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最長老の前衛芸術家が表現する「原子力」。椹木野衣が見たイトイカンジ個展

2017年に97歳を迎える前衛芸術家「ダダカン」こと糸井貫二(1920〜)が9月に個展「Paper Penis Exhibition」を開催した。「原子力」への関心を軸に展開された本展を、椹木野衣がレビューする。

文=椹木野衣

仙台の自宅にて《赤裸裸》を制作している様子 撮影=小池浩一

椹木野衣 月評第111回 イトイカンジ個展「Paper Penis Exhibition」 カミの原子炉

 ダダカンこと糸井貫二氏は今年の師走で97歳を迎える。1960年代前半に読売アンデパンダン展でひとつのピークを迎えた日本の前衛美術界、最長老と言って差し支えないだろう。もっとも、糸井氏(私は普段敬称を略して批評を書くが氏に関してはどうしてもそれができない)は、ネオダダやハイレッド・センターに代表される一連の前衛グループから世代をさらに遡る。なにしろ1923年に起きた関東大震災に新宿の自宅で遭遇、被災して浅草に越した幼い記憶をいまも鮮やかに蘇らせることができるのだ。

鈴木大拙の『赤裸々』をコラージュした作品 撮影=margarine

 その後、糸井氏は太平洋戦争への従軍と敗戦をくぐり抜け、東京五輪、大阪万博といった高度経済成長のピークで伝説の路上裸体ハプニングを披露。近くは東日本大震災を仙台の自宅で体験、2020年の新東京五輪を100歳で迎える。震災から震災へ、五輪から五輪へと日本の激変と循環を身をもって生きてきたことになる。

 そんな糸井氏はこれまで、そのハプニング性から肉体の芸術家として語られてきた。それは歴史的な意義を持つ。だが、芸術家としての糸井氏の資質を現在まで一貫して開花させ続けているのは、実は版画やコラージュ、メール・アートといった紙による表現なのだ。

1960年頃制作された版画作品《原子炉》のコピーを用いたペーパーペニス 撮影=margarine

 実際、今回の展示では2015年に偶然、糸井氏の自宅から発見された古いスケッチブック(1960年頃か)をもとに、企画者の小池浩一によるキュレーションが施されている。細長いコの字型の空間は、1954年に仙台で創刊され、いっときは糸井氏も表紙に版画を寄せていた『遊』(主宰は俳人で版画も手がけた飯田岳樓。糸井氏が版画を手がけるきっかけをつくった)の誌面をコピーして再構成した新作のペーパーペニス(糸井氏が長年にわたり身の回りの広告や郵便物などをハサミでペニス型に切り抜いたもの)による紙尽くしの連作に始まり、東日本大震災以降、三陸や仙台で生まれたストリート・アートの担い手たち(もともとダダカンのハプニング性と、グラフィティやZINEに代表されるストリート・アートは相性がいい)の表現を材料につくられた、やはりペーパーワークが、先のスケッチブックに付箋で挟まれていた「祈り」の文字に連なる紙表現の現在形として末尾に飾られている。両者は入口=出口で対面しており、決して広いとは言えない空間に、およそ60年にも及ぶ時間と事件が刻まれ、最後には「外」へと通じる開口で再会することになる。

防護服に見立てた白い作業服を身に着けているダダカン 撮影=小池浩一

 展覧会のあと、久しぶりにご自宅を訪問した。驚いたのは、『遊』の表紙に使われた版画に「原子雲」(1958)、つまり核兵器だけでなく核発電が描かれていることの背景に、糸井氏から5つほど歳違いの従兄弟で、京大から東海村に赴任し、日本の原子力開発の黎明期に深く関与した矢野淑郎(日本原子力研究所→神戸商船大学原子炉工学研究室)がいた事実を、糸井氏の口から教えてもらったことである。

 会場には、福島原発事故が起きた2011年の暮れに、みずから防護服(胸には「防塵服」)を着て茶の間に身を置く写真も展示されていた。核へと向けられた糸井氏の表現が、すでに1950年代末から「反原水爆の時代」を超えて、未然の「3・11以後」を射程に入れていたことがわかる。

 (『美術手帖』2017年11月号「REVIEWS 01」より)

編集部

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