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円空の仏、約160体があべのハルカス美術館に集結。両面宿儺坐像や生涯伝える資料も

生涯に12万体の仏像を彫ると誓ったといわれている江戸時代の僧・円空。その初期から晩年までをたどる展覧会「 円空―旅して、彫って、祈って―」が、大阪のあべのハルカス美術館で始まった。会期は4月7日。

文・撮影=橋爪勇介(ウェブ版「美術手帖」編集長)

展示風景より、手前から《両面宿儺坐像》《観音三十三応現身立像》(ともに1685頃)

 多くの人々を惹きつける彫刻「円空仏」で知られる江戸時代の僧・円空(1632〜95)。その生涯と活動をたどる展覧会「円空―旅して、彫って、祈って―」が、大阪のあべのハルカス美術館で始まった。会期は4月7日まで。関西での大規模な円空展は約20年ぶりであり、巡回なしの単独開催だ。担当学芸員は米屋優(同館副館長)。

 円空は江戸時代前期に美濃国(現在の岐阜県)に生まれた。幼いころに出家し、修験僧として旅をしながら神仏を彫り続け、生涯に12万体彫ると誓ったといわれるほどの多作で知られる。現存する円空仏は5000体以上だ。

 日本各地の霊場を旅し、神仏を彫り、祈りを捧げた円空。その彫刻はときに優しく、ときに迫力のある表情をたたえている。本展は、「旅の始まり」「修行の旅」「神の声を聴きながら」「祈りの森」「旅の終わり」の5章構成で約160体の作品によって初期から晩年までの生涯をたどるもの。

展示風景より、大森旭亭筆《円空像》(1805)
展示風景より、冒頭を飾る《金剛力士(仁王)立像(吽形)》(1685頃)

 円空は没後100年近く経った寛政2年(1790)に出版された『近世畸人伝(きんせいきじんでん)』で取り上げられ、その前半生について記されている。しかしながら、円空の同時代資料にはそれを明らかにするものは残っておらず、現在伝わる円空のもっとも古い作品は、数え年で32歳のときに彫ったものとされている。第1章ではこの近世畸人伝が並ぶほか、《十一面観音菩薩立像》をはじめ、円空が神仏を彫り始めた初期に岐阜や三重でつくったと思われる作品を見ることができる。ごく初期からすでに円空が高い力量を持っていたことがよくわかるセクションだ。

展示風景より、『近世畸人伝』(5冊のうち1冊、1790)

 寛文11年(1671)、40歳の円空は奈良の法隆寺において法相宗の法系に連なる僧であると認められた。奈良の吉野大峰山・笙の窟(しょうのいわや)で越冬参籠(えっとうさんろう)も修めた円空。第2章に並ぶ作品からは第1章のものとは異なる、よりゴツゴツとした作風への変化がわかる。流木などをそのまま使い、そこに顔だけを彫るようなスタイルも見られる。

展示風景より
展示風景より、《護法神像》(1674)
展示風景より、《大黒天立像》

 延宝7年(1679)、48歳の円空は白山神の託宣を聴き、円空の造仏活動はますます盛んになっていった。また同年には滋賀県・園城寺で、園城寺を本山とする天台宗寺門派の密教の法を継ぐ僧であることが認められている。第3章では、この園城寺に伝わる《善女龍王立像》をはじめとする、50歳前後の円空の作品が展覧。栃木・青龍寺の《不動明王立像》からは、火焔光背を、たち割った木をそのまま使って表現するという独自性が見られる。

展示風景より、《善女龍王立像》(1679頃)
展示風景より、手前ケース中央が《不動明王立像》(1682頃)

 円空は飛騨の千光寺の住職と交流を持ち、しばしば滞在して彫刻に没頭したという。近代に円空の存在は忘れられていたものの、この千光寺で1931年、彫刻家・橋本平八(1897〜1935)が円空仏を発見したことで再評価の機運が高まった。第4章に並ぶのは、千光寺に伝わる円空仏の数々だ。

 例えば、異形の悪人とされる「両面宿儺(りょうめんすくな)」は、通常背中合わせに二つの顔を持つ姿だが、円空による《両面宿儺坐像》は正面の武人の肩にもう一人の武人が乗りかかるような姿を示している。光背が表されているのも珍しいという。また、その後ろにずらりと並ぶ《観音三十三応現身立像》は、近隣の村人が病のときに借り出し、治癒を祈ったものだという。

展示風景より、手前から《両面宿儺坐像》《観音三十三応現身立像》(ともに1685頃)

 最終章は、晩年の約10年間につくられたと考えられる作品が集まる。

 園城寺から円空が再興した弥勒寺が天台宗寺門派の末寺に加わることを許された1689年の翌年、岐阜県・桂峯寺の今上皇帝立像の背面に「當国万仏十マ仏作也」と墨書銘を記した。この銘文には、「円空が10万体を彫り上げた」という解釈もあるという。元禄5年(1692)、岐阜県・高賀神社でつくられた《十一面観音菩薩立像》および《善女龍王像》《善財童子像》は現存する円空仏の最後のものだ。これを残した3年後、円空は64歳でその生涯を終えた。1本の木を3つに分けてつくられたこの三尊像は、十一面観音菩薩の台座に善女龍王像と善財童子像を載せるように彫刻面をあわせると、元の丸太を復元できるという。木の中に仏の姿を見た円空の仏づくりを象徴するものだ。

展示風景より、中央が《十一面観音菩薩立像》および《善女龍王像》《善財童子像》(すべて1692)

 本展に際し、千光寺の大下大圓長老は、「本展には大作が集まっている。今年は能登半島地震もあり、円空仏が人々の心の癒しや安らぎにつながればいい」と語る。

 また米屋は円空仏の魅力についてこう語る。「円空仏は見たらそれとわかる魅力がある。普通の仏師と違い、円空は自発的に信仰の現れとしてつくっているものも多い。また師弟関係もなく、一代のみということにも特徴がある。様式のオリジナリティがあり、円空本人の独自性が発揮されている」。

 経歴が謎とされる円空。巡回なしの本展はその初期から晩年までの作例が一堂に会する貴著な機会と言えるだろう。米屋は「一体一体を見ていただき、自分なりの円空像を結んでもらえたら」とのメッセージを寄せている。

編集部

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