王城ビルを「アートセンター」に
2016年に解体予定の歌舞伎町振興組合ビルを大胆に使った個展「また明日も観てくれるかな?」を開催し、19年には歌舞伎町の雑居ビルを丸ごと使った「にんげんレストラン」を週間限定でオープンさせたChim↑Pom from Smappa!Group。彼らがまた、歌舞伎町で新たなアートプロジェクトをスタートさせた。今回の舞台は、街の守護神である歌舞伎町弁財天(歌舞伎町公園)に隣接する1964年竣工の王城ビルだ。
まるで城を模したような独特のデザインと茶色い外壁が歌舞伎町でも強烈な存在感を放つこのビル。これまで純喫茶やキャバレー、カラオケ店、居酒屋など次々に業態を変化させ、2020年3月まで続いてきた。そのビルがなぜ本展の舞台となったのか?
同ビルは、2022年大晦日の「WHITEHOUSE」(Chim↑Pom from Smappa!Groupのメンバーである卯城竜太がアーティスト・涌井智仁、ナオ ナカムラ・中村奈央とともに21年に新宿で発足させたスペース)によるカウントダウンパーティーを皮切りに、アートフェア「EASTEAST_」やHEAVENのワンナイトパーティーの開催など、試験的にイベントを繰り返してきた。その流れを受け、立ち上がったのが任意団体「歌舞伎町アートセンター構想委員会」だ。
構想委員会のメンバーは、方山堯(王城ビル所有者:大星商事株式会社取締役)、卯城竜太(Chim↑Pom from Smappa!Group)、手塚マキ(歌舞伎町商店街振興組合理事、Smappa!Group会長)、山本裕子(ANOMALY)、田島邦晃の5名。なかでも王城ビル創業者の孫である方山は、「これまでアートに触れてこなかった」としつつも、王城ビルの今後について既存の美術館やホワイトキューブとは異なるかたちで「人が議論して交流できるアートセンターとは何かを考え、つくりあげていきたい」と意気込みを見せる。ビルを街と人をつなぐ交歓・交流の場に──その最初の一歩が本展「ナラッキー」だ。
なぜ「奈落」なのか
本展タイトルにある「ナラッキー」とは、「奈落」から着想されたもの。奈落とはサンスクリットのナラカ(naraka)の音訳語(小学館デジタルライブラリー参照)であり、「地獄」や「物事のどん底」「行き止まり」などを意味する。いっぽうで、劇場などの舞台床下も指す言葉だ。「奈落は楽しい場所であってもいい。舞台下の奈落は絶対必要な存在」と語るエリイ(Chim↑Pom from Smappa!Group)。ナラッキーという駄洒落めいたネーミングからも、奈落の概念を拡張したいという意図が読み取れる。
会場となる王城ビル全館(1〜5階)のなかでも、そんな「奈落」を作品化したのが、本展ハイライトの《奈落》だ。
歌舞伎町の名前が歌舞伎座誘致の頓挫、という戦後の都市計画に由来することに注目したChim↑Pom from Smappa!Groupは、王城ビルの中にありながら火災のため約30年間も閉ざされてきた吹き抜け空間に「奈落」を設定した。空間には尾上右近の自主公演『研の會』の公演中に奈落で録音された歌舞伎公演の音が流され、サーチライトを載せた「セリ」がゆっくりと奈落を上下する。
卯城は長きに渡って閉ざされてた吹き抜けをどう使うかを考えたとき、「歌舞伎町だけでなくこの世界すべてを舞台と見立てて、ここを奈落にしようと考えた」と話す。吹き抜けを空にまでつなげることで、その概念をも街に開こうとする試みだ。
普段は見下ろすはずの奈落に鑑賞者が入り込み、その底から上を天を仰ぐという特殊な体験。暗闇で見るサーチライトには神々しさすら感じられるだろう。
なお、《奈落》がつながる屋上(5階)では夜の間、《奈落》から放たれたサーチライトが空を照らす様子を見ることができる。またサイアノタイプ(青写真)製の看板《光は新宿より》も必見だ。終戦直後の焼け野原だった新宿を地ならしし、戦後初の闇市「新宿マーケット」を立ち上げた関東尾津組。彼らが物資買取のために出した新聞広告に使ったスローガンが「光は新宿より」だったという。歌舞伎町の歴史のなかで「裏側」にいた存在を、眩いサーチライトとサイアノタイプで現代に表出させている。
このほか本展では、2階で今年3回目を迎える「歌舞伎超祭」とのコラボレーションし、この奈落で行われた様々なパフォーマンスの様子を収めた映像作品の数々が展示。ドクターフィッシュを養殖するイベントフロア(地下1階)や、ミュージアムカフェのような「にんげんレストラン」(1階)、カラオケ居酒屋だった王城の歴史を参照したカラオケのパーティールーム《神曲──La Divina Commedia》(4階)など、全館にわたって多様な作品が繰り広げられる。
閉鎖空間を外へと接続し、奈落の概念を街や天に拡張しようという今回の挑戦。ぜひ奈落に足を踏み入れ、体験してほしい。