石川県金沢市の国立工芸館で、「東京国際版画ビエンナーレ展」(1957〜79)の出品作品から、印刷領域における版画とグラフィックデザインの関係性に焦点を当てる企画展「印刷/版画/グラフィックデザインの断層 1957-1979」がスタートした。担当学芸員は中尾優衣(国立工芸館主任研究員)。
マス・コミュニケーションが発達した戦後日本において著しい発展を遂げた印刷技術は、大衆文化と結びつき「複製メディアにおける新たな可能性」という観点から注目を集めていた。それらの様々な実験の舞台のひとつとなっていたのが、国立近代美術館などが主催を務め開催されていた「東京国際版画ビエンナーレ展」であった。
本展は、その国際的なビエンナーレと出品作家らに着目することで、当時の最先端を追いかけた多様な視覚表現を紹介。第1回目から11回目までの受賞作を一堂に見ることができる貴重な機会であるとともに、近しい存在ながらもその考え方に差異がある「版画」と「グラフィックデザイン」のズレにフォーカスするものとなっている。
会場には、第1回目開催の受賞者である浜田陽三や、同ビエンナーレで脚光を浴びた池田満寿夫、写真を用いた木版と謄写ファックスによる制作スタイルを採用する野田哲也など、様々な版画作品が展示。それにあわせて、当時ビエンナーレの宣伝のためにデザインされたポスターも並べて構成されている。いったい版画とグラフィックデザインの境界はどこにあるのだろうか。そのような視点が本展の重要なポイントだ。
とくにその関係性に注目が集まったのは、1968年の第6回目の頃だ。その当時の受賞作品は野田哲也による《日記 1968年8月22日》だったが、宣伝ポスターとして制作された横尾忠則の《「第6回東京国際版画ビエンナーレ展」ポスター》が海外審査員の目に留まった。そのポスターは、本来裁ち落としされるはずのトンボや色玉も含めて完成品とされており、グラフィックデザインは紙面上に刷られたビジュアルイメージである、という既存の考え方に対して、そこに内包される「物質性」を示すものとなった。出品作品ではないにも関わらず、新しい視点を提示したこの出来事をきっかけに、版画とデザイン論争は白熱していくこととなる。
このような潮流のなかで、版画はコンセプチュアルアートと結びつくことで、多様な表現の可能性を広げていった。例えば、現代美術家・高松次郎(1936〜98)による《英語の単語》(1970)は、シニフィアン(記号表現)とシニフィエ(記号内容)をうまく作用させ、独自の鑑賞体験を生み出したという観点から当時の版画概念に一石を投じるものであった。
ほかにも、グラフィックデザイナー・永井一正によるエンボス加工による作品や、虹のスペクトル色彩を用いて制作する靉嘔による浮世絵版画をモチーフとした作品、そしてグラフィックデザインに対して批評的な表現を行なってきた杉浦康平による第8回展のポスターには、平面のなかに周りの空間を映し出すといった3次元的なアプローチを見ることができる。
ビエンナーレの後半期には、井田照一のインスタレーション作品《The Spy Surrounds the Spy》(1974)など、複写メディアとしての版画を問うような作品も数多くみられ、この取り組みは成熟を迎えた。いっぽうで版画の概念も徐々に変化し、世間の版画への注目度や興行の観点などからビエンナーレは約20年間の活動に幕を閉じた。いま、それらの活動を振り返ることで、印刷・平面領域における先人たちの開拓精神を俯瞰することができるだろう。
また会場には、版画とデザインをテーマとした作家らの座談会が掲載された雑誌なども展示されている。美術と商業、考え方の起点が異なるこのふたつは近しいようで不思議と交わらない。本展のタイトルにもある「断層」はこういった観点からつけられたものでもある。
なお、1977年に開館した東京国立近代美術館工芸館の記念すべき第1回目の展覧会を振り返る特集展示「プレイバック1977年──工芸館の開館記念展」も同時開催中。東京国際版画ビエンナーレ展と同時期に制作された様々な工芸作品をあわせて見てみるのもおもしろいだろう。