志賀耕太「SIDE GAME」(マイナビアートスクエア)開幕レポート。遊びのなかに見る歴史の重層性【2/3ページ】

 神宮球場は1945年の終戦後、連合国軍総司令部(GHQ)に占領され、名前も「STATE SIDE PARK」に変更された。会場に用意された木製の大型のスコアボードには、当時の名称である「STATE SIDE PARK」という文字が描かれ、「アメリカ(=STATE)の球場」というその言葉が示す歴史的な意味を観賞者に印象づける。

展示風景より、志賀耕太《ステートサイド・ゲーム》(2024)

 モニターでは神宮球場や、関東大震災から復興する東京の応援歌としてつくられた東京音頭の歴史を、場内アナウンスのようなナレーションによって解説する映像作品が上映され、映像には志賀本人も登場する。

 志賀がモチーフとした神宮球場は、関東大震災、東京大空襲、アメリカ軍の占領、そして戦後の復興と高度経済成長という東京の歴史が刻み込まれており、またアメリカからもたらされた野球というスポーツの舞台として、日米関係史への想像力を喚起させる存在でもある。こうした複雑な歴史のレイヤーを、志賀は軽やかかつコミカルに作品化することで描き出す。

展示風景より、志賀耕太《ステートサイド・ゲーム》(2024)

 また、志賀が陶芸教室に通って技術を習得し制作したという、神宮球場を象った器も興味深い。昭和時代に東京音頭を有識者たちが集まって企画した場所が北大路魯山人ゆかりの料亭だったことに着目した志賀は、魯山人が好んだ織部好みの扇鉢を球場のダイヤモンドに見立てて作品にした。ここでも、歴史の重層を読み替える志賀のテクニックが光る。

展示風景より、志賀耕太の陶芸作品

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