EXHIBITIONS
開館30周年記念 生誕100年記念 深沢幸雄展-彫版に依って歌う詩人
佐倉市立美術館で「開館30周年記念 生誕100年記念 深沢幸雄展-彫版に依って歌う詩人」が開催されている。
深沢幸雄(1924〜2017)は、山梨県生まれ。東京美術学校(現東京藝術大学)の工芸科で彫金を学ぶ。戦後は千葉県市原市鶴舞に移り住み、油画の制作を行うたが、戦時中に受けた右膝の打撲痕から発病し、以降6年間にわたり不自由な生活を強いられる。闘病中に机上でも制作できる銅版画に取り組み始め、独学で様々な技法を習得した。
1963年には、メキシコ国際文化振興会の依頼により、メキシコシティで銅版画の技法を教えるため初渡墨。以降、メキシコ文明に影響を受けた力強い色面の大型版画を多く制作する。また81年にはチンタラ(一世)と名づけた自動目立て機を開発し、メゾチントと呼ばれる技法を駆使した幻想的な作品をつくり上げた。
深沢は「もちろん豊富、自在な語彙を持つことは重要だが、それだけでは良き文学は生れないし、その反面それが無くては叶わぬから厄介なことである」と自著『銅版画のテクニック』(1966、株式会社ダヴィッド社発行)のなかで銅版画の制作を文学になぞらえて語っている。その言葉のとおり、深沢は日本の銅版画のすそ野を広げるべく長年にわたり尽力した。
深沢はその生涯で1100点を超える作品を制作。本展は深沢の残した作品のなかから作風の変遷をたどれる約200点の作品を展示することで、 深沢が歩んだ長い制作の旅路をともにたどろうとするものだ。
深沢幸雄(1924〜2017)は、山梨県生まれ。東京美術学校(現東京藝術大学)の工芸科で彫金を学ぶ。戦後は千葉県市原市鶴舞に移り住み、油画の制作を行うたが、戦時中に受けた右膝の打撲痕から発病し、以降6年間にわたり不自由な生活を強いられる。闘病中に机上でも制作できる銅版画に取り組み始め、独学で様々な技法を習得した。
1963年には、メキシコ国際文化振興会の依頼により、メキシコシティで銅版画の技法を教えるため初渡墨。以降、メキシコ文明に影響を受けた力強い色面の大型版画を多く制作する。また81年にはチンタラ(一世)と名づけた自動目立て機を開発し、メゾチントと呼ばれる技法を駆使した幻想的な作品をつくり上げた。
深沢は「もちろん豊富、自在な語彙を持つことは重要だが、それだけでは良き文学は生れないし、その反面それが無くては叶わぬから厄介なことである」と自著『銅版画のテクニック』(1966、株式会社ダヴィッド社発行)のなかで銅版画の制作を文学になぞらえて語っている。その言葉のとおり、深沢は日本の銅版画のすそ野を広げるべく長年にわたり尽力した。
深沢はその生涯で1100点を超える作品を制作。本展は深沢の残した作品のなかから作風の変遷をたどれる約200点の作品を展示することで、 深沢が歩んだ長い制作の旅路をともにたどろうとするものだ。