大阪を一望できる高層商業ビル「あべのハルカス」。16階に位置する「あべのハルカス美術館」で、2017年夏に大英博物館で70年ぶりに開催された「北斎展」との共同プロジェクトとして「北斎 –富士を超えて-」展が開催されている。
江戸、本所割下水に生まれた葛飾北斎(1760〜1849)は、隅田川周辺で転居を繰り返しながら、独特の構図と、斬新な発想、精緻な筆さばきで、江戸時代の人気浮世絵師となってゆく。
本展の魅力のひとつは、世界中から集められた肉筆画の出品点数が約60点と、極めて多いことである(全体の出品点数は約200点)。何百、ときには何千枚も刷り重ねる浮世絵と異なり、肉筆画は、絵師が筆を残した1点もの。
本展の監修者で大英博物館日本セクション長のティモシー・クラークは「これだけの肉筆画を集めることができたのは、非常に貴重な機会です。たとえば《雲龍図》《雨中の虎図》の2点は、対で描かれたものの散在し、現在はギメ美術館(パリ)と太田記念美術館にそれぞれ所蔵されている作品。双方を並べて観る機会もなかなかないでしょう」と、研究者としても珍しい機会だと語ってくれた。
近年、北斎のもとで絵師として活躍していた北斎の娘・応為(おうい)にも、注目が集まっている。応為が北斎の作品に手を加える機会はどれくらいあったのだろうか。
同じく本展の監修者であべのハルカス美術館館長の浅野秀剛からは「ライデン国立民族学博物館所蔵の洋風の作品は、北斎の多くの作品と比較すると、遠近法、ぼかし、少しエキセントリックな表現に、北斎のみの筆ではないのでは、と研究者の間で意見が分かれるところです」と、これからの研究の深化を期待する発言もみられた。
そんな北斎は、江戸時代にしては長寿、90歳で亡くなるまで描き続けたという。亡くなる直前の北斎は次のような言葉を残している。「天我をして十年の命を長ふせしめば・・・天我をして五年の命を保たしめば、真正の画工となるを得べし」。
「天があと10年、あと5年命をくれたなら、真の絵師になれただろうに……」と、歳を重ねるにつれ、画力が「神の領域」に近づいているなか、まだまだ至らないことを悔やむ名言が残されている。
このように、晩年にもかかわらず精力的に描くことを極め続けた北斎。本展は、神の域を目指した60歳から90歳に至る、晩年の画業に焦点を当てたことが注目に値する。
北斎は、世界中で知られている名作のほとんどが晩年に描かれていると言っても過言でないくらい、めまぐるしく飛躍していった。つまり、おおげさにいえば、晩年30年にしぼった本展では、代表作のほとんどを見ることができるのだ。
浮世絵は、照明による劣化が懸念されため展示期間が限られる。本展はわずか1ヶ月強の会期ではあるが、まだ見ぬ宇宙までをも描こうとした世界の北斎の画力を間近に感じてほしい。