EXHIBITIONS
倉田悟「あさをまつよる」
小山登美夫ギャラリー京橋で、倉田悟による個展「あさをまつよる」が開催されている。
倉田は同廊での初個展時、自身の作品を「無価値性と美」で読み解くことができると述べた。人生は無意味で無価値なのではないかという問い、それでもなお存在する美と、心の動きについて「私」を起点に制作してきたと言う。
死と、それに似た眠るという行為をする夜を極度に恐れ、その苦痛を和らげるため生も死も等しく価値がないと思い込むようになった幼少期。それに伴い次第に苛まれるようになった無気力、無感動、無価値感。20代の頃父の車に乗り、まるで透明になったように運ばれ、荷物と自分が大差ないという感覚から生まれた作品《透明なドライブ》(2018-2019)など、倉田が感じた人間存在の曖昧さや虚無感は独自の絵画表現へと発展した。
本展の新作では、描かれるものが大きく変化した。以前のモチーフは、その多くが記憶をもとに想像したもであったが、数年前から高齢者の多い郊外に移り住み、アトリエや自宅の中、その近辺で日々目にする人や植物、自然、動物、昼間の光景も具体的な絵の対象として描くようになった。
新作《あさをまつよる》は、アトリエで横になっている自画像であり、背景にある多肉植物は実際に育てているもの、画中画は以前の自身の作品だ。「待つ」という行為に希望やなんらかの思いもなく、ただ「待つ」という状態の特殊性と重要さ。前回の個展から2年間の社会の変化も大きく、作品制作が難しく感じることもあったという状況も関連している。
倉田は同廊での初個展時、自身の作品を「無価値性と美」で読み解くことができると述べた。人生は無意味で無価値なのではないかという問い、それでもなお存在する美と、心の動きについて「私」を起点に制作してきたと言う。
死と、それに似た眠るという行為をする夜を極度に恐れ、その苦痛を和らげるため生も死も等しく価値がないと思い込むようになった幼少期。それに伴い次第に苛まれるようになった無気力、無感動、無価値感。20代の頃父の車に乗り、まるで透明になったように運ばれ、荷物と自分が大差ないという感覚から生まれた作品《透明なドライブ》(2018-2019)など、倉田が感じた人間存在の曖昧さや虚無感は独自の絵画表現へと発展した。
本展の新作では、描かれるものが大きく変化した。以前のモチーフは、その多くが記憶をもとに想像したもであったが、数年前から高齢者の多い郊外に移り住み、アトリエや自宅の中、その近辺で日々目にする人や植物、自然、動物、昼間の光景も具体的な絵の対象として描くようになった。
新作《あさをまつよる》は、アトリエで横になっている自画像であり、背景にある多肉植物は実際に育てているもの、画中画は以前の自身の作品だ。「待つ」という行為に希望やなんらかの思いもなく、ただ「待つ」という状態の特殊性と重要さ。前回の個展から2年間の社会の変化も大きく、作品制作が難しく感じることもあったという状況も関連している。