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旅する自分の特権性を問いかけて。岡野恵未子評「ものづくりvol.2 演劇クエスト 町場のメリヤス」(太田市美術館・図書館)

太田市美術館・図書館で開催された「ものづくりvol.2 演劇クエスト 町場のメリヤス」。太田に受け継がれてきた「ものづくり」の遺伝子を探求する企画展シリーズの第2弾を、アートマネージャー・岡野恵未子が振り返る。

文=岡野恵未子

館内の展示風景 撮影=吉江淳

旅する自分の特権性を問いかけて

 本展は、群馬県の太田に受け継がれてきた「ものづくり」の遺伝子を探求する企画展シリーズの第2弾。戦後、太田で発展したメリヤス(ニット)産業をテーマに、アート・コレクティブのorangcosong(住吉山実里+藤原ちから)が作品制作を行った。

 作品は、ゲームブックのような〈冒険の書〉を手に、そこに書かれた指示に従い、まちを探検する遊歩型のアートプロジェクト《演劇クエスト》の、28作目となる新作。本展でも例外なく、美術館・図書館内での展示に加え、約3時間かけてまちを回遊する「冒険」が待っている。

 美術館のなかで展開される展示のパートは、orangcosongの活動紹介、太田メリヤスに関するリサーチ資料、冒険の導入部分、の大きく3つの部分に分かれている(なお、鑑賞者は展示を先に見ても良いし、冒険の導入から見始めて、まず冒険に旅立っても良い)。

 毛糸で紡がれた展覧会タイトルの脇を抜け、1階展示室へ。ここでは、orangcosongもしくは藤原、住吉山個人のこれまでの活動が、「移動・旅」「協働・対話」、そしてコロナ禍を経た「拡張現実」「オンライン/オンサイト」と、4つのキーワードに沿って、概ね時系列順で紹介されている。よく見ると、展示室を横断したり展示物同士をつないだりするように、壁や床にマスキングテープで線が引いてあることに気づく。ピンク色のテープにそって歩いてみれば、立ち上げ、海外展開、協働作業の開始…...といったように、《演劇クエスト》の展開フェーズに特化して情報をたどれるようだ。青色のテープは、住吉山の活動の発展をたどっており、黄色は、類似するテーマのプロジェクトをつないでいるように見える。時系列で、テーマで、個人の活動でと、視点の軸を入れ換えながら、複層的に活動を見られる構成だ。

これまでのorangcosongの活動を紹介する資料 撮影=吉江淳

 同展示室のもう半分の壁には、小さな正方形のパネルが設置されている。パネル表面には、「分かれ道」「公衆電話」「境界」「公園」「歴史」などのキーワード。窓を開くようにパネルを開けると、中面にあるのは、それらのキーワードに関するテキスト(orangcosong『町を旅する道具箱』(2023年)から抜粋されている)と、orangcosongが太田で撮影したスナップ写真だ。例えばあるパネルの中には、「旅する自分は特権的な存在」であること、「境界や壁を越える」という意識について、「地元の人は行かない、行けない」場所にも旅人は行けてしまう可能性があること......などについて書かれており、彼らが土地に向き合うときの視点が示される。

「芸術」のパネル。めくると中にはテキストがある 撮影=吉江淳

 続いて2階の展示室へと向かうため、壁に沿ってゆるくカーブしたスロープをあがる。壁には年表が記されており、太田におけるメリヤスの歴史や、社会的な出来事が書いてある。ただ、社会的なトピックにはところどころ偏った話題が記載されているようにも思え、若干の違和感を覚える(他のスポーツにはほぼ言及がないのにサッカー関連の話題がある、ポール・ニザン『アデン・アラビア』が文庫化したニュースが載っている、など。これは「冒険」のパートで種明かしがある)。また、年表には、手書きで紋子、文美、紗季という3人の女性の個人史も記載されている。

スロープに沿って年表が上階へと続く 撮影=吉江淳
壁面に綴られた年表 撮影=吉江淳

 2階は、太田とメリヤスの歴史および現在に関する、資料や実際の製品、ニット会社社長へのインタビュー映像などの展示である。戦後の太田では、航空機製造工場が解体され、その技術者が手紡績機を使って糸を製造したことで、メリヤス産業が発達したという。工場数は減ったものの、現在もニット職人やデザイナーが、技術を生かしたユニークな製品を製造し続けている。orangcosongは、前年秋から太田市に足を運び、製造技術やニット組合について、日常生活のことなど、様々な話を聞いた。組合が発行した太田メリヤスに関する冊子や、約70年前に太田市視覚教育協会が制作したまちの記録映像なども展示されている。

 さらに階段を上り、最上階の展示室では、再び年表が紡がれていく。「紗季」は2005年生まれで、コロナ禍に学生時代を過ごした世代のようだ。年表は2025年、紗季が20歳になった年で終了する。

明るい最上階の展示室。年表の続きと、テーブルには「冒険の書」 撮影=吉江淳

 スタッフに「テーブルの上の『冒険の書』を一冊手に取って、この部屋で読んでください」と声をかけられる。本を開くと、「アドベンチャーシート」という見出しの見開きページがあり、注意書きと、いくつかのイラストが描かれている。その後のページからは、1から200まで番号がふられた短い文章が並んでいる。まずは「―」から読んでみる。

