ラブドール×篠山紀信が未来を予見する
いつだって時代の特等席に座り、そこから見える光景をカメラに収める。この半世紀、ずっと「時代のいいとこどり」をしてきたのだと篠山紀信は公言する。
そんな写真家が「今」を眺め渡したとき、目に留まったのはラブドールだった。男性が観賞と愛玩、そして性的対象とする等身大の人形。なぜこれが時代の先端? そう考える向きは、この分野の驚くべき進歩を知らないのだ。最高品質のラブドールは現代技術の粋を集めてつくられ、完璧な容姿と理想的な肌合いを持ち、本物の女性と見まごうばかり。100万円を下らない価格でも十分納得できる完成度。古来より脈々と続いてきた、ヒトのかたちを模す造形行為の一つの到達点だ。5年前ではまだ改善の余地があったし、5年後だと人工知能が搭載されてロボット化が進むやもしれぬ。ラブドールはまさに今がピークであり、旬のものを好物とする篠山紀信の触手が動くのは、至極当然なのである。
最先端のラブドールを何体も動員して、和室や廃屋、山深い川辺で撮影が重ねられ、それらを1冊に編んだのが写真集『LOVE DOLL×SHINOYAMA KISHIN』。生身の女性モデルも混ざって写り込んでいたりするのだが、ドールと人の区別がかなり難しい。いや、実際いくつかのカットでは、どれがドールであり人なのか、目を凝らしても判然とせず驚かされる。
それは見る側にどこか落ち着かない、どぎまぎした気分を強いる。能力を高めて人に近づく人工知能に、人間は近く追い越され駆逐される……。誰もが漠然と抱くそんな不安と、諦めからくる倒錯した陶酔感が呼び起こされるのだろう。それこそ、篠山紀信が今作の写真で切り取ってみせた「今の気分」なのだ。
(『美術手帖』2017年6月号「INFORMATION」より)