2006年、高校2年生の頃に美術の道を志すようになり、12年に東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻を卒業した中園孔二。同年に「アートアワードトーキョー丸の内2012」で小山登美夫賞、オーディエンス賞を受賞し、小山登美夫ギャラリーでの個展開催、東京オペラシティ アートギャラリーでのグループ展「絵画の在りか」(2014)への参加などで注目を浴びるが、15年、瀬戸内海沖で行方不明となり、帰らぬ人となった。
9年間で残した作品から、220点の油彩やアクリルなどのペインティング作品、ドローイングやメモを書き込んだノート約70冊、書籍などライブラリー資料も含む大規模な展示は、7つのアプローチ(テーマ)に分類して構成されている。個展タイトルの「ソウルメイト」は、中園がノートに書き記した言葉であり、同様に書き留められた次のメモに由来する。
ぼくが何か一つのものを見ている時、となりで一緒になって見てくれる誰かが必要なんだ。(展示会場のパネルより)
担当学芸員の竹崎瑞季は、「他者との関わりを希求しながら描いていたと考えられるし、自分と切り離せない絵画を描く行為そのものも彼にとってソウルメイトだったのではないか」と話す。友人もおり孤高のタイプではなかったようだが、そこには、中園が「見る」という行為をどうとらえているのかが反映されている。
それを見ているのが自分たった一人だったとしたらそれは“見ている”ことにならない。二人以上の人間が同じ一つのものをかかえるということが、それを“見る”ということだ 。(同上)
最初の展示テーマは、「描き続けること」。06年から15年の9年間で約600点に及ぶ絵画作品を描いた中園は、過去の絵画表現における造形実験や、漫画や映画などのビジュアルカルチャー、インターネットを介してアクセスした多種多様なイメージと、自身の内的な世界とが混淆したかのような風景を生み出し続けていた。その序章として、学生時代の作品や「アートアワードトーキョー丸の内2012」出品作などが冒頭に展示されている。
続くテーマは「ひとびと」。実在の人物をイメージしながら描いたものもあるようだが、「ひと」や、「ひと」のようなイメージには共通して、顔の造形が目と口のみに単純化されている。ネットニュースなどに見られる現代社会の不穏な空気、あるいは、中園の幼少期から世間にあふれていた漫画やゲームのキャラクターに見る愛らしさや親しみやすさも、自然と画面に現れている。しかし、そうした共通点がありながらも、色使いも線の描写もひとつのスタイルに集約されることなく、手法や筆致など様々に実験を繰り返していたことがわかる。それも、習作とは呼べない高い完成度で。
展示は「多層の景色」へ。独自のレイヤー構造をもつ作品も数多く残したが、それも一筋縄ではいかない。遠くから見ると1本の白い線で人の顔が描かれているが、近づいてみると奥に別の顔が描かれた層があったり、異なる色面が重なったり、並列していたり。色とりどりの線描も、どの色が上にきてどの線をまたぐかなど、立体的にキャンバスを空間として把握していたかのような描かれ方をした作品もあり、計算づくの構成と混沌とが画面に共存するのも、中園らしさのひとつだといえるだろう。遠近感が交錯し、入れ子構造のような絵に吸い込まれていく感覚が生まれる。
「無数の景色」のテーマで、壁面を埋め尽くすように作品が並ぶコーナーもある。手法も画材も支持体も様々。衝動からダイナミックに早い筆で描いたタイプの作品を一堂に集め、作品のバリエーションから「ひとつの景色に到達しようと試みた」とキュレーターの竹崎は意図を語る。「中園は、絵の表面がばらばらであっても『景色は一個』と語っていました。ここにある多様な表現は、彼が見ていた景色に通じる無数の回路のようなものかもしれません」。
「場所との約束」と題したコーナーでは、2014年末から香川県高松市で暮らしていた頃に描いた作品を中心に、香川での制作活動について紹介する。瀬戸内の土地柄を気に入り、香川で部屋とアトリエ探しをした2014年末の旅の帰りに記したと思われるメモを引用する。
高松空港から帰り. 12/19. 2014.
高松での4日間(今回)も、考えて動けることが出来ていたと思う. “場所”というものを利用して. その場所で. 「詰まった時間」をしきつめていくようにすれば. 場所から自分の強目のコンフォートゾーンを. 感起させられるようになる. その場所との約束を守ること. そうすれば場所は「他者」となりえることを思い出す。
ここでの「他者」は、「ソウルメイト」と言い換えられるのではないだろうか。瀬戸内海沖で姿を消した中園だが、学生時代から夜の森を歩き回ったり、暗い海を潜ったりすることは、彼にとって場所とのコミュニケーションの方法として意図的にしていた行為だ。直接的にその場所をモチーフにするのではなく、その行為を経て自分に入ってきた何かを消化し、景色としてかたちにする。それが中園にとって、絵を描くプロセスのひとつだったようだ。
ペインティングのみではなく、150冊近くのスケッチブックやノートには、夥しい数のドローイングや漫画などが描き留められていた。ドローイングや旅のメモなども含めて「イメージの源泉」をテーマにしたコーナーと、中園の表現の背景となった書籍や画集、自身が残した言葉を集めた「ソウルメイト—共に在るもの」で展示が締めくくられる。
絵画は現時点で見せられるひとつの手段に過ぎないと考え、映像や音なども含め多様な表現に対して貪欲なヴィジョンをもっていた中園。夭逝の画家の大規模な「ソウルメイト」展は、多様な未来を想像させるポジティブなエネルギーに満たされている。