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ガブリエル・シャネルは何がすごかったのか。ファッションを社会とともに見つめたその眼差しをたどる

革新性を持ったファッションデザイナーとして、激動の時代を生きたひとりの女性として、多くの人をいまも惹きつけるガブリエル・シャネル。なぜ彼女の仕事や生き方はいまも評価されるのか。ファッション文化論・表象文化論を専門とする平芳裕子に話を聞いた。

聞き手・構成=安原真広(ウェブ版「美術手帖」編集部)

ガブリエル・シャネル Coco Chanel smoking cigarette in dressing room Photo by Douglas Kirkland/Sygma/Corbis via Getty Images

「ガブリエル・シャネル展 Manifeste de mode」(三菱一号館美術館、〜9月25日)や「à mains levéesシャネルを紡ぐ手 アンヌ ドゥ ヴァンディエール展」(シャネルネクサスホール、〜10月22日)、「マリー・ローランサンとモード」(Bunkamura ザ・ミュージアム、2023年2月14日〜4月9日)など、シャネルというブランドを生み出したガブリエル・シャネル(1883〜1971)を取り上げる展覧会はいまも少なくない。

 ファッションデザイナーとしてだけではなく、ひとりの女性の生き方としても、現代においても人を惹きつけるガブリエル・シャネル。没後50年を経て、なぜいまもシャネルは高く評価されるのか。彼女の仕事の何が偉大だったのか。神戸大学大学院人間発達環境学研究科准教授で、ファッション文化論・表象文化論を専門とする平芳裕子に話を聞いた。

ジャージー素材に見るシャネルの思想

──まず、ファッション史において、ガブリエル・シャネルという人物のもっとも大きな功績は何だったのか教えて下さい。

 彼女の功績としてよく語られるのは「女性のための活動的なファッションをつくり出したこと」で、これはファッション史において高く評価されていることといえます。しかし、1910〜30年代において、そのようなファッションを提案していたのはシャネルだけではなく、同時代のデザイナーの存在も忘れてはいけません。ただ、シャネルの場合、活動的な女性のためのスタイルを生涯にわたってつくり続けたわけです。この「つくり続けた」という姿勢こそが、とても重要なことだと思います。

 ファッションの世界で一貫性を持つということは簡単なことではありません。近代以降のファッションにとって新しいものをつくり出すことは至上命題であり、古いスタイルを捨て去り、つねに新たなスタイルを提案していかなければいけない。そうした状況のなかでも、自分のスタイルを貫き続けたというのは特筆すべきことですね。

 そして、ブランドの理想像を自ら体現し、それがメディアに乗って広がっていった、ということも注目すべき特徴です。シャネルについては多くの本が出ていますが、シャネル本人が表紙になることがとても多いですよね。まさしく本人がブランドの象徴だったということです。これほどデザイナー本人が前に出てくるブランドはほかにはないのではないでしょうか。

──いまおっしゃられた「女性のための活動的なファッション」について、より具体的に掘り下げたいと思います。その革新性は具体的にどんなところにあったのでしょうか。

 シャネルがデザイナーとして活躍を始めた1910年代の仕事としてまず挙げられるのが、薄くて軽いメリヤス編みの布地、いわゆるジャージー素材の利用です。当時、体の動きに合わせて伸び縮みをするジャージー素材は、おもに男性用の下着に使われていました。動きやすさが求められる衣服のための素材だったんですね。シャネルはこの素材を、女性がおしゃれに身につけることのできる外出着に採用しました。これは画期的なことでした。

 ヨーロッパでは19世紀後半から、スポーツやレジャーを楽しむことが流行し始めます。例えば、ウジェーヌ・ブーダンの絵画には浜辺の女性たちが重厚なドレスを着ている様子が描かれていて、いまの感覚からすると驚かされます。ところが、外に出るときは必ずドレスを着るという習慣が変化し、スポーツやレジャーを楽しむ活動的な女性のための衣服が20世紀に入ると強く求められるようになります。シャネルがこうした時代の変化に呼応して提案したジャージー素材は多くの人気を集めました。

