EXHIBITIONS

来たる世界2075 テクノロジーと崇高

The Coming World 2075_Technology and the Sublime

2025.02.11 - 03.16

Andrea Samory Chimera 1.1 2023

 GYRE GALLERYで「来たる世界2075 テクノロジーと崇高」が開催されている。出展作家は、アンドレア・サモリー、井田大介、牧田愛、イオナ・ズール。

 本展に際して、企画・キュレーションを担当した飯田髙誉(スクールデレック芸術社会学研究所所長、同廊ディレクター)は次のように述べている。

「ある未来都市では雨が絶え間なく降り続いている。大洪水は現在では何年も続き、人々の想像力や欲望を変え、無限に乾燥した砂漠を夢見ている。映画館では、バッハのコラール前奏曲によって描写される『ソラリス(Solaris)』や『ラ・ジュテ(La Jetée)』のシークエンスがループしている…『来たる世界』の断片的描写。『来たる世界』とは、私たちと自然との関係というテーマに真の緊急性を与え、気候変動、種の絶滅、汚染、再生可能エネルギー、人口過剰などの課題を浮かび上がらせる。私たちはこのように自然を明確に関係的な観点から考えることができ、それによって、自然に対する超越的知識と日常的知識の両方のなかで、新しい知識とテクノロジーを生み出すことができる。その結果、テクノロジーは『来る世界』の自然環境に適応できる私たち人間の心身の変容をもたらすこととなる。

 テクノロジーの驚異的な進化は、私たちが理解できる範囲を超え、しばしば『不気味さ』を伴う存在になり始めている。20世紀の心理学者ジグムント・フロイトが『不気味なもの』(The Uncanny)として言及した、見慣れたものが一変して異質に感じられる現象は、AIやバイオテクノロジーが日常生活に深く浸透する現代において、強く現れる美学的な主題である。技術が人間のスケールや理解の限界を超え引き起こす畏怖や不安を、本展では『技術的崇高』と呼び、それを感じさせる現代アートを考察し、現代の美と畏れについて問い直そうとするものである。

 マルティン・ハイデッガーの論文『世界像の時代』による考察は、現代をメディアと技術による支配が顕わになる表象の時代としてとらえ、メディア社会についての批評的思考を提示した。人間が主体化する世界を表象のプロセスとし、表象として括られた世界を『世界像』と呼んだ。そして、近代的主観性がメディアを通じた共同性をたずさえたことによって、主観と客観が没入的に一致した全体主義的世界(『惑星的帝国主義』)へ向かうのではないかということを示唆している。

 自由、人権、民主主義という『普遍的価値』を掲げた近代社会は、人間の際限のない欲望を肯定し、その欲望を原動力とする資本主義はいまやグローバル化され、さらに国益をめぐる国家間の激しい競争にまで発展してきている。本展覧会では、現代におけるアポリア(解決の糸口を見出せない問)を前提に、新たなコミュニケーション間のプロトコルを起動させ、パブリックな意思決定のイメージに介入するアーティストたちのメッセージを発信する」(プレスリリースより)。