一 プロローグ 二十歳の誕生日(2025年)
 あなたは1冊の本を手に入れた。
(中略)
誰かの筆跡でこんなふうに書かれている。
 2025年7月12日(土)くもり
夏だ。けど、天気はまだパッとしない。
もうすぐ梅雨も明けるはず……っていうこのジリジリした季節に、私は毎年、誕生日を迎える。
そう、今日は、私の二十歳の誕生日だ。

 年月日から察するに、年表に登場した「紗季」の日記のようだ。さらに読み進めていくと、展示室の外に出るように「冒険の書」に促される。「ご武運を祈ります」というスタッフの声を背に、展示室の外へ歩を進める。

最上階に置かれた「冒険の書」 撮影=吉江淳

 ちなみに、200の文章は「一」「二」…...と番号順に読んでも意味はつながらない。各テキストの最後に次に読むべき番号の指示があり、そのページにジャンプしながら読み進めていくのだ。ときには、ジャンプ先がいくつか示されており自分で選択するものや、実際にまちや美術館内に存在しているものに関する番号を選ぶ必要があるものもある。例えば、電話ボックスのなかに記載された番号や、道路の○○号線から導き出す番号などもジャンプ先の指示になるため、実際にまちに出ないと次へ進めない。

まちを冒険することの意味

 「右に曲がり、ワンブロック先へ進もう」「高架に近づいたあなたは、T字路まで突き当たると、左へと曲がる」といった指示に促され、まちを歩く。冒険と並行して進むのは、冒険の書のなかで断続的に登場する、年表に出てきた紋子、文美、紗季の3人の女性による日記だ。東京で大学生活を送っていたが、戦後に父が立ち上げたニット工場を急遽継ぐことになった「紋子」。奔放に育ち、バックパッカーとして世界に旅に出る、サッカー好きの「文美」。小さな頃から「びじゅつかん・としょかん」に通う「紗季」。3人の物語が進むうち、美術館で年表を見た時に違和感を覚えたトピックは、3人の人生においてキーとなる出来事だったことに気づく。物語の中で彼女たちは、時に悩み、時に直観に従いながら、自らの進む道を選んでいく(場面によっては、冒険者がその“選択”を行うことになるのだが)。

 物語のなかの「太田」がこの太田市かどうかの明記はないが、3つの物語と冒険で出会う実際の風景は、連動している。紋子がパンを買う場面では、昔ながらのパン屋さんの前にいつのまにかたどり着いていたり、70年前の記録映像に出てきた、駅前にあった回転木馬の風景が日記の中で登場したりする。かつてまちで生きた人々と、いま生きている人の気配を感じながら、冒険者はまちを歩き回る。

 冒険の後半は、バスに乗り、市街地から少し離れた住宅街へと舞台を変える。3人の物語も展開を迎え、3つの物語が、「太田」のまちを舞台に1つにからまりあっていく(彼女たちが3世代の家族だということも徐々に判明する)。路地をたどり、物語をたどっていくと、住宅街のなかにある公園の、石山のてっぺんに着いたところで、この冒険が終わる。まわりを見渡せるこの小さな山の上に立つと、まちからこぼれる生活音がかすかに耳に届く。そのなかに混じって、メリヤス工場の音も聴こえてくる気がした。

 冒険とともに、3人の物語もいったん終わる。いや、正確に言うと冒険者によって終わらせることができる。思えば、冒険者は彼女たちの物語においてつねに特権的な存在だった。冒険者は、物語を自由なペースで進めることができ、時には彼女たちの人生の選択も行うことができる。しかも、まちを冒険するにあたっては彼女たちの物語から情報を得ないといけないという、ある種アンフェアな関係性にある。

 この特権性は、美術館1階の展示室で示された「旅する自分は特権的な存在」で「境界や壁を越えること」ができるという言葉とも重なる。藤原は過去のインタビューで、「実際の町を舞台にした作品をプレイする時、それを作る人にも、参加する人にも、ある種の倫理のようなものが求められると思います。一方で、演劇クエストをやったからといって、その土地のコミュニティに同化できるわけでもない。どこまでいってもストレンジャーであるという状態もまた、僕はすごく大事だと思っているんです」と語っている。旅人ゆえの軽やかさ。誰かの人生を借りてまちを体験しているという、ちょっとした罪悪感のようなもの。対照的に感じざるを得ない、物語=フィクションではない、リアルな日常が流れるまちに足を踏み入れることへの緊張感。それらを携えながら、いかにしてまちを消費せずに向き合うことができるかが、問いかけられている「倫理」なのではないだろうか。

 冒険の書の冒頭には、こんな言葉が書かれている。「冒険に旅立つあなたへ。何に出会うかはあなた次第。幸運を祈る」。「出会う」ことは相互作用的なものである。それは一方的に与えられるものではなく、誰かや何かと影響し合うことだったり、自分が変化することだったりするのだろう。

 旅する自分の特権性。その特権性は、誰もが持ちうるし、立場が代われば、誰かから行使されうるものでもある。その特権性を携えながら、まちと、ひとと、どう「出会う」ことができるのか。冒険の先には、そんな問いがあるのかもしれない。

参考文献・サイト
太田市美術館・図書館|ものづくりvol.2 演劇クエスト 町場のメリヤス
公益財団法人 横浜市芸術文化振興財団|都市を理解する感性を研ぎ澄ます 「演劇クエスト」藤原ちからさん

編集部