ソーシャリー・エンゲージド・アートの「失敗」を伝えるということ
自分が英ロンドンに留学を決めた時期──東日本大震災の少し前だ──、いわゆる「ソーシャリー・エンゲージド・アート」を美術大学の学生が「学ぶ」ことは難しかった。もちろん社会政治的な実践を行う現代アーティストはいたし、そういう作家も美大で教えていた。しかし体系的にリサーチ・ベースの芸術実践を修得することに特化した学科はほぼなかったし、美大以外の大学から美大予備校を経由せずに美大の大学院に進み道は閉ざされていた。
15年ほどが経ち、状況は大きく変化した。いまや「現代アートは政治的」という意識はあらゆる美大に広がり、学生は「大学を出て社会と交わる」ことを奨励される。大筋で、それは好ましい変化だ。だが、そうした変化に伴う弊害も見られる。私見では、その弊害は主に2つある。1つは、「社会」の複雑性への認識不足が露わになったこと。もう1つは、「政治的なもの」に対する反発が強まったことだ。
いまでは多くの美術学生が、自らの外側にある「社会」との交わりのなかで作品を制作する。とくに意識の高い学生は、歴史的に抑圧されてきた土地や人々をめぐる政治的・文化的な問題に関心を持つ。だが、そうした問題を作品で扱うとき、きわめて繊細な配慮が必要だ。その認識を欠くと、難しい歴史的背景を持つ土地や、そこにいる人々をたんなる「素材」のように扱ってしまう危険がある。どのような土地も人も、だれかの作品のために存在していない。
これは、いわゆる「対象化」と呼ばれる事象だ。人類学や民俗学では、この事象が批判的に吟味されてきた。民俗学者の宮本常一は「調査地被害──される側のさまざまな迷惑」(1972)という論文で、次のように述べる。「調査者は、それぞれテーマを持って調査するのは当然であるが、しかし相手を自分の方に向かせようとすることにのみ懸命にならないで、相手の立場に立って物を見、そして考えるべきではないか」(宮本常一・安渓遊地『調査されるという迷惑 増補版──フィールドに出る前に読んでおく本』みずのわ出版、2024年、18頁)。そして、宮本は調査者の側にある「『調査してやる』という意識」(28頁)の傲慢さを強く戒める。リサーチ・ベースの芸術実践においても、宮本の議論は無関係ではない。
そして「対象化」の罠から逃れるために、そこにある問題を主体と切り離された「ネタ」として捉えるのではなく、自分との関わりを通して真摯に考えることが肝心だ。政治哲学者のアイリス・マリオン・ヤングは構造的不正義に起因する問題へのアプローチとして、当該の問題と自己との連関を重視する「社会的つながりモデル」を提示する。「社会的つながりモデルでは、不正な結果を伴う構造上のプロセスに自分たちの行為によって関与するすべての人びとが、その不正義に対する責任を分有する」(アイリス・マリオン・ヤング『正義への責任』岡野八代・池田直子訳、岩波書店、2014年、144頁)。
ソーシャリー・エンゲージド・アート一般を「教える」ことはできない。それぞれの芸術実践が関与しようとする社会(コミュニティ)は異なり、ゆえにケース・バイ・ケースの対応が求められるからだ。教育機関において「成功した」アート・プロジェクトの事例を共有することは、けっして無意味ではない。だが、同じやり方が異なる文脈でうまく機能する保証はない点も念頭に置かなくてはならない。
ソーシャリー・エンゲージド・アートにおける「失敗」をシェアし、それがうまくいかなかった理由を皆で議論することは、「成功」のシェアと同程度に──あるいは、それ以上に──重要である。学生相手に華々しい業績を披露するのも結構だが、教員は自分がどのような躓きを経験し、どのように克服したかを率直に伝えるべきだ。芸術の社会的価値を強調するだけでは足りない。むしろ「社会と関わること」の難しさや危うさを説き、それでもなお芸術を通して社会と深く関わることの意義や可能性を語り継ぐこと──ソーシャリー・エンゲージド・アートを教えるとは、そういうことの繰り返しではないだろうか。
「悪夢のマド」展(ルンパルンパ)
先に述べた通り、ソーシャリー・エンゲージド・アートが日本で定着する過程で、美術を学ぶ学生のあいだで「政治的なもの」への反発が目立つようになったと感じる。正確に言えば、反発というより不信感に近い。社会政治的な芸術実践に対し、ある種の欺瞞を嗅ぎ取っているのかもしれない。
それもあってか、よく美大生から「作品に社会的なテーマを入れないといけないのか」と聞かれる。返答に窮する問いだが、端的な答えは「否」だ。だが、それは社会的な事象に関心を抱く必要はないということではない。そのことは後に詳述する。
先日、特別授業のために前任校の金沢美術工芸大学を訪れた。「社会と芸術」についての講義とワークショップを行ったが、そこでも社会的事象を扱う芸術への不信感の高まりを感じた。学生からは、いわゆる「ソーシャリー・エンゲージド・アート」に見られる「上から目線」について批判的な声があがった。そうした目線は、しばしば「正しさの押し付け」として感知されるようだ。実生活でも作品においても、きっぱりと正しさを貫かなくてはならない場面はある。だが自分がつねに正しく、異なる意見を持つ他者は思慮や知識が足りていないと断ずる姿勢は、むしろ分断を深めるだけだ。
