「Keith Haring:Into 2025 誰がそれをのぞむのか」(中村キース・ヘリング美術館)開幕レポート。広島で、世界で、ヘリングは平和のために何をしたのか

山梨・小淵沢の中村キース・ヘリング美術館で、キース・ヘリングの反戦・反核を訴える取り組みをたどる展覧会「Keith Haring:Into 2025 誰がそれをのぞむのか」が開幕。会期は6月1日~2025年5月18日。

文・撮影=安原真広(ウェブ版「美術手帖」副編集長)

展示風景より、1987年にパルテノン多摩で開催された子供たちとのワークショップで制作された作品

 山梨・小淵沢の中村キース・ヘリング美術館で、キース・ヘリング(1958〜1990)の反戦・反核を訴える取り組みをたどり、作品に込められた「平和」と「自由」へのメッセージを現代の視点から紐解く展覧会「Keith Haring:Into 2025 誰がそれをのぞむのか」が開幕した。会期は2025年5月18日まで。

展示風景より

 1980年代のアメリカ美術を代表するアーティスト、キース・ヘリングは、明るく軽快な作風で知られるいっぽう、作品の根底には社会を鋭く洞察する眼差しがあった。ヘリングは、ときにユーモラスに、ときに辛辣に社会を描写し、平和や自由へのメッセージを送り続けた。

展示風景より、展示風景より、キース・ヘリング《オルターピース:キリストの生涯》(1990)

 館長の中村和男は本展にかける思いを次のように語った。「当時のヘリングのメッセージは普遍的なものだった、彼がもっていたヒューマニズムを美術館として発信していきたい。今回はヘリングが広島を訪問したことにも着目し、学芸員たちによる綿密な調査も行った。その成果である、広島とキース・ヘリングのつながりを感じてほしい」。

展示風景より、キース・ヘリング《アポカリプス》

 展覧会は大きく分けてふたつのセクションに分かれている。前半はヘリングによる社会運動と連帯した表現を、後半はヘリングと広島との関係とそこで発した平和へのメッセージを紹介する。

展示風景より

 まず、会場入口に大きく掲げられているのが、本展のタイトル「誰がそれをのぞむのか」だ。これはヘリングが広島平和記念資料館を訪れた際に日記に残していた「誰が再び望むのだろうか?どこの誰に?(原文:Who could ever want this to happen again? To anyone?)」という言葉に着想を得たものだ。一瞬で街を焼け野原にし、あまりにも多くの命を奪った原子爆弾だが、いまなお世界には1万2000にのぼる核弾頭が存在しており、そして絶え間なく戦争が続いている。こうした状況のなかで、来年には第二次世界大戦の終結から80年の節目を迎えようとしている。

会場エントランス

 最初の展示室では、ヘリングの幼少期から晩年にいたるまでの平和への思いと、平和ために行っていた表現活動を総覧する。幼少期のヘリングは、祖母が購読していたグラフ誌で当時の世界の情勢を広く知ることになった。ベトナム戦争や熾烈な宇宙開発競争といった情報は、その後のヘリングの表現に影響を与えるようになる。

展示風景より、キース・ヘリングが幼少期に読んでいたころの『LIFE』

 例えば、1982年に反核を訴える大規模なデモが行われた際には、ヘリングは自費でポスター2万枚を配布し、この運動への賛同を示した。84年には46名のアーティストが参加する「軍備縮小の図:核軍縮のためのアート」に参加、86年にはアメリカを横断する「平和大行進」の資金集めのためのビジュアルを制作、さらに88年の核に対する抗議活動のために作品を提供するなど、つねに平和運動を指示し続けてきたことを知ることができる。

展示風景より、キース・ヘリングの平和活動についての展示

 また、最初の展示室で注目したいのは、キース・ヘリング財団が所蔵するドローイングの数々だ。《無題》(1984)は、巨大な骸骨の姿が印象的な作品だ。ヘリングが繰り返し描いてきた翼の生えた人々が骸骨のまわりを舞い、不気味な雰囲気がただよう。制作の前年、ヘリングは日本を訪れており、本作に記されたカタカナの署名は、ヘリングと日本とのつながりも感じさせる。

展示風景より、《無題》(1984)

 次の部屋では、ドイツとヘリングの関係性を紹介。86年、ヘリングはベルリンの壁に巨大な壁画を描いた。東西ドイツ統一の機運が高まるなか、鎖状につながる人々を描き、壁を越えた人類の連帯が表現した。壁画は現存しないものの、それを描くヘリングをとらえた写真を展示することで当時の空気をいまに伝えている。

展示風景より、キース・ヘリングがベルリンの壁に描いた壁画の記録

 同館最大の展示室では、ヘリングがあるべき世界の実現に近づくために世界各国で行っていた数々のプロジェクトを紹介。この活動は日本でも展開され、例えば87年には、東京・多摩市のパルテノン多摩のオープニングに際して、ヘリングを招いたワークショッブが実施されている。会場ではその際に制作されたツリーや絵画などを見ることができる。

展示風景より

 ほかにも、アメリカで知的障害を持つ子供達の支援を行うベスト・バディーズ財団のために無償で描いたロゴマークの原画や、子供たちの教育プログラムを提供するシティキッズ財団主催の自由の女神100周年を記念したワークショッブの際に制作された巨大な垂れ幕など、ヘリングがその短い生涯のなかで、いかに多くの社会を変えるための活動に尽力したかがわかる展示物が並ぶ。

展示風景より、シティキッズ財団主催のワークショッブの際に制作された垂れ幕

 展覧会の後半では、ヘリングと広島との関係に焦点を当てる。ヘリングが広島に滞在したのはわずか2日ばかりの短い時間だったが、僅かな時間のなかで広島でヘリングが経験し、そして表現したことは実りの多いものであった。本展は当時を知る人々への聞き取りをはじめとする現地での綿密な調査を経て、知られざるヘリングの広島訪問について紹介している。

展示風景より、キース・ヘリングの広島訪問時の関連資料

 広島を訪れたヘリングは、平和記念資料館を訪れ、その展示物から核攻撃の恐ろしさを改めて意識したという。なかでも、ヘリングがもっとも心を打たれたのは、アメリカ大統領のジミー・カーターが同館を訪問したときの写真だったそうだ。展示を見るカーターに同行した10代の娘の絶望にも似たその表情に、ヘリングは悲劇に対峙する子供たちの純粋な恐れを感じ取っていた。

展示風景より、キース・ヘリングの広島訪問時の関連資料

 また、ヘリングが広島を訪れたのは、この原爆投下の地において、平和のための壁画を制作する計画を進めるためでもあった。残念ながらエイズの病状の急速な進行により壁画の制作は叶わなかったものの、例えば被爆者養護老人ホーム建設のためのチャリティ・コンサート「HIROSHIMA'88」のイメージを手がけるなど、広島との関係性を構築することになった。

展示風景より、「HIROSHIMA'88」の関連資料

 ヘリングが各国で行った平和のための活動、そして広島に残した足跡から、戦争のない世界を心から望み行動していたヘリングの姿を明らかにする本展。あれから30年以上を経てもなお、ウクライナやパレスチナをはじめ、戦争の暴力は続いている。いま、どんな行動ができるのか。それはひとりのアーティストとして、自由と平和を愛する人間として、なすべきことをなしたキース・ヘリングの生き様から改めて考えようとする展覧会だ。

展示風景より、《広島コンサート・バーズ》(1984)

編集部

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