優美で装飾的な作風で日本国内でも人気の高いミュシャ。そのポスターは誰しも一度は目にしたことがあるだろう。華やかな女性像のポスターや装飾パネルなどは、ミュシャのアイコンともいえる。しかし、「ミュシャ展」の主役は、展示面積の大半を占める《スラヴ叙事詩》だ。同作はミュシャが1910年から26年まで、約16年をかけて手がけた全20点からなる超大作シリーズで、最大のものは横8.1メートル、縦6.1メートルにも及ぶ。
アール・ヌーヴォーで名を成したミュシャ。しかし、本展監修者の美術評論家、ヴラスタ・チハーコヴァーは「ミュシャはデザイナーとしてだけではなく、絵描きとして有名になりたかった」と語る。「チェコはオーストリア・ハンガリー帝国に従属させられていた国でした。その独立を願って、また国の歴史文化を紹介することを願って、1900年に《スラヴ叙事詩》を描くことを決めたのです」。
国を思う気持ちから生まれた大作制作への意欲。しかし、当時のミュシャにはこの大作を描く金銭的な手段がなかった。そこでアメリカに渡ったミュシャは、スポンサーを探し、アメリカ人資産家のチャールズ・R・クレインと出会う。この出会いがきっかけで、超大作に着手することが可能となった。
《原故郷のスラヴ民族》から始まり、《スラヴ民族の賛歌》で閉じられる一連の作品群。これらの各作品には構図的な特徴があると、チハーコヴァーは語る。「絵画の下部に歴史的なエピソード、上部にが象徴的なもの、超歴史的なものが描かれています。ときおり、上下ではなく、バロック絵画に学んで螺旋形になっている。また、ミュシャは信心深く、知と愛への信頼を人間の最終的な目標とするフリーメイソンの思想がありました。《グルンヴァルトの戦いの後》《ヴィートコフ山の戦いの後》という作品がありますが、どちらも戦いの後で、武器は下ろされています。悲しい場面ではあるけれども、勝利者にも複雑な表情が浮かんでいる。ミュシャは平和主義的な人。彼の言葉に『私は人との間の絆を壊すタイプではなく、橋を架けるタイプ(の人間)』というものがある。そういう思想がこの作品郡にはあります」。
ではチェコ、あるいはスラヴ民族のために捧げられたこれらの作品の魅力は、いったいどこにあるのだろうか。チハーコヴァーは次のように話す。「この作品の魅力は自分がこれを見て、歴史を読み取りたいというよりも、絵としての価値観、ヨーロッパの諸民族が根っこの部分でいかに絡み合っているかということ。歴史的価値と美的価値で、私たちチェコ人は評価しています」。
なお、《スラヴ叙事詩》全20点が公開されるのは、2012年のプラハに次いで、チェコ国外では世界初。また本展では《スラヴ叙事詩》だけでなく、これを描くにあたった足跡を紹介するものとして、《サラ・ベルナール》(1896)や連作「四つの花」(1897)をはじめとするアール・ヌーヴォーのポスター、《スラヴ叙事詩》直前に描かれた横4メートル超の大作《ハーモニー》(1908)など全100点でミュシャの生涯を振り返る。