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REVIEW - 2018.8.2

モネ以降の美術史、そして現代美術への影響。横山由季子が見た、「モネ それからの100年」展

印象派を代表する画家、クロード・モネ。モネが《睡蓮》大装飾画の制作に着手してから約100年が経過した現在、モネとモネ以降の作品に焦点を当てた展覧会「モネ それからの100年」展が名古屋市美術館にて開催され、横浜美術館へと巡回している。本展について、過去に「ルノワール展」(国立新美術館、2016)などを担当した金沢21世紀美術館学芸員の横山由季子がレビューする。

文=横山由季子

モネの作品とモーリス・ルイスの《ワイン》(1958、広島市現代美術館蔵)が並ぶ名古屋市美術館での展示風景

「モネ それからの100年」展
現在進行形のモネという現象
横山由季子 評

 「またモネ?」―ここ最近国内で開かれた西洋絵画展を追ってきた人は、この展覧会のチラシを目にしたとき、そんなことを思ったかもしれない。国立新美術館の開館を記念して開催された「大回顧展モネ」(2007)は10年以上前だとしても、国立西洋美術館とポーラ美術館が共同企画した「モネ、風景をみる眼」展(2013)や、マルモッタン美術館の《印象、日の出》が出品され、70万人以上が訪れた東京都美術館の「モネ展」(2015)は記憶に新しい。しかしチラシを裏返してよくよく見ると、今回のモネ展はいわゆる印象派の巨匠の回顧展ではないことに気づく。そこには20世紀後半から21世紀に活躍する国内外の現代アーティストたちの名も連ねられている。モネと現代美術をつなぐこと、それがこの展覧会の目的なのだ。

 今日の世界的なモネ人気からすると、その美術史的な評価は普遍的なものであるかのように錯覚しがちだが、本展覧会のカタログで名古屋市美術館副館長の深谷克典が詳述しているように、モネの再評価が進んだのは第2次世界大戦後になってからのことである。その際に決定的な役割を果たしたのがニューヨーク近代美術館(MoMA)であり、端的に言えば彼らは晩年のモネが描いた色彩の渦巻く作品をアメリカの抽象表現主義へと接続することで、フランス近代美術の流れを汲んだアメリカ現代美術に正当性を与えようとした。

 このことを裏付けるかのように、本展にもウィレム・デ・クーニングやジョアン・ミッチェル、マーク・ロスコ、モーリス・ルイス、サム・フランシスら、抽象表現主義を牽引してきた作家たちの作品が並ぶ。彼らとモネに共通するのは、色彩による光の表現、躍動的な筆触、フォルムの解体、平面性と奥行きの共存、画面の拡張性といった絵画の造形要素のみならず、それらが鑑賞者にもたらす視覚的経験に重きが置かれているという点である。こうした探求は、シュポール/シュルファス運動の一員であったルイ・カーヌや、「アブストラクト・ペインティング」のシリーズによって絵画の新たな局面を切り開いたゲルハルト・リヒター、そして中西夏之、岡﨑乾二郎、丸山直文、松本陽子、福田美蘭ら日本の画家たちにも引き継がれてゆく。

名古屋市美術館での展示風景

 ところで、2007年の「大回顧展モネ」(国立新美術館)でも、「モネの遺産」と題された第2部でモネの後世への影響を浮き彫りにする試みが行われていたが、20世紀の絵画作品に限定されていた点で、MoMAが提示した近現代美術史観の枠組みから出るものではなかった。それに対して本展では、エドワード・スタイケンやアルフレッド・スティーグリッツの写真、湯浅克俊の木版画、水野勝規の映像作品など絵画以外のジャンルも展示に含めることによって、モネの美学が広範に伝播していることが示されていた。

 もちろん、本展で取り上げられた作家がみなその制作においてモネの存在を意識していたわけではない。だが、新たな絵画言語を生み出しただけではなく、表象のシステムそのものをひっくり返してしまったモネの影響力を考えると、現在においてもあらゆる視覚芸術がモネという現象と共鳴していると言っても過言ではないだろう。モネはそれまで人々のあいだに共有されていた描かれたイメージの統一性、翻訳可能性を否定し、画家の目にのみ依拠した筆触の塊へと絵画を解体してしまったのである。

 19世紀後半のパリの批評家ルイ・ルロワは、そんなモネの絵を主観的な「印象」を描いたものと断じたが、さらに晩年のモネは、目という感覚器官に自らをゆだねることで、主体性すらも放棄してしまっているように思われる。最後の展示室には、小野耕石による色彩を幾層にも重ねたシルクスクリーンと、鈴木理策が水鏡を撮影した映像が床の上に水平に置かれていたが、これらの作品は、モネが1906年以降繰り返し描いた一連の《睡蓮》を前に、ただ見ることに没入して空間の広がりに身を委ねるという感覚を喚起するものであった。そこに描かれているもの、映し出されているものが何であるのかを認識せずに、ただ色彩やその曖昧さ、揺らぎがもたらす刺激を享受するという経験も、モネ以降の私たちが身につけた視覚のあり方と言えるかもしれない。

 本筋からは逸れるが、入念なリサーチと大胆な直感に基づくこの展覧会が、モネ、現代作家ともにほぼすべて国内の美術館やギャラリー、個人が所蔵する作品によって構成されていた点も付け加えておきたい。海外の美術館からごっそり作品を借りてきて展覧会を開くという環境に身を置いていた筆者としては、国内の数多の所蔵先から作品を集め、これほど充実した展覧会を実現した企画者の方々に率直に敬意を表したい。また、高度経済成長を背景に、モネをはじめとする印象派の名画が数多く日本にもたらされ、印象派展が何十万人もの観客を集めているシステムについては議論の必要があるが、しかしこうした印象派需要の蓄積が、国内のコレクションの充実や作家たちへの影響という点で、実を結んでいることも実感できる展覧会であった。

 ただ、名古屋市美術館の会場で少し残念に思ったのは、モネの作品にのみ、深紅や濃紺の壁布がしつらえられていたことである。これはモネと現代美術を対比する企画者の配慮であることは理解できたが、両者の結びつきを浮き彫りにするという同展の目的をはっきりと示すためには、モネの絵画も現代の作品と同様に白い壁面か、あるいはよりニュートラルな壁色を背景にするという選択肢もあり得たのではないだろうか。深紅や濃紺の壁には、どうしてもクラシックな名画のためのものという印象が付きまとう。

 2011年のオルセー美術館のリニューアル以降、展示空間の壁色や照明もまた、鑑賞者の目を絵画作品に引きつけ、その現在性―過去に描かれた絵画がいま目の前にあるという事実を引き出すための重要な要素とみなされるようになった。印刷物や写真、映像、アニメーション、VRなどあらゆる視覚体験があふれる現代において、画家の身振りの痕跡がそのまま刻印された絵画を見るという体験はきわめて特異なものである。そのことを意識するとき、1世紀以上前に見ることと描くことの限界にまで突き進んだモネの絵画が、アクチュアルなものとして迫ってくるはずだ。