「未来の美術」とは何か
第2章「未来の美術を求めて」では、1968年の「第34回ヴェネツィア・ビエンナーレ」における菅井の展示が再現されており、本展のハイライトとなっている。会場では当時の展示写真をもとに、実物、再現作品、幕プリントなどを組み合わせ、当時の臨場感をたっぷりと体感できる。

特筆すべきは、ビエンナーレ出展を控えた前年、菅井が愛車のポルシェで大事故を起こし、首の骨を折る瀕死の重傷を負っていた点だ。制作活動の危機に直面しながらも、翌年にはこれほどの群作を完成させて出展をはたし、69年には東京国立近代美術館の大壁画《FESTIVAL DE TOKYO(フェスティヴァル・ド・トーキョー)》を手がけた。身体の自由を奪われた制約から、アシスタントとの協働やユニットの組み合わせによる制作へと手法を転換した意義は大きい。描くことへの執念と強い個性がひしひしと迫ってくる。


本章では「太陽」「フェスティヴァル」「VARIATION(ヴァリアシオン)」といった重要シリーズもあわせて紹介される。会場の随所に散りばめられた写真資料や知人らのコラムからは、画家としての矜持と人間味が浮かび上がり、作品の鑑賞体験をより深いものとしてくれる。

葛藤の果てに
10年以上にわたり独自のアプローチで「未来の美術」を模索し続けた菅井であったが、1980年頃になると、生きているうちにその理想へは到達できないのではないかという不安に苛まれるようになったという。ならばと、それまで封印してきた荒々しい筆致による制作へと突入したのが第3章「表現の揺らぎ」(1980年代初頭~90年代初頭)だ。ここでは、造形表現を楽しみながらも、制作への葛藤が読み取れる「S」のシリーズを軸に展開している。

あわせて、絵画以外の仕事や作品の精密な設計図も本章では紹介されている。デザイナーとしての出自が、菅井の画業を一貫して支える骨格であったことが理解できる展示だ。





















