トビリシには海がある。その小さな「海」は街の北東側、ソヴィエト時代に人工的に造られた貯水池で、いつも青い水をたたえて静かに波寄せている。街からほど近いけれど、その荒涼とした佇まいは遠くに来たなぁという気にさせる。内陸の街がはるか海を想ってトビリシ・シーと名付けたのか、海というには動きも力もなくて面白味に欠けるけれど、水に何を見ているのか不思議と私を穏やかにする。
冬晴れの天気の日、トビの散歩がてらトビリシ・シーへ向かった。
ジョージアに来て、いつも足元の土が気になっていた。きめ細かくて少し粘りがあって、すぐに土埃となって舞い上がる。乾いた夏、谷間のトビリシはその土埃のなかに沈んでいた。おかげで私の黒いスニーカーは常時ボヤけた色をしていて、いつだって足元を美しく保っているジョージア人たちを見ればその努力がうかがわれた。
水や火との関係によって姿を変える土は、大地にあっては香り豊かで味の濃い作物を育てる。また人の手によって造形され、ワインを熟成させる甕にもなる。剥き出しの大地が広がるこの国で、視覚的にも土の存在は迫ってくるものがあった。それで冬のあいだ、その土を使って何かつくろうと粘土が採れそうな「海」へやってきた。予想通り、その辺りは波で砕かれよく練られた土の層が広がっていて、小さな器を手捻りしてみようと少し持ち帰った。
1月半ば、新年と正教会のクリスマスが過ぎても街は気怠げに休日をひきずっていて、人々もまだどこかぼんやりしている。そんな頃に沖縄から写真家の山元彩香さんが来た。それも作品をつくるために。一昨年東京で知り合って、互いの展覧会を行き来したり酒を飲んだりする間柄で、ジョージアへぜひ遊びに来てねと話していたのだった。
しばらくうちに滞在する予定で、雪のなか空港からタクシーで到着した山元さんは、ひとりでどんなふうに運んだのだろうかという大荷物だった。
荷解きが済むと、作品のモデルと撮影場所を探している山元さんにPaataさんを紹介した。10月まで住んでいた借家のオーナーで、それ以来何かと世話になっている人だ。
Paataさんにはジョージアの伝統舞踊の踊り手である、Lilianaという13歳の娘がいる。
うっすら雪の積もったPaataさんのサマーハウスは冷え冷えしていた。簡単にブロックを積んだだけの壁は隙間だらけで、小さなペチカに次々薪をくべても隙間風が熱をさらう。時間をかけて手づくりしてきたその家は、まだ半分もできあがっていない。それでも夏に遊びに来たときに比べれば着実に工事は進んでいるようだった。
サマーハウスはテレティというトビリシから車で南に30分ほど離れた村にある。春には桜のような花をいっぱいに咲かせるアーモンドの木々が群生する丘を望む、静かで小さな村だ。
村にはしばらく人が住まずに打ち捨てられた廃屋がいくつかあった。
ひとつ目の家は壁と天井は残されているものの、床が抜けて内部に爆発的に生い茂った薔薇が、その攻撃的な刺で入室を拒んでいる。2つ目はねじれた体に瓦屋根が引っかかっていまにも崩れそうな家で、ペンキの剥がれかけた紫の壁を冬の太陽が暖めている(中にはミサイル?を格納する軍事用の木箱が落ちている)。そして3つ目はまだかつての生活者の気配が残るけれど、もう人を住まわせることを忘れてしまったような家だった。どれも詩情のある家ではあったけれど、とくに3つ目の家は山元さんを興奮させた。目を輝かせてさっそくアングルを確認し始める。
ジョージア人的な強い眉と優美な鷲鼻、映画から抜け出てきたような時代を超越した顔立ちのLilianaは、いつもはにかんで照れたように小さな声で話す。しかしカメラを通した山元さんの視線の前に立つと、ただ真摯にその視線の意味を探り、明晰に応答しているように見えた。それは2人だけの無言の会話で、立会人である私には聞くことのできない言葉であった。
撮影が終わると、先ほどまでの強い集中力は途端にとろけていつものLilianaに戻った。ペチカの前でソーセージパンを頬張りながら友だちとはしゃぐ彼女の横で、カメラに魂を抜かれたのは写真家のほうじゃないか、というくらいに疲れ切った山元さんが椅子にもたれていた。
3週間後、山元さんが全力の制作を終えて帰国するのと前後して、私にもじっくり制作に向き合える場所ができた。画家のTamarが市場のなかにあるビルにスタジオを借りたという。限られたスペースではあるけど、大きな窓があるから描きにおいでと誘ってくれた。家からもそう遠くないし、なによりTamarが望むのでトビを連れて沼さんと通うことにした。
1年近くもさすらいの画家でいることに疲れていたところで、絵を描くためだけの空間に腰を据えて筆を握れるのは嬉しかった。それに、3階のスタジオの窓は大きな交差点に面していて、そこからの景色はつねに動きがあって見飽きない。向かいのビルの住人の暮らしぶりや、野良犬や通行人が行き交う姿は無声映画のようで妙にコミカルだ。
昼過ぎから始めて西陽が黄金色に私の顔を焦がし、それから雪山の向こうに太陽が隠れると、窓に描いた絵が見えなくなってくる。それまでにたいてい1、2点は描きあげて、合間にはお茶を飲んだりトビと遊んだりして1日が完成する。平日はそんなふうに過ごしていた。
雨の土曜と雪の月曜に挟まれた日曜日、午後から晴れるという予報を信じてトビリシ近郊の林で野焼きをした。トビリシ・シーの粘土はさして苦労もせずにうまいこと造形できて、ピアラ(ワイン用の杯)や湯呑み、小さな彫刻など粘土が尽きるまでつくった。
友人たちと協力しあって薪を集めて炭をつくり、その中にそっと器を並べる。おなじ火で子豚を焼き、スープをつくる。どこからかやってきた野良犬が物欲しげに見ている。肉の切れ端を分けてやると誰よりもうまそうに食べていた。
頃合いで灰の中から取り出した器たちは、割れもせずどれもうまく焼けていた。灰を払ってさっそくワインを注ぐ。器の中を血のような色でゆらゆらしているワインは、土の味なのかほんのり硫黄の香りがした。
この国にいられるのはもう10日ほど、見えるものすべてが鮮やかに迫ってくる。まるで初めて見るかのように見慣れた景色が騒々しい。
01. 庄司朝美「Daily Drawing」より、2022年、窓に油彩 撮影=筆者
02. トビリシ・シーを望む 撮影=筆者
03. 廃屋の壁にかけられた針刺。針仕事をここでしていたのだろうか 撮影=筆者
04.Paataさんのサマーハウスにて。休憩中のモデルとなってくれ子たち 撮影=筆者
05. Tamarのスタジオにて筆者とトビ 撮影=田沼利規
06. 採集した土でつくった杯。ひび割れもせず機能を果たしている 撮影=筆者