EXHIBITIONS

日本画家・福田眉仙とその周辺

2019.01.03 - 02.11

福田眉仙 興隆灘図(右隻) 制作年不詳

福田眉仙 興隆灘図(左隻) 制作年不詳

福田眉仙 梅下寿老図 雪舟等楊作の模写 1921

福田眉仙 秦嶺桟図 1920

福田眉仙 楓嶽真趣図 制作年不詳

福田眉仙 鶺鴒図 制作年不詳

 中国を行脚した大作『支那三十図巻』や、「新南画風」と呼ばれる独自の南画を手がけた兵庫県出身の日本画家・福田眉仙(ふくだ・びせん)。幼い頃より絵に親しみ、久保田米僊による日清戦争報道画に感激してこれに教えを請い、麦僊(ばくせん)と号した。97年、米僊の推薦で橋本雅邦に師事。翌年の日本美術院創立にも横山大観らとともに参加し、以後日本美術院で研鑽を積みながら、岡倉天心の影響を強く受ける。

 福田が天心のすすめで中国大陸に渡ったのは1909年のこと。峨眉山をはじめ各地を訪れては写生を行い、11年に帰国すると、中国で描き溜めたスケッチをもとに『支那大観』を刊行。また『支那三十図巻』を制作し、『支那三十画巻』の刊行への足がかりとした。この中国旅行で峨眉山に深く感銘を受けて画号を「眉仙」と改める。

 この頃より福田は山水画を中心に描き、しかし従来の南画の目指す理想郷を表現したものとは一線を画した、現地での写生に基づいた作品を発表。13年に天心が世を去り、横山らが再興した日本美術院に加わるも、写生を何よりも大切にしたことから、画家の精神性をもっとも重要とする日本美術院とは次第に距離を置き、独自の境地を切り拓いた。

 本展では、眉仙の新収蔵作品を、姫路市立美術館所蔵の代表作とともに一堂に展示。加えて、橋本雅邦や横山大観ら日本美術院関連作家の作品や、冨田溪仙、橋本関雪、村上華岳ら関西ゆかりの画家たちの作品も紹介する。