EXHIBITIONS
増子博子、宮森敬子「時間をたがやす -二人の実践-」
GALLERY MoMo 両国で、宮森敬子と増子博子による展覧会「時間をたがやす -二人の実践-」が開催されている。
宮森と増子は、日々の集積のなかでつくられていく作品群に移動、自然、記憶、時間といったテーマを共有している。本展では、そう言ったテーマに両作家がどのようにアプローチし、表現しているのかを模索する。
増子は、初期より《盆栽》シリーズに取り組んでおり、ペンによって自身がイメージする理想の形を育て、自然と人間の協働という視点で制作してきた。その後、東北の各地を転々とし、その風土で培われたものを作品のインスピレーションにしてきた。今回展示する作品のひとつ《側−カワ−の器》は、人間と自然の関係の妙を考えた《盆栽》シリーズを制作するなかで「もっと内側からめくり返すような」制作をしたいという思いから、2013年からスタートした。様々な土地での生活、その移動のなかでの出合いに背中を押されるように、1日1点、ドローイングや立体作品として形にしていき、いまでは増子の制作の核となっている。日々の感覚的な小さな作品の集積は、展示のたびにその様相を変容させ、沃野を目指している。
宮森敬子は、日本とアメリカを拠点に活動し、絵画や彫刻、インスタレーションなど多様な表現方法で、個と全体のつながりを探求している。和紙を樹の表面に当て、手製の木炭でこすり、樹皮のパターンを写し取る「樹拓」という技法を用い、その場所と時間を記録しながら制作を行ってきた。コロナ禍をニューヨークで過ごし、その苦境から回復をテーマにした日々の《樹拓シリーズ》は、現在も《TIME》として続いている。日々集めた樹拓は1000日を超え、本展では1日目から1000日目の作品を展示。宮森の日々集められる樹拓は、透明なガラスの箱に収められることで、ただの日常の集積から大事な記憶の保存に変わるようでもある。
両作家が生活し制作してきた場所、環境は異なるが、日々の自身の感覚に真摯に向きあい、その感覚を耕すように模索しながら集積されたふたりの作品を通じて、アーティストの個人的な感覚から普遍的なものを見つけ出す。
宮森と増子は、日々の集積のなかでつくられていく作品群に移動、自然、記憶、時間といったテーマを共有している。本展では、そう言ったテーマに両作家がどのようにアプローチし、表現しているのかを模索する。
増子は、初期より《盆栽》シリーズに取り組んでおり、ペンによって自身がイメージする理想の形を育て、自然と人間の協働という視点で制作してきた。その後、東北の各地を転々とし、その風土で培われたものを作品のインスピレーションにしてきた。今回展示する作品のひとつ《側−カワ−の器》は、人間と自然の関係の妙を考えた《盆栽》シリーズを制作するなかで「もっと内側からめくり返すような」制作をしたいという思いから、2013年からスタートした。様々な土地での生活、その移動のなかでの出合いに背中を押されるように、1日1点、ドローイングや立体作品として形にしていき、いまでは増子の制作の核となっている。日々の感覚的な小さな作品の集積は、展示のたびにその様相を変容させ、沃野を目指している。
宮森敬子は、日本とアメリカを拠点に活動し、絵画や彫刻、インスタレーションなど多様な表現方法で、個と全体のつながりを探求している。和紙を樹の表面に当て、手製の木炭でこすり、樹皮のパターンを写し取る「樹拓」という技法を用い、その場所と時間を記録しながら制作を行ってきた。コロナ禍をニューヨークで過ごし、その苦境から回復をテーマにした日々の《樹拓シリーズ》は、現在も《TIME》として続いている。日々集めた樹拓は1000日を超え、本展では1日目から1000日目の作品を展示。宮森の日々集められる樹拓は、透明なガラスの箱に収められることで、ただの日常の集積から大事な記憶の保存に変わるようでもある。
両作家が生活し制作してきた場所、環境は異なるが、日々の自身の感覚に真摯に向きあい、その感覚を耕すように模索しながら集積されたふたりの作品を通じて、アーティストの個人的な感覚から普遍的なものを見つけ出す。