激動の1950年代 表現のダイナミズム
1950年代、敗戦を経た日本は政治と文化の両面で変革の時を迎えた。朝鮮戦争勃発(1950)、サンフランシスコ講和条約(1952)といった歴史的事件があり、日本共産党が闘争的な政治運動を繰り広げたいっぽうで、大量生産と消費社会に下支えされる大衆文化が大きく花開いたのだ。大衆文化が発展した背景には、テレビやラジオの民間放送の開始、大衆雑誌のブームといったメディア状況の変化がある。ジャンル間の交流も活発だったこの時代を概観するには、そうしたメディア状況の変化も見据え、ひとつのジャンル内の文脈にとどまらない複眼的な洞察による検証作業が必要となる。フランスの哲学者レジス・ドブレが提唱した「メディオロジー」の手法にのっとって、活字・出版、映像・放送、表現・身体という3つのメディア様式から1950年代の多種多様な表現を考察する本書は、そのような複眼的洞察を促す格好の論考集である。
花田清輝の定義に依拠する「転形期」という概念は、たんなる過渡期のことではなく、矛盾や対立も併存する緊張状態のただ中を意味する。本書に収録された各論の研究対象は、ガリ版、写真、映画、テレビのドキュメンタリー番組、美術など幅広く、いずれも転形期のダイナミズムを多角的にとらえた切り口となっている。1950年代を「一億総白痴化時代」と揶揄したのは社会評論家の大宅壮一だが、この時代における大衆向けメディアの力を低く見積もるわけにはいかないだろう。例えば阪本博志は大宅の活動としては比較的知られていない海外ルポルタージュに注目し、大衆から知識人にまで届いたその活動を再考しているし、ジャスティン・ジェスティは坑夫として働いていた版画家・千田梅二の創作活動を一例として参加型文化の政治性を考察している。美術を扱った論考としては、田中敦子の《電気服》を 大阪という都市環境との関連から読み解いたナミコ・クニモト論文、「タブロー危機論」をめぐる複数の見解を当時の美術界に浸透していた芸術観を交えて整理する鈴木勝雄論文などがそれぞれ刺激的な論を展開しており、1950年代の美術動向を「前衛」の一極だけでなく社会・経済状況や言説空間の複層的な変動においてとらえ直す観点を提供してくれる。
前衛と大衆芸術、専門家とアマチュア、政治と生活、個人と集団。そういった垣根を超えて作用を及ぼすメディアの力を観測するとき、幾つもの層を織り成す時代の姿が浮かび上がる。おそらくその手法は、政治とメディア環境が複雑に絡み合う21世紀の現在の状況をとらえ直すうえでも役立つものとなるだろう。