EXHIBITIONS

生誕110年 岡本太郎―パリから東京へ

岡本太郎 傷ましき腕 1936(再制作:1949) 川崎市岡本太郎美術館蔵 © 岡本太郎記念館

クルト・セリグマン メムノンと蝶 1942 岡崎市美術博物館蔵 DR

下郷羊雄 ブーメラング 1935 名古屋市美術館蔵

ジャン・アトラン パンチュール 1955 一般財団法人草月会蔵 Photo by Y.Uchida

嶋本昭三 作品 1955 兵庫県立美術館蔵(山村コレクション) ©︎ shimamotoLAB Inc.

 前衛芸術家・岡本太郎の生誕110年を記念する展覧会「岡本太郎―パリから東京へ」が開催される。

 名実ともに戦後日本における「顔」のひとりであった岡本。いっぽうで戦後の日本、とりわけ1950年代に国内でいくつかの展覧会を企画し、同時代の欧米の前衛芸術を紹介したことでも功績を残している。

 岡本は1930年に渡仏し、10年間パリに滞在して絵画の研鑽を積んだ。33年には、ジャン(ハンス)・アルプやワシリー・カンディンスキーらが所属していた前衛芸術家の団体「アプストラクシオン・クレアシオン」に参加し、抽象絵画を牽引する芸術家らと親しく交流。なかでもクルト・セリグマン(1900〜62)と意気投合したことで「ネオ・コンクレティスム(新具象主義)」を標榜すると、岡本の表現は抽象を離れ、次第に具体的な要素の表出へと向かっていった。同じ頃、「ネオ・コンクレティスム(新具象主義)」は日本でも紹介され、下郷羊雄や靉光、阿部芳文(展也)といった作家の一部の作品には、その解釈と実験の過程を読み取ることができる。

 戦後、岡本は東京を拠点に活動を再開。精力的に絵画制作を進める傍ら、「夜の会」をはじめとする団体の結成に深くかかわり、とくに新人作家のあいだで強い存在感を示した。同時に、欧米の前衛芸術家たちとの交流を続けていた岡本は、いくつかの展覧会を企画。これを契機として、国内では「アンフォルメル」「抽象表現主義」といった同時代の欧米の美術への関心が深まり、50年代中盤以降の日本の現代美術の方向性が定まっていくこととなった。

 本展は、岡本が戦前のパリで培った前衛芸術家との交友と、戦後の日本において主導した芸術運動との関係に焦点を当てるもの。71点の岡本作品を含め、180点を超える同時代の作品を展示し、オーガナイザーとしての岡本の知られざる側面に迫る。

 なかでも、パリからニューヨークに拠点を移したセリグマンの選出で、アメリカ人作家の作品を加えた「第3回読売アンデパンダン展」(1951)と、ジャン・フォートリエやカレル・アペルらの作品を取り上げた「世界・今日の美術展」(1956)などの記念碑的な展覧会を紹介。これらに感化され、新しい表現の模索に取り組んだ国内作家たちの作品を展観する。