前置きが異常に長くなったが、そうした状況を踏まえて「悪夢のマド」展(ルンパルンパ)を眺めたい。会場のルンパルンパは石川県野々市市に居を構えるギャラリーで、オーナーの絹川大が2011年に開廊した。拙著『ポスト人新世の芸術』(美術出版社、2022年)でも指摘したが、美術史や現代アートの領域には「大都市中心主義」とも呼べる中心化された構造が支配的だ。東京から離れた金沢だが、金沢21世紀美術館や金沢美術工芸大学の努力や影響力もあり、しばしばスポットライトが当たる。しかし、そこからさらに少し離れた野々市は構造的なブラインドスポットとなる。

そのような周辺化された場所で、絹川はルンパルンパを15年近く継続している。このギャラリーでは、既存のアートマーケットとは必ずしも親和性が良くない(率直に言えば、「売れにくい」)作家や作品も意識的にフックアップしている。そうしたオルタナティブ・スペース的側面も持ちつつ、アートフェアにも積極的に参加してコマーシャルギャラリーとして経済的にサバイブしてきた。そのような二足の草鞋を15年間も履き続けるのは、言うまでもなく容易なことではない。
特別授業のあと、すぐにルンパルンパに向かった(いつも車を出してくれる武田雄介さんには感謝している)。「悪夢のマド」展はアーティストの笹山直規がキュレーションを手がけ、彼自身も作品を出展している。絵画を通じて「生と死」という人間の根源的な命題を探求してきた笹山は、現在、北陸地方をベースに活動を展開する。笹山のほか、出展作家にはアラキドン、梅沢和木、大西茅布、五宝恵理、佐藤T、鳴島充人、ハムスターの息子に産まれて良かった(、)が名を連ねる。複数の部屋からなる会場を目一杯に活用し、数多くの作品が展示されている。
本展の会場に入って察知される「違和感」は、そこにステートメントも、作家名と作品タイトル以外のあらゆるキャプションも存在しないことだ。一応の枠組みに「悪夢」というテーマが設けられているが、それに各作品が「合わせて」いる雰囲気はない。近代になってテーマ的なキュレーションが一般化し、さらにキュレーターという職能の認知度が上がるにつれ、個々の作品があたかもキュレーターが提示する(しばしば、壮大な)ビジョンの1つの部品のように感じる展覧会に遭遇することもある。「悪夢のマド」展は、意識的であれ無意識的であれ、そうした傾向に対する抵抗を組織している。
また、ぼくは──そして、最近では多くの鑑賞者が──コンセプトありきで展示を眺めることに慣れきっている。まずはキュレーターのステートメントを読み、次いで作家や作品について説明したキャプションを熟読し、ようやく実際の作品を見る。そういった鑑賞法が一般化している。もちろん、あるテーマを通じて、各作品のあいだの重要なつながりが可視化されることがある。また、作家のバックグラウンドを知ることはときにとても重要だ。それでもなお、いっぽうで作品を作品として──文脈から切り離して──眺めることも大切な気づきを与えることがある。いずれにせよ、アートの多様な鑑賞法があり、1つの展示も複数の鑑賞法で眺めると異なる様相を呈する。
そのうえで、マリオン・ヤングの「社会的つながりモデル」を例に示したように、個人と社会は密接につながっている。よく知られるフェミニズムのスローガンにある通り、いつも「個人的なことは、政治的なこと」だ。自己を出発点にして制作を始めるにせよ、社会を出発点にして制作を始めるにせよ、両者の結びつきへの考察を欠いているように思われる作品に強度は付随しないように思う。学生から「作品に社会的なテーマを入れないといけないのか」と尋ねられると、そう答えるようにしている。
例えば、本展では自己の内面性を通してタブローに向き合う作家が多いが、その作品には明示的な社会的事象への回路が開かれている。JKリフレ(従業員の女性が女子高生の格好をしてマッサージを行う店)のバックヤードを描いていると思しき、ハムスターの息子に産まれて良かったの《待機室》(2024)が醸し出すどこか底の抜けたような明るさを伴う気だるさ、あるいは大西茅布の《辛かった日の電車-家族-》(2025)がたたえている希望の見えないぼんやりとした閉塞感から、作家の背景にあるものやコンセプトを知らずとも、さまざまな社会的要素を抽出することが可能だ。

作品を制作し、それを他者に向けて発表するという行為は、すでにそれ自体が社会政治的な営みだ。「社会と関わる」仕方は多彩であるべきで、実際に無数に存在する。そのなかに唯一の「正解」はない(だが、批評的に価値づけをすることはできる)。ぼくたちはソーシャリー・エンゲージド・アートにおける「社会」や「政治」の概念を拡張的にとらえ直す必要がある。現代アートにおける大都市中心主義の覇権性に抗いながら、「地方だからこそ生まれる、東京では決して到達し得ない『爆発』の形」(絹川)を信じて活動を続けるルンパルンパでの「悪夢のマド」展を見て、あらためて、そう思った。























