EXHIBITIONS
断続する線:ユリエ・クニファーと菅井汲
ギャラリー・フランク・エルバスと南天子画廊の共催により、Terrada Art Complex IIで「断続する線:ユリエ・クニファーと菅井汲」が開催される。
ユリエ・クニファーは1924年クロアチア生まれ。1960年代以降、ほぼ白と黒の色彩だけを用いて「ミーンダー」と呼ばれる蛇行する線からなるモチーフを生涯にわたって繰り返し描いた。また、クロアチアの前衛芸術グループ「ゴルゴナ(Gorgona)」のメンバーとしても知られる。菅井汲は1919年生まれ。はじめ商業デザイナーとして活動し、その後パリに渡り画家としての活動を始める。クニファーと菅井は、1960年代から明快な色面と構成要素からなる幾何学的な抽象絵画の制作を開始した。
クニファーは「ミーンダー」を、菅井は自身のイニシャルでもある「S」字をモチーフとした、断続する線によって構成された抽象絵画を制作。単純化された要素と視覚的な強度の探究から生まれた彼らの絵画に描かれるモチーフはともに、道路や管状の機関などのインフラストラクチャーや、公共空間において機能する記号とも関わっている。それは、建築や都市計画などのメガストラクチャーと抽象絵画との共鳴を示すものでもあった。
本展は、1960年代から70年代という前衛芸術の転換期において、ともに蛇行する通路や断続する線からなる絵画を展開した両作家の共振を明らかにするもの。クニファーの作品が展示されるのは、日本では今回が初めてとなる。また、展覧会にあわせて刊行される小冊子には、美術批評家・沢山遼が論考を寄稿し、両者の作品の共振関係を、連続性と切断、プロセスの可視化、視覚的強度という観点から再評価し、その現代的意義を問い直す。
ユリエ・クニファーは1924年クロアチア生まれ。1960年代以降、ほぼ白と黒の色彩だけを用いて「ミーンダー」と呼ばれる蛇行する線からなるモチーフを生涯にわたって繰り返し描いた。また、クロアチアの前衛芸術グループ「ゴルゴナ(Gorgona)」のメンバーとしても知られる。菅井汲は1919年生まれ。はじめ商業デザイナーとして活動し、その後パリに渡り画家としての活動を始める。クニファーと菅井は、1960年代から明快な色面と構成要素からなる幾何学的な抽象絵画の制作を開始した。
クニファーは「ミーンダー」を、菅井は自身のイニシャルでもある「S」字をモチーフとした、断続する線によって構成された抽象絵画を制作。単純化された要素と視覚的な強度の探究から生まれた彼らの絵画に描かれるモチーフはともに、道路や管状の機関などのインフラストラクチャーや、公共空間において機能する記号とも関わっている。それは、建築や都市計画などのメガストラクチャーと抽象絵画との共鳴を示すものでもあった。
本展は、1960年代から70年代という前衛芸術の転換期において、ともに蛇行する通路や断続する線からなる絵画を展開した両作家の共振を明らかにするもの。クニファーの作品が展示されるのは、日本では今回が初めてとなる。また、展覧会にあわせて刊行される小冊子には、美術批評家・沢山遼が論考を寄稿し、両者の作品の共振関係を、連続性と切断、プロセスの可視化、視覚的強度という観点から再評価し、その現代的意義を問い直す。