モダニズム建築の孤児「E.1027」の数奇な運命 『ル・コルビュジエとアイリーン 追憶のヴィラ』
近代建築の巨匠ル・コルビュジエはメディアの重要性を誰よりも理解し、誰よりも巧みに利用した建築家でもあった。彼が提唱したあまりにも有名な「近代建築の5原則」も、内容の革新性もさることながら、メディアに乗りやすい簡潔でセンセーショナルな言い回しが何より重要だったにちがいない。インテリアデザイナーとして知られるアイリーン・グレイが手がけた傑作住宅「E.1027」をめぐる真相、コルビュジエとの確執を描く本作でのコルビュジエは、まさにそのような人物として映し出されている。
輝かしき才能の持ち主であるアイリーンに嫉妬するコルビュジエ。2人の愛憎入り交じる関係にフォーカスする本作には、じつはもうひとり重要な人物がいる。アイリーンの恋人で、建築家で建築雑誌の編集長でもあったジャン・バドヴィッチである。恋人アイリーンと尊敬するコルビュジエの間で揺れるバドヴィッチは、まさに2人をつなぐ媒体=メディアの人だ。バドヴィッチ=メディアによって建築(E.1027)は翻弄され、長らくコルビュジエ作とされたままだったのだ。
「住宅とは住むための機械である」という、これまたコルビュジエの有名な言葉に「住宅は機械ではない」と異を唱えるアイリーンがつくり上げたE.1027は、恋人のバドヴィッチに贈った住宅であり、まさに彼女の子供のようだ。そしてメディアの力(本作ではバドヴィッチ、コルビュジエという男性として描かれている)によって本当の生みの親から引き離されてしまった、モダニズム建築の孤児でもある。
アイリーン、バドヴィッチ、コルビュジエの三角関係から生み出されたE.1027の真相の果てに、アイリーン・グレイの生涯を超えて、隠蔽されたモダニズム建築のもうひとつの出自が見えてくる。それはつねに男性的に語られる建築に対して、女性的な建築とも言えるかもしれない。本作は、ますますメディアと建築の結びつきが強くなる現代にあって、極めて政治的なフィルムだ。
(『美術手帖』2017年9月号「INFORMATION」より)