中園くんのことを少し
中園くんが亡くなった。7月某日、香川の海で行方がわからなくなり7日後に岡山県内の海上で見つかった。25歳だった。
彼は、3年前に東京藝大油画を卒業したが、卒業制作が小山登美夫氏の目にとまり画家「中園孔二」として幸先のよいスタートを切った。関東圏内でアトリエを作家たちとシェアしていたが昨年末から高松に移り住んでいた。私が藝大に赴任したときには彼は学部の2年生だった。空間いっぱいに展示したドローイングやペインティングを見て、感覚や色彩のよさにも感心したがそれよりも多作だなと思ってそちらのほうに興味を覚えた。
淡々と"壊れた機械"のように絵を描くことのオカシサが身に備わっているかどうかを私は判断の一つにしている。彼にはそれが備わっているように思えた。それからときどき彼の制作を注意して見るようになった。音楽もつくっていると言っていた。聴かせてもらったがあいにく音楽に疎い私にはよくわからなかった。だがこれも年若い画家が世界に網打つことの一つの所作なのかもしれないと思った。
ちょうどこの年の夏休みに、ある企画で山梨の限界集落で古民家を改装した建物を拠点にして周囲のかつて田畑であった荒地で何かやってみようということになり、地元の大学や多摩美の学生などでチームをつくって参加したことがあった。私は、東京造形大、美学校、そして藝大からは彼を誘って混成チームで臨んだ。
2週間ほどの滞在だったが彼はその間に度々夜、宿舎を脱け出して明け方近くになって戻ってくるのだ。心配になって聞いてみると夜中じゅう山中を歩いていると言う。
灯火一つない闇の山中を彼が一心に歩いている姿を想像して不思議な男だなと思った。独りであること、あるいは独りになることが彼には絶対必要で、そこから彼が絵を描く場処までは程近い。形や色彩をばら撒くような眩いばかりの夥しい作品はそういう場処で描かれたのだ。とはいえ、彼には親友や親しかった人たちがいた。家族にも深く愛されていた。葬儀は暑い陽盛りのなか、彼を慕う人たちが大勢集まりその突然の別れを悲しんだ。
この夏、台風11号の後の瀬戸内の海に彼は泳ぎ出した。中園くんが独りで海を泳ぐ姿を、いまもときどき想像している。
『美術手帖』2015年11月号「INFORMATION」より