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10ヶ月で学ぶ現代アート 第8回:政治的でない「現代アート」はないって本当?──現代アートの「政治性」

文化研究者であり、『現代美術史──欧米、日本、トランスナショナル』や『ポスト人新世の芸術』などの著書で知られる山本浩貴が、現代アートの「なぜ」を10ヶ月かけてわかりやすく解説する連載。第8回は、現代アートを語るうえで紐づけられやすい「政治性」との関係を紐解く。

文=山本浩貴

「ジャスト・ストップ・オイル」のアクティヴィストがナショナル・ギャラリー(ロンドン)で行った抗議の様子 © Just Stop Oil

そもそも「政治的」とは何を意味するのか

 今回は、サブ・タイトルに示した通り、現代アートの「政治性」についてお話しします。現代アートの主要シーンで「ソーシャリー・エンゲイジド・アート」や「アート・アクティヴィズム」と呼ばれる政治・社会的実践が目立つようになった現状を鑑みると、最近では「政治や社会と切り離された芸術は存在しない」と考える人のほうが、むしろ多数派であると言えるのではないでしょうか。ですから、本稿では視点を反転させて(いわゆる「逆張り」ではなく)、現代アートにおいて「非政治的な」領域を見出すことは本当に不可能であるのかを批判的に検証したいと思います。そのような意図から、この連載8回目のメイン・タイトルには、あえて「政治的でない「現代アート」はないって本当?」という問いを掲げました。したがって、ここでは結論(「すべての現代アートは政治的だ!」)ありきではない論法で、この問いと真摯に向き合ってみたいと思います。

 初めに、美術史や美術批評を含む芸術論のなかで「政治的」という言葉が用いられるとき、この形容詞が実際に何を意味しているかという内実はあまり問われてこなかったという事実を指摘しておきます。そこで本稿では、現代アートの「非政治的」領域をめぐって思考を巡らせるうえで、そもそも「政治的」であるとはどのような性質や状態を指すのかを画定する作業を最初に行います。なぜなら、「政治的」という言葉をどう理解するかによって、タイトルに掲げた問いに対する答えも当然変わってくるからです。とはいえ、政治学や政治哲学という広大な学問領域の長い歴史のなかで展開されてきた議論を通覧することは不可能です。ですから、前半部では門外漢なりに「政治とは何か」を考えるための重要な示唆を与えてくれそうな本を2冊ピックアップします。