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折元立身が引っ張るものとは? 椹木野衣が見た「キャリング・シリーズから」展

実母との共同制作による「アート・ママ」などで知られる折元立身が、母を亡くして以来国内初となる個展「キャリング・シリーズから」を開催した。世界各地で手に入れたものを担ぐパフォーマンス「キャリング」シリーズの記録で構成された本展を、椹木野衣がレビューする。

文=椹木野衣

路上パフォーマンスを行う折元立身 撮影=元田典利

椹木野衣 月評第109回 折元立身「キャリング・シリーズから」展 引かれていたのはなんだったか

 「椹木くん、もうこうなったら俺がアート・ママになるよ。だから見てよ」──去年の秋、携帯の電話から折元立身のそんな肉声を聞いたとき、アート・ママこと彼の実母、折元男代(おだい)はまだ生きていた。しかし「みずからアート・ママになるしかない」と決心したように、折元の母は100歳を前にすでに老いを極め、かつてのような共同作業はもはや難しくなっていた。私は昨年「釜山ビエンナーレ2016」に際して、折元に《処刑》の出品依頼をしたのをきっかけに、初めて折元の自宅を訪問。家そのものが巨大なインスタレーションと言ってよい様子に、老いた母の介護と同じく老いゆく自身の創作を両立させる過酷さ、というより、両者が切っても切れない関係にあるのを目の当たりにした。

バスタブを引く(ニューヨーク) 1993 デジタルプリント 90×60cm

 実際、その頃、折元は重度の痛風で入院を余儀なくされ、満足な歩行にも事欠き、車椅子を利用していた。去る川崎市市民ミュージアムでの個展会期中にパフォーマンスで大量の車椅子が使われたのも、そのためだ。母の介護をテーマにしていた自分が、いつのまにか介護される側になっていたのだ。しかし独り身の折元は、自分の介護は自分でするしかない。折元自身がアート・ママになるという必然もそこにあった。介護することと介護されることは折元の体を軸に折り重ねられ、性別や親子を超えて「独り身」のアート・ママへと合体したのだ。

ジャケットを引く(ロンドン) 1997 デジタルプリント 60×90cm

 今回の個展は、その母が亡くなって国内では最初の発表となる。同ギャラリーで11月に披露されたパフォーマンスでは、アート・ママになるには化粧して母親に扮する必要があったが、扮装するにも母はもういない。折元は展覧会の初日、ギャラリーに面した路上に喪服を思わせる姿で立ち、ダンボールでつくられた移動式の箱=美術館を骨箱のように抱え、来場者を順番に並ばせてその中を覗き込ませた。すでに2004年に福島で発表しているが、今回は母の遺影が置かれ、一回ごとに鈴を鳴らしている。中では映像が流されており、私が見たのは折元が自宅で洗濯機を回し、台所で水を汲み、母のいる居間に戻っていく様だった。これが折元のアトリエなのだ。しかしそのとき、二人はまだ介護する側と介護される側だった。過酷だが幸福でもあった二人の関係はいまや箱中の幻影と化している。

展示会風景より。壁中央壁には手づくりの煙突が展示されている

 今回の個展では折元が主に40代の頃行われた「キャリング」シリーズの記録が出されている。折元はこれまでも手づくりの煙突や数珠つなぎのジャケット、大量のパン、本物のバスタブ、生きたブタなど、いろんな「もの」を引っ張ってきた。まだ若く元気な頃、彼はなにかを引っ張りたい欲望を抑え切れなかった。しかしそのとき、引っ張られていたものは本当のところなんなのか。今回の個展で私は、実はそれがみずからの肉体だったのではないかと気づいた。元気なうちはそのことを知るため、わざわざなにかを引く必要があった。しかしひとたび病や老いが身を襲えば、特別に引くまでもなく、自分自身が引っ張らなければならない「もの」となる。以後、折元は何かを引くまでもなく自身を引っ張ることになるだろう。このタイミングで過去の「キャリング」シリーズが出された意味も、おそらくはそこにある。

 (『美術手帖』2017年9月号「REVIEWS 01」より)

編集部

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