椹木野衣 月評第97回 躍動する印刷 山口はるみ「Hyper! HARUMI GALS!!」展
渋谷駅から西武百貨店の脇を抜け、公園通りに沿って坂を登ると、渋谷パルコ・パート1の建物が見えてくる。それは、ある世代にとって、確実に渋谷の原風景になっていたはずだ。だが、それだけではない。ここは1980年代の「読売アンパン」とでも呼びたくなる「日グラ」から「アーバナート」に至る一連の公募展を主催し、村上隆「スーパーフラット」展の最初の開催をはじめ、歴史的にも大きな役割を果たしたパルコギャラリーなどを備えた、渋谷ならではのアートの発信基地でもあったのだ。
その渋谷パルコが、全面建て替えのため一時休業する。2019年には新たに20階建ての高層ビルとして「新生」するということだが、先のような記憶を持つ者にとっては、またひとつ歴史を証言する場が失われることに変わりはない。実際、館内のいたるところに「ザ・閉店セール」と掲げられた広告を見ていると、その感をいっそう強くする。けれども、そんな一角にあるパルコミュージアムで開かれた今回の山口はるみ展は、1973年から2016年まで渋谷パルコが発信し続けたアートの終幕を締めくくるにふさわしい、もうひとつの「新生」を備えていた。
展示されているのは、エアブラシを駆使してハイパーリアルな女性像を描き、広告やTVコマーシャルを通じて、文字通り渋谷の「顔」となったイラストの原画や当時のポスターである。山口は当時、パルコという流通文化構想を打ち立て、街のただなかで実現した増田通二から声がかかり、アートディレクターの石岡瑛子、コピーライターの小池一子と協働で、これらの心臓部にあたるイメージを次々に提供していた。しかし他方、これらの広告は、消費文化ならではの強みでもある速度や流通と引き換えに、一定の役割を終えると人々の眼の前からは急速に忘れられていった。
けれども、それから数十年の時が経ち、原画がいまこうして、建物の取り壊しを前に展示芸術としてふたたび世に出されるのを見るとき、70年代から80年代にかけて、本当の意味でのちに伝えられるべきアートは、いまや死語のようになりつつある「現代美術」よりも、実は山口の絵のほうだったのではないかという思いを強くするのである。
先にハイパーリアルと書いたが、山口の絵は60年代なかばからアメリカ発で一世を風靡した、いわゆるハイパーリアリズムやフォトリアリズムとは微妙に、しかし確実に違っている。というのも、山口の絵は、一見しては対象を写真のように精密に写し取っているようで、実際には様々な解釈や技巧が施されており、とりわけ、山口が幼少の頃から得意とする多彩な球技によって培われた身体センスに多くを負っている。そのため、じっと見ていると、「キメ」や「タメ」とでも呼びたくなる非写真的な知覚への働きかけを、見る者に対して迫ってくるのだ。
こうした感覚は、かつて彼女の絵をもとに機械的に複製され、街に貼り出された広告からは決して得られなかった性質のものでもある。印刷なら印刷に適応すれば済むところを、山口はなぜ、ここまで迫真的な物質性を絵にもたせたのか。山口の絵は、イラストとタブローをめぐる境界を、いまあらためて相対化している。
(『美術手帖』2016年9月号「REWIEWS 01」より)