 その流行にともない、ほかのデザイナーもジャージー素材を使ったスタイルに追従したわけですが、ファッションは移り変わるものです。誰もが着るようになると、今度はそれが飽きられて違うものが求められるようになる、というのが常ですよね。ジャージー素材も例外ではありませんでしたが、シャネルはこの流行が過ぎ去ったあともジャージー素材にこだわり続けました。雑誌等で多少揶揄されてもです。これも、活動的な女性のためのスタイルを一貫してつくり続けるという、シャネルの信念が垣間見える部分ですね。

「シャネルスーツ」と「リトルブラックドレス」

──もうひとつ、シャネルのアイコンといえば「シャネルスーツ」とも呼ばれるスーツが挙げられます。これは1920年代に登場してきたものですが、シャネルのどのような思想が生んだものなのでしょうか。

 ジャージー素材の服のスタイルとしてはワンピース型のものもツーピース型のものも当初から作られてきました。20年代になるとツーピースのタイプが注目されるようになり、「シャネルスーツ」と呼ばれ始めることになるのです。

 いまでこそ、女性用のスーツは当たり前のものですが、歴史をさかのぼれば、スーツはそもそも男性のための衣服でした。19世紀の市民社会の成立により、それまでの貴族たちが華美な装飾を施した外見で自らの特権性を表明した時代から、新興階級が勤勉な精神や健康な身体を表現する時代になります。こうして、装飾を廃してシンプルなスタイルをもった仕事着としてのスーツが生まれました。しかし、女性のファッションは20世紀に入っても前近代的な価値観を引きずっていました。そんな時代にシャネルは男性服であったスーツのスタイルを女性のために解釈して提案した。これは革新的なことでした。

 多くの「シャネルスーツ」の特徴としては、ゆとりのある袖付けでウエストの絞りもきつくなく、そしてポケットがついていることなどが挙げられます。ポケットは表側についており、色々なものを入れられる機能性とともに装飾的な役割も果たします。また、縁には補強のためのブレードが施されていますが、それも単色のスーツのアクセントになっていますし、ボタンも非常に凝ったものとなっています。衣服自体はシンプルですが、細かな部分に華やかさがあり、仕事終わりには大ぶりなコスチューム・ジュエリーを組み合わせてパーティーにも行ける、といった実用と装飾を兼ね備えたところが、女性たちに支持されました。

「About Time: Fashion and Duration sponsored by Louis Vuitton」(2020、メトロポリタン美術館)の展示風景より、左からカール・ラガーフェルドによるシャネルのスーツ(1994)、ガブリエル・シャネルによるシャネルのスーツ(1963)  2020年10月26日 Photo by Taylor Hill/Getty Images

──1920年代に流行したブラックドレスも当時のシャネルのアイコンになっています。

 「リトルブラックドレス」についても、スーツと同じことが言えると思います。黒のシンプルなドレスで、締めつけの少ない活動しやすいデザインになっています。黒は喪服のイメージが強い色ですが、それをファッショナブルな色として提案したことも新鮮だったはずです。また、布地のピースを複雑に縫い合わせて立体感を出したり、ビーズやスパンコールを散りばめ奥行きやグラデーションを出したり、シンプルな黒のなかにも計算しつくされた華やかさがありました。そのシンプルさゆえにほかのブランドもこぞって真似をしたことが、当時の雑誌を見るとよくわかります。

シャネルのイブニングドレス(1931) Photo by Chicago History Museum/Getty Images

──1930年代になると、エルザ・スキャパレッリのようなライバル・ブランドも隆盛します。この時代のシャネルはどういった服づくりをしていたのでしょう。

 30年代になると、20年代にシャネルが提案した活動的なファッションとは異なり、エルザ・スキャパレッリによる装飾的で遊び心があるデザインが人気を集めるようになります。ファッションは移り変わるものですからね。それでも、シャネルは活動的な女性のためのファッションを作り続けましたが、一方でロマンティックな雰囲気のドレスも制作しています。

ファッションはたんなる衣服ではない

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