東京展を支えたアーティストたち
──私はパリ展も拝見していますが、今回の東京展はそれを継承しつつも、日本独自の要素が盛り込まれていますね。
東京版のコンセプトの起点となったのは、2017年にクリスチャン・ディオールの70周年の記念事業として、私が以前勤めていたパリ装飾芸術美術館美術館で開催されたものです。その後の巡回展では、それぞれの「エディション」をつくっていこうという考えのもと、毎回再構築をしているんです。最初のパリ展を再定義していくわけですね。
東京展では、ディオールと日本とのつながりを焦点にしました。リサーチも相当深く行っており、様々なものを付け加えています。そこにどのような物語があったのかについては、「ディオールと日本」のセクションで展示されている資料からもわかっていただけると思います。もちろん、そうした日本とディオールの関係性だけでなく、芸術的な視点も重視しました。それを担っているのがまず重松象平さんです。彼は日本生まれですが現在ニューヨークを拠点に活動をしており、OMAのニューヨーク事務所のパートナーでもあります。彼と一緒に仕事をするのは今回で3度目になりますが、今回の東京展は彼に自分自身を表現してほしいと思いました。彼は2つのアイデンティティー──つまり日本人でありながらアメリカに住んで仕事をしている──を有しており、非常にモダンなビジョンも持っています。その示唆を活かし、うまく組み合わせてほしかった。
──そのビジョンはどこに表現されていますか?
東京展はすべてのセクションが重松さんによって再構築されているんです。展示冒頭の「ニュールック」のセクションもそう。天井がスカートの形になっていることに気づきましたか? 「ディオールと日本」では日本のチームとともに約1ヶ月をかけ、この構造をつくりあげました。
──重松さん以外にも立役者がいますね。
写真家の高木由利子さんや切り絵作家の柴田あゆみさん、それぞれのアーティストとの素晴らしいコラボレーションがありました。私からは「ディオールからインスピレーションを受けて自由に作品をつくってください」とお願いをし、そのコラボレーションが結晶化したのです。ディオールが持つフランスのエレガンスや伝統、常に卓越性を求めている姿勢をアーティストたちが見事に表現してくれたと思っています。
──東京展の構成にはどれほどの時間をかけられたのでしょうか?
1年ぐらいですね。パリの展覧会から継続して展示している要素もありますが、日本向けに新しくした点も多い。どのドレス、文章、資料を選ぶかという点において、毎回非常に長いプロセスがあるのです。どこの会場でも必ず見せるというドレスはもちろんあります。しかし私は展覧会が巡回するごとにクリスチャン・ディオール・ヘリテージの倉庫にディオールチームと共に赴き、その都度新しいイメージを提示するようにしているんです。
──会場構成についてはいかがですか?
11月上旬から設営をスタートし、会期1ヶ月前から、専門のチームがマネキンにドレスを着せつけていきました。展示作品の一つひとつを設置したのは2週間前ですね。東京での展示を効率的に行うために、じつはパリで展覧会会場のモックアップを原寸大でつくり、配置を決めていたんです。チームとともに重松さんのドローイングを照らし合わせて、マネキンにつけたドレスをそれぞれ配置してみて、うまくいくかどうかを検証するんですね。
配置についてはインストーラーのチームがマネキンを持って、どこに何をどう置くかという場所決めをするわけですが、グループによっては1日くらいかかることもありました。「もうちょっと右に、左に」「もうちょっと後ろに」とか「もう1回、ちょっとこういうのやってみましょうか」なんていう作業があるんですね。その場にいる担当者たちは私が計画通りに指示を出していると思っていたかもしれませんが、じつは明確なプランというのはないんですね。モックアップである程度のプランが固まっていても、実際の装飾、実際の照明を当ててその空間の「フィーリング」を感じてみると、やっぱり変わってきてしまうものです。
──この展覧会で素晴らしいのは、何がクリスチャン・ディオール自身がデザインしたエッセンシャルで何が後継者によるディオールのDNAを継承したヴァリエーションなのか、絶妙にバランスが取れているところだと思います。
ファッションの専門的な知識がなくとも、ディオールによるエッセンシャルなルックというのは見た瞬間に感じ、理解していただけるんですよね。そこに感じ取れるものを展示物が自明の論として発揮していければいいのです。
美術館でオートクチュールを見せる意味とは?
