストとの接触を濃密にする。数時間、あるいは数回にわたって企業はアーティストと会話し意見を交わらせ、思考を重ねる。ビジネス文脈に置き換えれば、(例えばアートと企業との取り組みとしてこれまで主だった、メセナ活動や広告宣伝の事例に対し)既存業務のブレイクスルーやビジネスシードの開発、ブランディングの深耕といった、多様かつ直接的な影響を与えるものに、企業とアートの関わりは様相を変えつつあることが今回伺い知れた。
ESGが注目されていることからもわかるように、いま企業は、ただ物やサービスを量産し利益を拡大させることのみを目的とするのではなく、事業にまつわる専門性を活かして、顧客に対して価値観を提示することや社会課題に対して責任を持つことが問われている。その意味においては、企業をアーティスト([art]の語源は[ars][techne]であり、[技術]という意味を持つ)と同じ「価値観を制作する技術を持つ者」と言い換えることもまた可能であろう。
だがいっぽうで我々は、高度経済成長(と冷え込み)のさなかに利益や成長を希求し続けたことでその技術を忘れかけ、売上を追う姿勢が刷り込まれてしまっていないだろうか。組織は、社員は、決して歯車という「物」ではなく制作する「者」なのだと、「価値観を制作する」技術を取り戻すリハビリテーションとなる可能性を、アートプロジェクトは秘めている。VUCAの時代に企業が持続可能であろうとするとき、アーティストは伴走者として立ち振る舞い、長い長い持久走を並走するのかもしれない。