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コロナ禍は美術館に何をもたらすか? 『ラディカル・ミュゼオロジー』『美術展の不都合な真実』を手がかりに

新型コロナウイルスが美術館に対しても大きな影響を与えている2020年。美術館のあり方は、様々な角度から問われ始めている。そのようななかにおいて刊行された2冊の書籍、『ラディカル・ミュゼオロジー』(クレア・ビショップ著、村田大輔訳、月曜社)日本語版と、『美術展の不都合な真実』(古賀太著、新潮新書)を軸に、小田原のどかが美術館のこれからを眼差す。

文=小田原のどか

『ラディカル・ミュゼオロジー』より

 本稿を書いている6月初旬現在、COVID-19に有効なワクチンはいまだ存在していない。そんななか、日本では緊急事態宣言は解かれ、人々は日常を取り戻そうとしている。そして一時閉鎖されていた美術館の条件付き再開が始まっている。これを喜ばしいと思ういっぽうで、今回の経験が美術館にとってどのような意味を持つのかを考えることが必要ではないだろうか。

 森美術館館長・片岡真実は、世界的なロックダウンによる渡航制限によって、作品およびスタッフの国をまたいだ移動が困難になるという状況に直面したいまこそ「自館のコレクションをこれまで以上に積極的に企画展へ活用することも、促進されてしかるべき」と述べている(*)。これと同様に、コレクション再考の提言は海外の美術館館長からも発されている。

 このようなコレクションの活用に関する提言を考えるうえで、「コロナ禍」のただ中に刊行された『ラディカル・ミュゼオロジー』(クレア・ビショップ著、村田大輔訳、月曜社)日本語版と、『美術展の不都合な真実』(古賀太著、新潮新書)の2冊は思考を深める手がかりとなるだろう。

 『ラディカル・ミュゼオロジー』の原著は2013年に刊行された。著者のクレア・ビショップは英国生まれ、現在はアメリカで活動している美術批評家・理論家である。本書は1990年に『オクトーバー』誌に発表されたロザリンド・クラウスの論文「The Cultural Logic of the Late Capitalist Museum 後期資本主義的美術館の文化理論」に応答したものである。日本語版の翻訳は兵庫県立美術館学芸員、村田大輔による。

 『ラディカル・ミュゼオロジー』で著者は、美術館が商業画廊の主導する新自由主義的経済活動に介入されていることに強く警鐘を鳴らす。そして欧州の3つの美術館での事例紹介を通じ、現代美術館とはどのようなものであるべきかを問う。その美術館とは、オランダのファン・アッベミュージアム、スペインのソフィア王妃芸術センター、スロヴェニアのメテルコヴァ現代美術館である。

 これらの美術館は「新たなコレクション展示のパラダイム」を示しており、「現代美術(コンテンポラリー・アート)を挑発的に再考することを提案するために、自らのコレクションを展示してきた」とビショップは言う。

 本書は、アートにおける同時代性/共時間性(コンテンポラニアティ)についての書籍である。アートのコンテンポラリニアティとは、非常に政治的な問いかけである。なぜならこの問いとは「現代(コンテンポラリー)」はいかに定義されるのかという問題と等しいからだ。すなわち、近代と現代の切れ目の起点をどこに置くのか。1945年(WW IIの終結)か、あるいは1989年(共産主義の崩壊)か──。

 そしてこのような区分自体が西洋中心主義的だという「欠点」を認めながら、先に挙げた3つの美術館におけるコレクション活用の方法論は、明確に政治的な関心に突き動かされており、国民的トラウマに特徴づけられていると著者は述べる。

 国民的トラウマ、それはつまり、アイントホーフェン(アッベミュージアム)はイスラムフォビアと社会民主主義の失敗、マドリッド(ソフィア王妃芸術センター)は植民地期への罪悪感とフランコ政権期、リュブリャナ(メテルコヴァ現代美術館)はバルカン紛争と社会主義の終結である。

 これらの美術館は、市場原理が展示内容に強く影響を及ぼすような現代美術館とは一線を画す。ここでのコレクション活用こそ、「ミュゼオロジー〔美術館学/博物館学〕の実践として、そしてアートと歴史を結びつける(art-historical)方法」だとビショップは言うのだ。

パーマネント・コレクションなしでは、美術館は過去に関わるどのような意味ある主張をするのも困難なのである──しかしまた、未来に関わることもそうだ、と私は請け合いたい。

 さて、『ラディカル・ミュゼオロジー』を日本において読むことの困難についても考えたい。日本においてはMuseumという語が美術館と博物館とに分かれている。日本の美術館と展覧会のあり方は、他国にはない独特の進化を遂げた。『美術展の不都合な真実』ではこれを「企画展中心主義」として焦点化している。

 本書の著者、古賀太は、国際交流基金で日本美術を海外へ紹介する業務に従事し、朝日新聞社文化事業部で海外有名美術館からの借用をもとにした企画展づくりを担当したのち、同紙で美術記者を経験した人物である。

 本書で古賀は、日本固有の現象であるマスメディアと大型美術展の切っても切れない関係に光を当てる。企画展中心主義が日本の美術に何をもたらしたかが論じられるが、古賀はいわゆるブロックバスター展覧会の現状を次のように捉えている。

「文化事業」とは名ばかりで、新聞やテレビの大手マスコミが自社メディア宣伝を駆使して、世界的にもトップ10にはいるほどの混雑の中で作品を見せられているのが、日本の展覧会の悲しい現状だ。有名作品の前で「立ち止まらずに歩きながら見てください」と叫ぶ係員の声を聞きながら見る展覧会のどこが「文化」だろうか。

 ビショップが危機感を表明する、美術館における市場主義的な経済価値への従属という現象は、日本においてはマスメディアが主催する大型企画展として現れていると言えるだろう。マスメディア主催で健全な批評が果たして可能なのか、いまいちど問われる必要がある。

日本の国立館が世界基準になるためには、企画展だのみの動員という考えを根本的に改める必要がある。日本画などの「紙もの」は作品保存が難しく展示期間の問題はあるが、せめて運慶の彫刻などは目立つ場所に常設展示して「目玉」にして欲しい。

 上記のほかにも古賀のはほかにもユニークな「提案」を行っている。その詳細はぜひ書籍で確認してほしい。

*──森美術館館長・片岡真実が語る「新しい日常と美術館」(ウェブ版「美術手帖」より

編集部

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