EXHIBITIONS
常設展
私の現代芸術─コンペイ党宣言
川崎市岡本太郎美術館で、常設展「私の現代芸術─コンペイ党宣言」が開催されている。
1961年、岡本太郎は戦後から自らの作品発表のベースとしていた二科会を脱退。戦後から1950年代にかけて仲間とおこした前衛芸術運動は長くは続かず、二科会内での改革も横やりが入り、歩調をあわせた運動にさえ迷いをもった時期でもあった。作品発表の形式や作風、スタイルも大きく変化した1960年代、『私の現代芸術』は岡本の転換期に刊行された著作である。
「コンペイ糖のようにトンがって、すでにでき上がった自分自身とぎりぎりに対決する。その緊張が仕事を支えるのである」。岡本らしい逆説的なもの言いは、この時期に団体や協働をいったん離れ、ひとり立ち向かう覚悟を決めた岡本の態度表明のようにもとらえられる。
「ふっと、まるくなりそうな危険を感じた時、仕事場の壁に貼りつけた、ギザギザのコンペイ糖をにらんで、いよいよ純粋にやりきること、妥協しないこと、そして防御服を着ないで、つねに生身のままで社会の現実にぶつかってゆく決意を新たにすべきだと思うのだ」。本展では、作品とともに、岡本の言葉も紹介されている。
1961年、岡本太郎は戦後から自らの作品発表のベースとしていた二科会を脱退。戦後から1950年代にかけて仲間とおこした前衛芸術運動は長くは続かず、二科会内での改革も横やりが入り、歩調をあわせた運動にさえ迷いをもった時期でもあった。作品発表の形式や作風、スタイルも大きく変化した1960年代、『私の現代芸術』は岡本の転換期に刊行された著作である。
「コンペイ糖のようにトンがって、すでにでき上がった自分自身とぎりぎりに対決する。その緊張が仕事を支えるのである」。岡本らしい逆説的なもの言いは、この時期に団体や協働をいったん離れ、ひとり立ち向かう覚悟を決めた岡本の態度表明のようにもとらえられる。
「ふっと、まるくなりそうな危険を感じた時、仕事場の壁に貼りつけた、ギザギザのコンペイ糖をにらんで、いよいよ純粋にやりきること、妥協しないこと、そして防御服を着ないで、つねに生身のままで社会の現実にぶつかってゆく決意を新たにすべきだと思うのだ」。本展では、作品とともに、岡本の言葉も紹介されている。