60年代以降、ブラントの取り調べをしていたMI5の捜査官ピーター・ライトは、フィービー・プールにも疑いの目を向けた。オックスフォード卒の彼女が、ブラントとオックスフォードのスパイ団との架け橋のような役割を担ったのではないか、と。カーターはライトの著書にある矛盾や事実誤認を挙げ、それは事実と異なると断定している(*5)。プールはうつ病がひどくなったために精神科に入っていた。1971年、地下鉄に飛び込んで命を絶ってしまう。58歳だった。うつ病がひどくなり、最後は何か聞き取れないことをつぶやき続けていたプール。プールは、ブラントにコールドストリームの小さな作品を遺したという。
「Closed Windows」展で取り上げた作品にエミリー・ワーディルの《No Trace of Accelerator》(2017)がある。フランスの田舎町で実際に起こった連続火事事件をもとに、3人の演者が台本に頼らず、即興的に物語のようなものをつくり上げてゆく映像作品だ。扉に鍵をかけて地下室にこもる男性、彼の世話をし、ラジオから流れる音楽や原因不明の火事の報道に耳を傾ける女性。彼女も長年家から一歩も外に出ていない。そこへ訪ねてくる、消防士の男性。村の住人は全員避難したので、女性も避難するように、と彼は促す。火という形のない予測不能な動きをするものを型にはめ、予測しようと専門家たちが四苦八苦する側で、火事は発生し続ける。避難を勧める消防士に彼女は言う、「火はどこへだって行けるし、私についてくるかもしれない」と。消防士は逃げたほうがいいと忠告するが、彼女は「現在」にこだわる。
いつの間にか彼女の家に毎日通う消防士。彼女がその事実を示すと、自分の行動に初めて気づいたように、なぜここにいるのかわからないと取り乱し、家に帰りたいと言う。消防士に憑依し彼を惑わす(ように見える)彼女は、どこか魔女的でもある。まもなく画面が転換し、暗い部屋の台の上でうつぶせになっている裸の彼女が映る。火事に巻き込まれたのか、大きな火傷のようなものを背中に負っている。彼女は動かない。そばに立つ同居の男性は彼女に寄ってくる何者かを追い払うように言う、「私のものにさわらないで」。彼女はラジオを通して外からの声を聞いていた。しかし、彼女の声は外に出ることはない。
1979年、ジャーナリストのアンドルー・ボイルがブラントの二重スパイ活動について、著書『裏切りの季節』で書いた。この本で、ブラントの名前は伏せられる。代わりにその二重スパイに与えられたのは「モーリス」という名で、フォースターの小説から取られたという。E・M・フォースターがこの世を去ったのは1970年、『モーリス』の出版は翌年1971年。ケンブリッジ、同性愛者……。できすぎているし、モーリスという名前が侮蔑と結びついたように思え、読んでいて呆然とする。考えすぎかもしれないが、当時ある種の人々にとって『モーリス』が嘲りの対象だったようにすら感じた。
出版後、当時の首相サッチャーが議会でそのモーリスがブラントだったことを公表し、彼のセクシュアリティも知られることとなる。セクシュアルマイノリティに対する差別もいまより強かった時代だ。イングランドとウェールズで男性間の同性愛行為が非犯罪化されたのは、1967年。スコットランドと北アイルランドで非犯罪化されるのは80年代初頭まで待たねばならない。まもなく英国王室は彼からナイトの称号を剥奪、様々な肩書きが彼から奪われてゆく。連日メディアは、煽るような報道を続けた。陰謀論を語り、そして彼のセクシュアリティや「性癖」について、あることないことを書き連ねた。なぜサッチャーはわざわざ暴露したのか。本書は、暴露が政府にとって都合の悪いニュースから目を逸らさせるためのものだったとも指摘する。
保守党下院議員アラン・クラークが日記に書いているように、ブラントのニュースは政府の失態から注意を反らす「格好の材料」になった。「英国経済は綱渡りのような状況が続いていた。しかし」ブラントの醜聞のおかげで「みんなの関心がよそに向かってくれた」。 ミランダ・カーター著、桑子利男訳『アントニー・ブラント伝』(中央公論新社、2016)
暴露後に開いた会見で、彼はフォースターの言葉を引用しこう述べたという。「もし仮に友達を裏切るか、国を裏切るかの選択を迫られたら、自分は国を裏切るだろう。それだけの度胸が自分にあることを望む」。それが、さらなる批判を呼んでしまう。この発言の意図はなんだったのか。カーターは続けてこう書いている。
ブラント世代の同性愛者にとって、友人という存在が、敵対する世の中で、あらゆる形の支援網を提供してくれ、国家から護ってくれたという事実である。友人たちは個人の秘密を守ってくれた。愛、友情、誠意(キングズ・コレッジで称揚されていた特質である。このキングズ・コレッジでブランドはさまざまな絆について学んだのだった)という生きた力に対して突きつけられたのは、国家の生命のない手だった。 ミランダ・カーター著、桑子利男訳『アントニー・ブラント伝』(中央公論新社、2016)
本書に収められたいくつかの写真には、細身で背が高く、どこか憂いのある表情を浮かべた若きブラントが写っている。使徒会やブルームズベリー・グループの閉じられた場で、若者らしいいくつかの恋を経験しただろうブラント。クエンティン・ベルは、兄ジュリアンとブラントの関係についてこう書いている。