──こうしたオートクチュールのドレスは非常に繊細で、アーカイヴがあるからこそ実現できたものですね。
テキスタイルというのは本当に繊細で、すぐ損傷してしまうものです。これは私が来館者の方々に必ず伝えたいメッセージなのですが、この展覧会をこういったかたちで見ることができるのは本当に「特権」なのです。というのも、ここでご覧いただくドレスは展示が終わればまた収蔵庫に入り、箱の中で眠りにつくわけです。この展示が人の目に触れる最後の機会となるドレスもあるかもしれません。オートクチュールはそれくらい脆いものなんですね。ですから、ぜひその希少性を享受していただきたい。こんな機会は滅多にないのです。
もうひとつお伝えしたい点があります。それは、オートクチュールのショーは非常に素晴らしいものではありますが、ジャーナリストやバイヤーなど、アクセスが限定されているのです。それに対して、こうした展覧会では一般の方々が近距離で細かいディテールを見ることができます。ショーでも細かいところまで施された刺繍の手仕事などは見ることができません。そうした点に注目していただきたいですね。
──このようなディオールのアーカイヴはいつからあったのでしょうか?
非常によい質問です。じつは昔からずっとあったわけではないのです。過去を振り返ると、世界のどこを見てもファッション展やファッションに特化した美術館がない時代は長くありました(「衣装」の美術館はありましたが)。例えば18世紀や中世の衣服を保管している人はいても、それは「ファッション」という軸ではなかったんですね。残念ながら、ファッション=産業製品という認識だった。メゾンですら、自らの作品を「全部売り切っておしまい」というのがかつての常識でした。ですから、オートクチュール・コレクションはメゾンの手元に残っていかなかったのです。
そうした流れが変わり始めたのは80年代ではないでしょうか。イヴ・サン・ローランがニューヨークとパリで展覧会を行ったのです。他のデザイナーも同じような動きを見せ、私は87年に開催されたディオールの展覧会に従事しました。ここがスターティングポイントだったと考えています。そのとき、メゾン側が「売るのとは違うファッションのメッセージの伝え方がある」ということを認識した。つまり、ミュージアムという環境であれば、一般の方々がファッションにアクセスでき、学び、そして芸術的な美として享受できるという気づきでした。だからその87年の展覧会からアーカイヴを構築し始めるようになったのだと思います。こうした動きは現在、各メゾンでも起こり始めていると思います。
──アーカイヴ構築のために多くのドレスを買い戻したと思いますが、素晴らしいことですね。
そうですね。すべてを保管することになったのはジョン・ガリアーノの少し前の時代からで、メゾンで制作されたものはすべて保管し、収蔵施設に送っています。おそらく何千という点数がある大規模な施設で、ファッションに関して1つのメゾンで持っているアーカイヴ機関としては最大級です。
──アーカイヴができる以前、ディオールのDNAはどのように次のデザイナーたちに継承されていたのでしょうか?
やはり雑誌ではないでしょうか。ファッション業界の人々は、例えば10年前の雑誌を見れば「こういう感じだった」ということを読み取れていたわけで、雑誌が過去とのリンクとして機能していました。ディオールだけに当てはまるものではありませんが、アーカイヴに注力し、そこからインスピレーションを得ているメゾンは増えてきていると思います。ただディオール・ヘリテージが一線を画すのは、そのアーカイヴがクリエイティブ・プロセスに統合されている点だと思います。クリスチャン・ディオール美術館がグランヴィルにつくられたときも、その目的は教育にありました。ミュージアムが企業の中に取り込まれ、積極的に利活用されているのは本来あるべき姿だと思います。
歴史に学ぶ重要性を伝えたい
──私は現在、京都芸術大学で教壇に立っており、若いデザイナーの卵たちに歴史の重要性を教えるということについてよく考えます。今回の展示を通して、歴史の重要性はこのようなかたちで見せていけばいいのだと感じました。
芸術の歴史というのは、こういったかたちで紡がれていくものだと思います。若い頃は巨匠をコピーすることから始まります。フランスの学生はルーヴル美術館でスケッチを描くわけです。まずはそこから段階的に学んでいくことが必要ですが、現代ではどうも「何かつくらなければ、見られなければ、認識されなければ」という欲望が先立ってしまう。必要な過程を踏まずに最短ルートで栄光に行こうとします。それはある意味ヒステリックだとさえ感じます。
Instagramなどのソーシャルメディアを見ていると、現代は何もやらなくてもスターになれてしまう時代なのかもしれません。でも、歴史から学ぶという点において、この展覧会は多くの若い人たちのお手本になると思っています。こうした展覧会はもちろん若い人たちも興味を持ってくれるわけで、そこが素晴らしいと思います。私が常々言っていることですが、展覧会に足を運ぶことは、本を読むようなことなのです。自分が主人公として読むという受動的な意味ではなく、積極的に主体性を持つことでより楽しく学べる、ということですね。