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2020.1.19

欲望の空間と、その反転に見る現代の「受難」。菅原伸也評 ミン・ウォン「偽娘恥辱㊙︎部屋」

ミン・ウォンはシンガポール出身、ベルリン在住のアーティスト。アサクサで開催された「偽娘恥辱㊙︎部屋」では、成人映画「日活ロマンポルノ」を題材にした新作を発表。中国でいわゆる「男の娘(おとこのこ)」を意味する「偽娘(ウェイニアン)」による現代のデジタル動画の制作方法と、ピンク映画の黎明期に低予算で行われた早撮りの手法を参照することで、日活ロマンポルノに登場する3人の女優を再演した。身体とジェンダーにおけるパフォーマティヴな振る舞いの実験の場である本展を、美術批評家の菅原伸也がレビューする。

文=菅原伸也

ミン・ウォン「偽娘恥辱㊙部屋」(アサクサ、2019)展示風景 写真=大坂崇
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あらゆるものが「偽」となるとき―「偽娘」の昇天

 テレビの普及などの影響によってスタジオシステムが崩壊したあと、日活ロマンポルノが一時期日本においてかろうじてスタジオシステムを維持し、日本映画界の質を保証していたことは今日よく知られているだろう。だが、やがて日活ロマンポルノもアダルトビデオによって追いやられて衰退し、アダルトビデオもまたいまではXVIDEOSなどインターネットにおけるポルノ動画配信サイトに取って代わられようとしている。

 ミン・ウォンが本展において試みているのは、アダルトビデオの時代を間に挟んで存在するふたつのポルノ映像の様式、つまり日活ロマンポルノと現代のポルノ動画配信とを接続すると同時に、それらのあいだの差異を見極め今日の動画配信文化を検討することである。

展示風景より 写真=大坂崇

 本展でミン・ウォンは「男の娘(おとこのこ)」の中国版である「偽娘 fake daughter」に扮して日活ロマンポルノのシーンを模倣しており、それらの映像は実際の日活ロマンポルノのシーンとともに、会場内に散在する数多くのスマートフォンの画面上に映し出されている。日活ロマンポルノは通常、低予算かつ短期間で撮影され、その点において、低価格の機材が容易に入手可能で誰にでも扱えるようになった現代におけるポルノ動画制作と共通するところがある。

 実際、この展示のために制作された映像はすべてネットで購入した機材のみを用い、3日間で3人のスタッフによってスマートフォンで撮影されたものである。さらに、今回撮影された映像と日活ロマンポルノのオリジナル映像は両方ともスマートフォンアプリ「SNOW」によって同じように加工され、偽娘としてのミン・ウォンが演じる日活ロマンポルノ女優と本物の日活ロマンポルノ女優は、両者とも非常に似通った「偽」の姿かたちとしてスマートフォン上に映し出されている。

展示風景より 写真=大坂崇
展示風景より 写真=大坂崇

 このようにして日活ロマンポルノと現代のポルノ動画配信とのつながりが確立されるのにもかかわらず、いや、むしろそうしたつながりが確立されるからこそ、両者の差異もまた際立ってくる。日活ロマンポルノでは基本的に、長いあいだ「真正」な関係とされてきたヘテロセクシュアリティが前提とされている。それに対して現代のポルノ動画配信文化を彷彿とさせる、本展のために撮影された映像では、シンガポール出身の男性であるミン・ウォンが「男の娘」の中国版である偽娘に扮したうえで日活ロマンポルノ女優を模倣し男性との性行為を演じており、そこでは様々なやり方ですべてのものが「偽」へと反転されている。

 こうして、「真正」なポルノとしての日活ロマンポルノは、偽娘を演じるミン・ウォンによる「偽」のポルノ動画によって脱臼され、そのうえ、あらゆるものが「偽」に変化させられることによって、ミン・ウォンの作品はもはや「偽」が「偽」でなくなり、さらには「真正」が「真正」であることも不可能になる地点にまで至るのである。

展示風景より 写真=大坂崇

 本展の会場であるアサクサの2階にはベッドやライトなどの機材が置かれていて、もともとは住宅であったアサクサの古い建物と相まって、そこは性行為を撮影しネット配信するために自宅につくられた簡易的なスタジオのように見える。そこで象徴的にも思えるのは、ベッドの傍らに置かれたトルソのかたちをしたマネキンの存在だろう。ミン・ウォン扮する偽娘が映像内で用いていたのと同じシリコン製のつけ胸や、スマートフォンとそのホルダー、撮影用のライトがそれに装着され、加えてスマートフォンに付属する大量のコードも絡みついている。そして、それらのスマートフォンには日活ロマンポルノ女優そしてミン・ウォン扮する偽娘が緊縛され責められているSM行為がそれぞれ映し出されているのである。

展示風景より 写真=大坂崇

 このような形姿から考えると、このトルソが示しているのは、日活ロマンポルノでは女が男によって縄で縛られ責められていたのに対して、現代の動画配信文化に連なるミン・ウォンの偽娘は、スマートフォンなどの機材に接続するコードによって縛られて苛まれているということだと言えるであろう。さらにスマートフォンなどを介して偽娘はそうした行為を見つめている視聴者にも繋がっていて、それらの人々の視線によっても縛られている。ここにこそ現代における「受難」があるのではないだろうか。

 トルソはその頭の部分に、あたかも光輪であるかのような大きめのリングライトを持ち、日活ロマンポルノで女がSMプレイで苦痛からマゾヒスティックな快感を覚えていたのと似たやり方で、ミン・ウォン扮する偽娘が、そこで流れている、カウンターテナーが歌うヘンデルの曲に恍惚となりながら、「受難」において快楽を得て「ロマンポルノのマリア」(*1)という「偽」の聖母マリアとして昇天していく姿を描き出しているのである。

オープニング・イベント「ピロートーク」の様子 写真=大坂崇

*1―― ミン・ウォン自身がこのトルソのことを「Madonna of Roman Porno(ロマンポルノのマリア)」と呼んでいる。