「ジュリアン本人から聞いた話だと、ブラントと一夜を過ごしたらしいということでした。トリニティの壁をよじ登ったりもしたらしいです。わざわざよじ登ってまで、するほどのことではなかった、と言っていました。ああいうことはジュリアンの嗜好ではありませんでした。でも、ブラントに対しては熱心でしたからね。」 ミランダ・カーター著、桑子利男訳『アントニー・ブラント伝』(中央公論新社、2016)
ブラントは1983年、心臓発作を起こし75歳でこの世を去る。
2017年9月、帰国してから数日後にロンドンのヴィクトリア・ミロ・ギャラリーで、ある展覧会が始まったことを知った。ヘルナン・バスの「Cambridge Living」。パントに乗ったり、ケンブリッジの「儀式」に没頭する若者たちの様子を描いた一連の絵画をギャラリーのウェブサイトで見てみる。水辺の風景はトマス・エイキンスの作品も 想起させたが、何よりも目を引いたのは夜にケンブリッジの建物の外壁を登る若者を描いた「Nightclimber」のシリーズだった。彼らはケンブリッジの学生文化のひとつである「ナイトクライミング」(*6)に興じているだけで、同性愛行為と結びつくわけではない。それでも彼らの姿や表情を見ていると、『モーリス』やブラントの青春時代のことを思わずにはいられなかった。
キングス・カレッジの窓からクライヴの部屋に入ったモーリス。やがて成長し、クライヴは結婚を決め、モーリスは自分が同性愛者であることを彼なりに受け入れてゆく。そして、クライヴの家の庭師であるアレックと恋に落ちる。アレックもまた、昼間の作業中にあえて忘れたように残したハシゴで壁を登り、窓からモーリスが寝ている部屋に入る。物語の最後、モーリスは政治家を目指すクライヴに、アレックと一緒に生きていくと告げる。クライヴ(国家、と言えるかもしれない[*7])に背を向けるように、彼はアレックと森の奥へと消えてゆく。法律の観点から言えば、彼らが森から出てこられるようになるまで、数十年を待たねばならない。
「Closed Windows」で展示した別の作品に、朝海陽子の《ブレイド3、ロンドン》(2006、「Sight」シリーズより)がある。室内で映画を観ている様々な関係の人々を撮影した本シリーズのなかでも、特に惹かれて展覧会への出展を依頼したのは、赤い壁の部屋で『ブレイド3』(2005)を観る男性ふたりの写真だった。撮影地はロンドンで、作家に聞くと、ふたりはゲイらしい。彼らの関係性は作品において自明なことではないし、鑑賞時に必ずしも必要な情報ではないかもしれない。しかし、その偶然に少し嬉しくもなる。モーリスとクライヴ、もしくはモーリスとアレック、ブラントと彼の恋人たちは、閉じた場所から出ることはできなかった。その時代を経て、現代イギリスで、ふたりの男性が、ポテトチップスを食べながら『ブレイド3』を観ている。今回のリサーチを通じて見てきた歴史の流れの先にある、ちょっとした希望を見たように感じた。
いっぽうで、フィービー・プールのように自分の声を持てなかった、閉じた場所に居続け、もしくはそこから排除され、本当の声をあげる機会を与えられなかった女性たちがいた。ブラントら男性同性愛者を守っていたケンブリッジやブルームズベリーグループの「支援網」からこぼれ落ちたヴィヴィアン・エリオットのような人がいた(*8)。リサーチでふれてきたいくつかの物語の向こうに、あふれていった彼女たちの声があったかもしれない、ということは忘れずにいたいと思う。
*1──イギリスの保安局。国外での活動を主とするMI6に対し、国内の治安維持に携わる。
*2──発表は死後だったが、生前から親しい友人らに読ませていた。
*3──最終的に、死ぬのはダロウェイ夫人ではなく詩人のセプティマスになる。
*4──同性愛という秘密を共産党に握られスパイ活動に加担している、といういわれのない言説等に基づいたものだった。イギリスに目を向けると、ロシアのハニートラップに掛かり、ゲイであることを暴露すると脅され二重スパイをしていたジョン・ヴァッサルの例もある。しかし当然ながらハニートラップにかかるのは同性愛者に限るものではない。
https://www.bbc.com/news/magazine-35360172
*5──ライトは『スパイ・キャッチャー』の中で、1930年代にプールがブラントの連絡役だと書いているが、その時ブラントはソ連に流す情報は持っておらず、プールがブラントに出会うのも40年代に入ってからだ。また、ライトはプールが共産主義者だと主張したが、その根拠としたのが、彼女の親友が共産主義者だから、という短絡的なものだった。
*6──ナイトクライミングに興じる若者たちを撮影した作品集に匿名写真家Whipplesnaithによる「Night Climbers of Cambridge」があり、1937年に出版されカルト的な人気を誇った。
*7──こう解釈すると、先の会見でのブラントの引用もまた違った意味を帯びてくる。
*8──『ヒロインズ』によれば、ヴィヴィアンの書いたものは、T・S・エリオット遺産財団によって閲覧が著しく制限されている。
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