EXHIBITIONS
幻影の日本・憧憬の西洋—清原 / ラグーザ玉とヘレン・ハイドを中心に
実践女子大学香雪記念資料館で「幻影の日本・憧憬の西洋—清原 / ラグーザ玉とヘレン・ハイドを中心に」が開催されている。
清原玉(1861〜1939、エレオノーラ・ラグーザ)は、1892年にシチリアのパレルモに渡り、画家、教育者として活動。渡欧してまもなく描いた作品からは確かな技術と西洋文化への憧れが伝わってくる。いっぽうでイタリアに長く暮らした後に日本を思って描いた女性たちは、西洋人が憧れた想像上の日本の情景のように明るく楽しげである。それは彼女自身がそうした西洋人のまなざしを身につけていたからかもしれない。
アメリカ人のヘレン・ハイド(1868〜1919)はアメリカとヨーロッパで美術教育を受け、1899年に初めて日本を訪れると、1914年までアメリカと日本を往復しながら多色刷り木版画やエッチングを制作。作品では、幼い子供たちや子供を慈しむ母を楽しく好ましい情景として表現した。ヘレンの作品からは、異文化として日本を美化するまなざしを感じる。
ふたりが制作した状況は対照的だが、女性や子供、花などの主題を描いた女性画家であるという点では共通する。
玉と同時代に西洋画を学んだ渡辺幽香、秋尾園、岡村政子らの作品からは、女性たちがどのように西洋画のものの見方を身につけたのかを知ることができる。来日して木版画を制作したエリザベス・キース、バーサ・ラムの作品も加え、これら女性作家による約40点の作品を通して、異文化とのあいだで複雑に交錯したまなざしについて考える。
清原玉(1861〜1939、エレオノーラ・ラグーザ)は、1892年にシチリアのパレルモに渡り、画家、教育者として活動。渡欧してまもなく描いた作品からは確かな技術と西洋文化への憧れが伝わってくる。いっぽうでイタリアに長く暮らした後に日本を思って描いた女性たちは、西洋人が憧れた想像上の日本の情景のように明るく楽しげである。それは彼女自身がそうした西洋人のまなざしを身につけていたからかもしれない。
アメリカ人のヘレン・ハイド(1868〜1919)はアメリカとヨーロッパで美術教育を受け、1899年に初めて日本を訪れると、1914年までアメリカと日本を往復しながら多色刷り木版画やエッチングを制作。作品では、幼い子供たちや子供を慈しむ母を楽しく好ましい情景として表現した。ヘレンの作品からは、異文化として日本を美化するまなざしを感じる。
ふたりが制作した状況は対照的だが、女性や子供、花などの主題を描いた女性画家であるという点では共通する。
玉と同時代に西洋画を学んだ渡辺幽香、秋尾園、岡村政子らの作品からは、女性たちがどのように西洋画のものの見方を身につけたのかを知ることができる。来日して木版画を制作したエリザベス・キース、バーサ・ラムの作品も加え、これら女性作家による約40点の作品を通して、異文化とのあいだで複雑に交錯したまなざしについて考える。